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January 19, 2008

『論語』

Rongo_2

『論語』金谷治訳注、岩波文庫

 なんか、あまりにも人文書で読みたいと思う本がなく、久々にパラパラとめくってしまいました。

 岩波文庫でサクッと読めるのもいいし、改訳されて読みやすくなっているのもいいですね。

 にしても、読むたびに思うのは、孔子の弟子たちにはマトモな編集者はいなかったのかよ…ということ。

 岩波文庫の場合、二十篇が約400頁に収まっています。各篇は学而第一から堯曰第二十まで篇名が付けられていますが、それは単に初めに書かれている句から適当に取られただけ。内容的に吟味されて振り分けられてもいませんし、例えば「三年無改於父之道、可謂孝矣、」(三年、父の道を改むること無きを、孝と謂うべし)という言葉なんか学而第一と里仁第四に全く同じように載っています。

 孔子の死後、弟子たちが三々五々、なんとなく200年ぐらいかけて集めたので、こうなったんでしょうかね。実際、言及されている孔子の弟子たちに関しても、あまり実務に長けた感じは受けません。だいたい孔子が311編に編成しなおした『詩経』も、6編は題名のみしか現存していないということは散逸させたのかもしれませんし。

 『中国思想史』溝口雄三、池田知久、小島毅、東京大学出版会、2007を読んで、朱子学までの儒学が為政者というか中央政府の役人がどう天子を補佐したらいいのか、という問題意識で発展してきたのに対し、陽明学は郷村秩序を担う民間の有力者たち向けに書かれているというイメージが面白いなと思いまして、チラッとその方向の本でも読んでみようかな、と思っているんです。ですから、ま、その肩慣らしとでもいいますか。

 久々に読むと、世の「論語名言集」なんかには載らないような、生活感覚あふれるような言葉が新鮮ですね。やはり世の中の実相(ますがた)を観察しているな、という感じが伝わってきます。例えば論語の最後の最後はこの言葉で締めくくられています。

 「猶之与人也、出内之吝、謂之有司、(ひとしく人に与うるに出内[すいとう]の吝[やぶさか]なる、こ れを有司と謂う) 」

 ここは五美四悪についての論議なんですが、訳注によると意味は「どうせ人に与えるというのに、出し入れをけちけちしていのを役人根性という」ですもんね。今も昔も変わらないな、と。また、そういった人の習性を孔子教団はよく見ているな、と思います。

 でも、ま、ありがたいなと思うのは「行不由徑(行くに徑[こみち]に由らず)」(雍也第六)あたりの言葉なんですがね。妙に気持ちよくさせるような言葉がある、といいますか、知ってるだけで偉くなったような気分にさせるところが『論語』のスゴイところだったりして。

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