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January 06, 2008

吉本さんの未読本リレー

Yoshimoto_asahara

 歌舞伎も12月に見物したのは1月と合わせての紹介となってしまいましたが、年末年始に大掃除をしていたら、昨年読んだものだけでも、まだここで紹介していない本をけっこう見つけましたので、正月休みの最終日を前に一気に書いてみたいと思います。

『尊師麻原は我が弟子にあらず オウム・サリン事件の深層をえぐる』吉本隆明、プロジェクト猪、徳間書店、1995

 吉本さんの本で、まだ読んでいなかった単行本を実は昨年、けっこう読んだのでした。この本は、全共闘世代の元活動家たちがオウム・サリン事件について、どうしても語りたくなったということで、吉本さんを呼んだシンポジウムを行い、さらには、対談までまとめてしまったというもの。吉本さんの話自体は、これまでも聞いたことのあるような話が多かったですね。オウムは鎌倉以前の仏教の修練と同じであり、それは死を軽んじることであり、死は何でもないと思いやすい傾向に繋がる、みたいな。しかし、そうしたオウムを隣人として認めないのは、国家=政府が決められた秩序を至上の宗教と考えていることと同じだ、と。このほか印象に残ったのは、これは本当かどうかわかりませんが、オウム信者には社会になじめない人が多いというより、受験や就職といったシステムに過剰適応してきた人間が多いという指摘ですかね(p.96)。また、全共闘白書のアンケートで運動をやめた理由で最も多かったのは内ゲバだったというのはむべなるかな、と(p.256)。あと、1935年から70年ぐらいまでの日本の新興宗教で大きくなったのはどちらも日蓮系の創価学会と霊友会で、霊友会などは例えば戦前の愛国婦人会などと競合しあっていた、という指摘(p.292)。

『吉本隆明の文化学 プレ・アジア的ということ』吉本隆明、川上春雄、高橋順一、山本哲士、古橋信孝、文化科学高等研究院出版局、1996

 『季刊iichiko』の吉本特集を単行本化した本のようです。iichikoへの書き下ろし『プレ・アジア的ということ』は、ヘーゲルの歴史認識であるアフリカ的段階とアジア的段階の間に「プレ・アジア的」という段階を構想できるのではないか、という内容。それは王権と奴隷制度が一体となっていた社会で、王は絶対的権力を持っていたが、天変地異などがあると王は殺されたりするので、この意味では《王は裏返された絶対奴隷だとも言えた》(p.10)。吉本さんは90年代にインディアンを主人公にした文学によく言及したのですが、こうしたプレ・アジア的段階の自然観は、自分の意識と自然の意識がよく区別されておらず《自然にまみれて生存している》(p.11)と考えられる、と。ま、そんな感じです。

『親鸞―不知火よりのことづて』吉本隆明、桶谷秀昭、石牟礼道子、日本エディタースクール出版部、1984

 鹿児島・西照寺が開いている緑陰講座に呼ばれた三人の講演記録。吉本さんの話では、お寺さんでやっているということもあって、興福寺の解脱上人良慶の親鸞批判に関して詳しく解説しています(p.8-)。そして、良慶の親鸞批判は口先だけで名号を唱えればいいのか、という称名念仏に対する批判であり、親鸞は「口先だけでいい」「心の中に菩薩心があるかどうかは関係ない」というものだ、と(p.11)。個人的に面白かったのは、親鸞に関しては語れるけど、法然に関してはうまく語れないと言っているところでしょうか。今は平凡社ライブラリーでゲットできます。

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