『革命ロシアの共和国とネイション』
『革命ロシアの共和国とネイション』池田嘉郎、山川出版社
最初に知ったのは小田中直樹先生のblog。もう、こうした面白そうな人文書というのは、実際に書店で手にとって少し読んでみるという漁り方はできないのかもしれませんね。よほどの大型書店でなければ置いてないでしょうし、そこの棚の管理者がよほどセンスがなければ、目立ったところには積んでくれませんから。まあ、そんなことをいっても始まりませんが、いやー、久々によかったな。読み終えた後、新しい視点が得られたような新鮮な気分になれる本です。
個人的な興味にすぎませんが、『国家と革命』のあとがきで《この小冊子は、一九一七年の八月と九月に書いたものである。私にはすでに、つぎの第七章『一九〇五年と一九一七年のロシア革命の経験』の腹案ができていた。しかし、私は表題のほかには、この章を一行も書けなかった。政治的危機、一九一七年の十月革命の前夜が、これを「妨害した」のである(中略)このような「妨害」は、喜ぶよりほかはない。「革命の経験」をすることは、それについて書くよりも愉快であり、有益である》と余裕たっぷりにユーモラスに書いたレーニンが、1921年末に倒れるまでに(亡くなるのは24年ですが)どんなことを考え、活動していたのかということを現実の進行とともに、ヴィヴィッドに感じられる本を読んでみたいとずっと思っていたんです。確かに18年8月に狙撃されてからは精彩を欠いたでしょうが、明るい革命像を持っていたはずのレーニンとボルシェビキがなぜあんなスターリンの専制を招いてしまったのか、という疑問は「歴史に、もしはない」とは分っていつつも、ずっと残っていますから。単にレーニンをまだかいかぶっているだけなのかもしれませんが、この本を読んで、遠くにコミューン的な共同体を構想して現実に対処しようとしているレーニンの姿が浮かび上がってきて、少し嬉しかった。また、大物政治家という印象のカーメネフが、混乱する状況を前に余裕たっぷりの発言を行っている姿も確認できて嬉しかったですね。
こうした息吹が感じられるのは、場所と時間を限定しているからだと思います。
主に扱っているのは1917年の十月革命後から1921年4月の赤軍の戦勝記念軍事パレードまで。場所はモスクワだけ。ですから、軍事列車を走らせて転戦する軍事担当のトロツキー人民委員の躍動もなければ、同時に忘れてはいけない、数百万人とも言われる餓死者の姿も見えてきません。ただ、権力を扱うのに不慣れなボルシェビキたちと、首都を機能させる方法を知っている旧体制から続く官僚たちとの対立が深く、静かに描かれているだけ。
結論を先に言っていまえば、「地獄への道は善意で舗装されている」という皮肉な言葉を愛したレーニンでさえ、旧ロシアのミールでの共同作業を基盤する共産主義的(コミューン的)労働を媒介することによって、理想的なコミューン(共産主義社会)をつくる主体となるソビエト市民をつくりだせると信じていたナイーブさしか持ちあわせていなかったことがすべての原因なのかな、と。様々なロシア革命史で理想主義的に描かれすぎているレーニンの鉄の意志は、使い古された言葉ではありますが、組織を壊す機能はあったかもしれませんが、新しく出来あがった巨大な権力を安定的に操縦することはできなかったのかな、と。
「スボートニク」というのは初めて知りましたが、1919年の4月に鉄道労働者たちが(そう、ロコモティフ・モスクワがサッカーで強いように、モスクワは鉄道の街でもあるんです)、神使ガブリエルがマリヤに処女受胎を告げた日を記念する正教の生神女福音祭に対抗するため、新しいモラルを労働で打立てようと自然発生的に行われたのが、土曜日の自発的超過勤務「スボートニク」だそうです。なんかいじらしい話ですよね。
