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August 15, 2007

『不実な美女か貞淑な醜女か』

Yonehara_bijo

『不実な美女か貞淑な醜女か』米原万里、徳間書店

 《「いいかね、通訳者というのは、売春婦みたいなものなんだ。要る時は、どうしても要る。下手でも、顔がまずくても、とにかく欲しい、必要なんだ。どんなに金を積んでも惜しくないと思えるほど必要とされる。ところが、用が済んだら、顔も見たくない、消えてほしい、金なんか払えるか、てな気持ちになるものなんだよ」》《「だから、売春婦に倣って、通訳料金は前払いにしておいたほうが無難だよ」》(p.4)

 と、のっけから師匠の「通訳=売春婦論」を披露するのが素晴らしい。

 タイトルの『不実な美女か貞淑な醜女か』のタネがあかされるのは三章。中村保男『翻訳の技術』によると、イタリア・ルネサンスに《「翻訳は女に似ている。忠実なときには糠味噌くさく、美しいときには不実である」》(p.141)という格言があるという(しかし、糠味噌というのも随分、不実な訳ですねw)。フランス語にも「美しいが、原文に忠実でない翻訳」をBelles Infideles(不実な美女)というそうです。

 米原さんの本でも初期の部類に入るので、後期のように、筆のおもむくままといった風情ではなく、通訳と翻訳との違いから始まって、言語と国民性、コミュニケーション論とテーマは一貫しています。

 プラハのソビエト学校で教育を受け、父親が日共幹部ということもあって、マルクスの「人間にはあらゆる職業を遍歴したいという欲望がある」やエンゲルスの「自由とは状況の把握である」なんて格言もおり込んでいるのも味わい深いところ。

 あと、これは知らなかったのですが、NHKなどがやるロシア語ニュースの場合、放送の4-5時間前に映像とロシア語テキストが届き、その原稿とつきあわせながら、同時通訳風に読み上げているだそうです。てっきり、同時通訳とばかり思っていたのですが、こんなに準備ができるのだったら、もっと上手くやれるんじゃないでしょうかねぇ。他の言語も含めて、ちょっと人材難なんでしょうか?

 テレ朝の秋山さんがソユーズで宇宙飛行する際の選抜テストでは、徹底的な癌検査が行われていたというのも知りませんでしたね(p.46)。なんでも、ソ連時代でも有人飛行はまだ時期尚早だという意見があったので、宇宙から帰ってきた人たちがガンになったりすると、有人飛行計画そのものが批判を受ける可能性があるため、念入りに、男性の場合は「陰嚢の鞘膜腔」を医師が引き延ばしながらシコリがないか調べたんだそうです。その時も米原さんは通訳として付き添ったのですが、もちろん「陰嚢の鞘膜腔」といっても通じなかったそうです。で、しょうがないので米原さんは《「えーとですね、Oさんのキンタマのシワをですねぇ」》と怒鳴ったそうです。

 日本語の「風が吹けば桶屋が儲かる」のロシア語バージョンは「肉を食うと風邪をひく」であって、ロシア語の論理は《肉を食う->精力がつく->勃起する->寝ている間に毛布が引っ張られる->毛布が持ち上がった分、毛布で覆われていた足先が出てしまう->足が冷える->風邪をひく》(p.180)という話を披露してくれるところなどは、さすが別名シモネッタ・ドッジの面目躍如。大韓航航空機をミサイルで撃墜したソ連のパイロットの地上との交信がほとんど、いわゆる四文字熟語の羅列だったというのも驚きでした(p.190)。日本語の罵倒句「おまえの母ちゃんデベソ」という言葉も、なぜデベソであるかを知ったかということに思いをいたせば、英語のSon of a bitchやスペイン語のHijo de putaと同じ意味だというあたりも面白かったですね(p.193)。

 消極語彙、積極語彙という概念を使って、パッシブなレベルでしか身についていないものと、アクティブなレベルに達したものとは大違いで、それは単に理解できる受け身に知識と、自ら書いたり話したりする時に使える知識の差、というあたりもなるほどな、と。日本の○×式や選択式テストでは消極語彙しか確認できず、論文やレポート、口述ではじめて積極語彙が開発されるとも書いています(p.112-)。

中国語で従兄弟というのは1)母方か父方か2)男か女か3)年上か年下かで、実に8種類もあるなんていう話も新鮮でした(外姉、外妹、外弟、外兄、堂姉、堂妹、堂弟、堂兄)。もっとも、身近にいる中国語のエキスパートによると、最近の中国では、ここまで厳格には区別していないそうですが。

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Comments

鳥飼玖美子さんが「通訳者と戦後日米外交」のオーラル・ヒストリーをまとめられました。この方もまた、面白いエッセイを書いていたと思います。
http://www.msz.co.jp/book/detail/07309.html
グレン・フクシマに言わせると、日米経済交渉で英語ができる経済官僚がわざと通訳を交えたのは狡い戦術に見えていたとか、逆側からみた通訳者の位置づけも気になるところです。

NHKはラジオ国際放送で20カ国語くらい発信しているので、人材はいくらいても足りないでしょうね。しかし子供心にも、山口美江がテレ朝でCNNニュースを始めた頃の酷さは覚えてます。

Posted by: hisa | August 16, 2007 at 07:09 PM

おお、『通訳者と戦後日米外交』は面白そうな本ですね。さっそく1クリック注文させていただきました!
それは、それとして、BSの朝の各国のニュースのひどさは、どうにかならないものかと思っているのですが…

Posted by: pata | August 17, 2007 at 07:08 AM

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