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February 16, 2008

『破天荒伝』

Hatenraden

『破天荒伝』荒岱介、太田出版、2001

 前に『新左翼の遺産 ニューレフトからポストモダンへ』大嶽秀夫、東京大学出版会、2007の書評を書いた時に《ブントには、後の新左翼運動が抱えこむことになる暗さがない。運動の高揚期にみられる明るさであったのかもしれない。ブントのリーダーたちは本質的に楽天的で、開放的であり、それが組織の正確に明瞭に反映していた。それはある種のいい加減さが支配していたということでもある。この当時は活動家仲間たちは、一緒によく酒を、しかも酔いつぶれるまで、あるいは朝になるまで飲んだ》(p.48)という箇所が、なかなかよかったと紹介し、権力奪取など考えずに突っ込んでいっただけのブントは祝祭的に明るかったんだと思う、と書きました。

 そうした「明るいブント」の代表選手みたいなのが荒岱介さんでしょうかね。

 まさか、まだやっているとは思ってもみませんでした。昨年5月にブントの代表を降り、政治的な活動からは引退したらしいですが、その前から取り組んでいる環境保護活動なんかにはこれからも関わっていくみたいです。

 その荒さんが幻冬舎新書から『新左翼とは何だったのか』という本を出したのを知って驚き、ついでに、2001年には自伝めいたものまでも出していたのに二度驚いて先に読みました。

 荒岱介さんは荒正人の甥っ子にあたるみたいですね。1945年6月生まれというんですから、団塊の世代のひとつ上。学生時代は一歳の違いでも大きいですから、最初から全共闘世代の中では兄貴分みたいな感じだったのかもしれませんね(例えば連合赤軍事件のメンバーたちには1946年生まれが多かったと思います)。渋谷区立代々木中学、都立駒場高校の時代は野球部でエースだったみたいですから、子供の頃からリーダーっぽい人だったんでしょう。

 早稲田の法学部に入って、のちに赤軍派議長となる塩見孝也のオルグを受けてブントに入りますが、本人によると《ストーカーに強姦されるような》(p.34)執拗なものだったといいます。それでも《必然性の選択だなどと言い、人間が本気で生き方を選択するといっても、なりゆきでそうなっていく場合が実は大半なのだ》(p.37)とあっけらかんとしたもの。こうした明るさがあるから《ブントは一次ブントから二次ブントまで集まって酒をくみかわすことがある。結局ブントというのはセクト性のない連中の集まりなのだ》(p.39)ということになるのかもしれません。日本共産党や革共同の人たちが集まって酒を飲み始めたから、集まる前からすさまじい内ゲバになってしまうでしょうから、ひとつの立派な特徴なんでしょう。

 60年代のデモやバリケードなどの思い出は、なんていいますか、ケンカ小説みたいな感じです。正直「いい気になっちゃっているな」と思うのですが、荒さんの場合、最初は現代文学会に傾倒していたということもあってか、引用がいいんですよ。

 ガストン・バシュラールの『蝋燭の焔』の《長いあいだ繭のなかにちぢこまっていた微小な存在が、至高の犠牲、栄光にみちた犠牲を求めて飛び立つのは、焔のなかの焔、太陽に向かってである》なんてところからペンネームの日向翔を決めたらしいですしね(p.123)。後は朝日新聞で拳銃自殺する野村秋介と牢獄で話した時に気に入ってくれたというロープシン(サヴィンコフ)の『蒼ざめた馬』の《秋の夜が落ちて星がまたたきはじめたなら私は最後の言葉を言おう。私の拳銃は私と共にある》というフレーズとか。なかなかいいと思います。しかし…。

 実は、最初の引用でも『蝋燭の炎』と書名を間違えているのですが、さらにこの直後、24歳の時に東京拘置所から出た時には活動やめようと思ったけど《まだ『憂鬱なる党派』の岡屋敷のように生きたとはまだ言えない》とブントを率いていくことを決意したと書いて、《「暗きなかを歩みて己が往くところを知らず」(ヨハネ黙示録)だが、それでよいではないかという心境だ。よしわかった、まだやろうと受けてしまったのだ》(p.124)と書いているところには、まあ、ちょっとガックリしましたね。

 これは『ヨハネ黙示録』ではなく『ヨハネによる福音書』の12:35《イエスは言われた。「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない》(新共同訳)の後半部分なんですよね…。文語訳では《イエス言ひ給ふ『なほ暫し光は汝らの中にあり、光のある間に歩みて、暗黒に追及かれぬやうにせよ、暗き中を歩む者は往方を知らず》となりますから、ここからとったんでしょうが、自由すぎる引用ですし、ホンマに読んでるのかしら…と心配してしまいます。塩見孝也との思い出を書いている中で、カフカについてどう思うかときいたら《「おうっ、知っとるぞ。カフカな。『変わり身』を書いたヤツだろ?》という答えが返ってきて《読んだことなどなのに、いつでも何でも知ってるとふるまっているのだ》とガックリしたと書いていましたが、やっぱり、こうした浅さは、この世代にはつきまといますよね…。まあ、政治家というか活動家に正確性を求めてもしょうがありませんが。

 まあ、荒さんを評価できるとしたら、内ゲバを拒否したということでしょうかね。また、爆弾は使わないとかいろいろ自己規制をやってきたといいます。《だから本にも書けるんだよ。仮に内ゲバやったとか100人死んでいるなんていったら書けないじゃん。オレらは選択として人民に傷は与えない、爆弾は使わないって決めてやっていたんだから、健康的なゲリラだ。これが人を巻きぞえにしたなんてことがあったら冒険どころではない。冒険にとどめたのがオレは良かったと思う》とご自分のホームページにも書いていますが、まあ、そういうことなんだろうと思います。

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