6月末にレーニンはこの動きに着目、パンフレット『偉大な創意』の中で《共産主義の事実上の萌芽》とまで評価。党員などに対して、労働生産性を具体的にあげる能力を示すことを求め、《(その上で)「コミューン」という名誉ある名称に手をさしだしたまえ!この点では「共産主義スボートニク」はもっとも貴重な例外である》(p.141)とまで書きます。この後も、レーニンは共産主義的労働にこだわったコメントを出し続けますが、なんか惚けてしまったような感じすら受けます。
メーデースボートニクでは自ら《全ロシア中央執行委員や人民委員の職員と一緒になって、クレムリンの竜騎兵練兵場の清掃に参加し、丸太運びに精を出したりした》(p.179)そうですが、もう思考停止してイベントに参加するだけみたいになっちゃってる感じですよね。
やがて、内戦が有利に傾きはじめたことに対応して、党は軍事人民委員のトロツキーに疲弊した生産現場をたてなおしの検討を委ねますが、トロツキーは「民兵制と関連しての全般的労働義務制」という新しいテーゼを発表、労働を通しての社会改革を構想します。そして、それは《『国家と革命』におけるコミューン国家像を、強制的に実現しようとする試みだった》(p.153)のです。そこでは労働が崇拝対象になるといいますか(p.180)、だから、彼らの心証の中では強制労働というのは罪と感じないのかもしれませんね。強制ではなく矯正なんだ、みたいな。矯正してやっているんだから、逆に感謝しろ、みたいな。第二次世界大戦後の日本軍兵士に対するシベリア抑留は許し難い人権弾圧ですが、彼らにとっては反動思想の矯正という言い訳があったのかもしれません。だから労働証明書なども発行してないし、賃金も支払わない、と。
しかし、こうした運動は人間社会では長続きしません。動員は先細りになります。そうなるとトロツキーも《生産性を向上させるためにプレミア制度を導入して、現地産業の生産物で支払うようにすべきである》(p.161)と主張せざるをえなくなります。現実をうまく動かすためには仕方ないのかもしれませんが、なんとも無惨な方向転換です。それに追い打ちをかけるのが、旧体制からどうにかうまく生き残った官僚組織。全般的労働義務制はどこに何人を動員するかといった基礎的な動きからして諸官庁の連携が必要になります。そうした準備をしておかないと人が余りすぎて帰ってもらったり、逆に少なすぎて用意した弁当が無駄になるといった非効率的な事態を招くことになりますから。だから、共産主義的といいますかコミューン的社会をつくるための第一歩としての共同作業を行う際にも官僚たちの手を借りなければならなくなり、それは《行政機構の役割の一層の増大》(p.161)を招くことになります。
結論部分で池田さんは、スターリンは官僚組織さえあれば党組織などジャマだと考えるようになり、1934年の粛正以降37年までに古参ボルシェビキを粛正して党組織を解体してしまったという、いかにもスターリンらしい暴挙にふれます。
ボルシェビキたちの理想は《コミューン国家創出に向けた党組織の努力は、自らを犠牲にしたうえで、行政組織主導のロシアの近代化をさらに押し進めるための前提、すなわちネイションを産み出》(p.217)すという皮肉な結果に終わるわけです。そして、その動きはブレジネフ時代の各共和国のエスニック的ネイション・ビルディングにつながり、最終的にはゴルバチョフ時代にソ連をバラバラに崩壊させる、と(p.219)。
「地獄への道は善意で舗装されている」ことを知りながら、現実を前に理想主義的なあまり、逆に官僚たちに飲み込まれていくような政策しかとれなかったレーニンと、帝政時代から生きながらえた官僚たちが主導したネイション・ビルディングがやがては崩壊していくという壮大な叙事詩を、モスクワのたった4年間の出来事を子細に研究することで影絵のようにうかびあがらせる著者の力量と構想は本当に素晴らしい。
BRICsもまだまだ注目されていますし、新書化などによってより簡潔にまとめられたものが、多く人の目にふれたらいいな、と思います。
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