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August 24, 2007

『アジア・太平洋戦争』

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『アジア・太平洋戦争』吉田裕、岩波新書

 岩波新書の『シリーズ日本近現代史』も6巻目。ついに『アジア・太平洋戦争』となりました。

 改めて思ったのですが、昭和20年までの昭和史というのは、全体像が解明されないまま、ずっと残っているな、という印象ですね。ひとつには、敗戦直後に陸軍、海軍とも大量の証拠書類を焼却したということがありますし(これで東京裁判の国際検事たちは苦労するわけです)、天皇制がタブーとして残ったということもありますし、冷戦構造の中で追放された戦前の指導者たちが復活、あまつさえA級戦犯だった岸信介さんなどは首相にまで登り詰めてしまったというような複雑さもあるわけです。

 しかし、物語としての全体像をうまく描けないからといって、南京大虐殺はなかったとか、対米開戦はアメリカ側の謀略だなどというデマがはびこるようでは困るわけで、だれでも入手できるような新書という形で、こうした本が出版される意味は、それなりにあるわけです(事実、そうしたデマゴギーに対しては、意識的に本書の中で論破していきます)。

 それにしても、とため息をつきます。目次の後に見開きで掲げられている《アジア・太平洋戦争関係地図》を見ると、なんとまあ、短期間に日本軍は太平洋の東半分を陥れ、いくら点と線の支配だったとはいえ中国大陸を含めると、巨大な地域を支配したのか、と。しかも、無計画に…。

 ミッドウェーと同時に計画されていたFS作戦は《アメリカとオーストラリア間の連絡線を遮断するため、ニューカレドニア、フィジー、サモア諸島を攻略しようとした》(p.89)んですから気宇壮大すぎ。ぼくはガダルカナルなんかになんで航空基地を設けたのか、あまりよくわかっていなったのですが(単に偵察機を飛ばしていたら飛行場建設に適した土地を見つけたので、ついでにつくってしまえ、ということで建設したなんていう伝説もあるぐらいで)、これって構想だけにせよFS作戦のためだったんですね。米軍もこの構想には驚いたらしく、ガダルカナルに上陸し、42年末に日本軍は撤退します。

 珊瑚海、ミッドウェーでの空母同士の戦闘後も日本軍は総合力でやや米軍を上回っていたということですが、ガダルカナルで無駄に海軍、航空戦力を消耗してしまったことで大きなダメージを受け、戦争経済が本格的に稼動しはじめ戦力を急速に充実していたアメリカとの差は開くばっかりの展開になっていきます。《特に初期作戦の成功を支えてきた熟練した航空機搭乗員を多数失ったことは、致命的だった。また、ガダルカナル島への輸送作戦のため、多数の新鋭輸送船を失ったことも、日本の戦争経済に大きな打撃を与えた》(p.90)といいます。

 ガダルカナルでの陸軍の戦死者2万1000人のうち、《約七〇%は食糧や医薬品の補給が断たれた状況下で生じた広義の餓死者だった》(p.91)というあたりは、もうここらへんから始まっていたんですね。こうした日本軍の計画性のなさ、結果的にせよ仲間を見捨てる冷酷さに関する記述は何回読んでも、怒りに震えます。そして、ぼくたちの祖父さんたちの無念さを思い涙がこぼれます。

 91頁の餓死者が折り重なっている写真と、230頁の品川駅に着いた復員列車から降りてきた満面の笑顔を浮かべる兵士たちの写真はあまりにも対照的です。

 《生き残って故国と家族のもとへ帰ってくることのできた喜びが、ひしひしと伝わってくる。戦後の日本社会の一つの原点は、兵士たちのこの笑顔にあったはずである》という、230頁のキャプションは感動的です。《本書でみてきたような前線と銃後の悲惨で凄惨な現実が、戦後の日本社会の中に、軍隊や戦争に対する強い忌避感や国家が掲げる大義への根深い不信感を定着させた》(p.231)という指摘は、当たり前かもしれませんが、納得的です。

 ぼくはそれなりに評価しますが、それでも岸信介などのA級戦犯は戦争指導の結果責任において深く日本の人々に対して罪を負っていると思います。その孫で「美しい国」などと言っていた首相は、そこらへんのことを甘く考えていたんじゃないでしょうかね。南洋の島々やインパールなどでのおびただしい餓死者というのは、深く日本の人々の無意識に刻みつけられているんではないかと思います。それと詰め込みすぎの兵員輸送船が潜水艦から攻撃されての海没者。餓死者と海没者という無駄死の多さというのは、日本軍の特徴ですね。こうした最悪の作戦を指揮しながら生き残った将官などは、よく畳の上で死ねたと思いますわ。

 あと、東条英機はラジオと記録映画というメディアを意識的に利用した最初の政治家であった(p.76)という指摘は新鮮。彼は日本人が誰でも顔を思い浮かべることのできる最初の首相となり、またヒトラーの真似をしてオープンカーに乗るが好きだったそうです。こうした東条について《陸軍大臣や、総理になつた時の様子を見ると、何かと芝居かがりな点が多い。かねて聞いていたが、東条の家は元々能狂言の筋だといふから、これも尤もだらう》(p.79)と評した宇垣一成大将の日記には驚きました。なるほどな、と。

 東条内閣が瓦解するのはサイパン陥落を受け、岸信介が辞任戦術をとったことが大きかったといわれていますが、その前哨戦におけるマリアナ沖海戦では、アメリカの機動部隊を発見した日本海軍が遠距離から攻撃隊を発進させるも、それをレーダーで探知されて待ち伏せされ、残った攻撃機も対空砲火で撃ち落とされるという「マリアナの七面鳥撃ち」(p.146)と呼ばれる一方的な戦闘だったというのは知りませんでしたね。これが日本海軍の機動部隊による最後の戦闘で、事実上、この後、世界の歴史では空母同士の大規模戦闘というのは行われていません。緒戦のマレー沖海戦でも帰還機の被弾率は40%は超えていたそうで、連合軍の対空砲火の強力さを、日本軍は甘くみていたんでしょうね(p.58)。

 あと、日本の敗戦が近づくにつれ、日本の国内の株価がジリジリと上がっていったというのは、すごい話だな、と思いました(p.203)。東京大空襲の中、土地を電話で買いあさっていたという堤康次郎なんかの話を思い出します。

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