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August 19, 2007

『国のない男』

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『国のない男』カート・ヴォネガット、NHK出版、金原瑞人(訳)

 今年お亡くなりになったヴォネガットさんの最後の本は、エッセイ集。ヴォネガットさんは、なんか、司馬遼太郎さんの最後の方がそうであったように、フィクションともエッセイともいえるような、なんとも渾然一体となったような文章になっていっています。でも、それが決して身辺雑記にならないところが偉いな、みたいな。でも、『スローターハウス5』の時代からずっと続いている独特なカリグラフィーが懐かしいですし、長年のヴォネガットさんのファンに対する『タイムクエイク』から続く長いお別れの完結篇になっているようにも感じます。

 《わたしは末っ子だった。どこのうちでも、末っ子というのはたいがいジョークがうまい。そうでないと、大人の話に混ぜてもらえないからだ》(p.12)という出だしからいいです。そして、大好きな『スラップ・スティック』を捧げているローレル&ハーディにもふれています。《彼らのジョークに は、かなり悲劇的な要素があったからだ。だがふたりのジョークはとてもやさしいところがあって、いまの世界では生き残れそうにもない》(p.14)というは自分自身のことなのかもしれません。

 もう、最後だと思っていたからかもしれませんけど、右傾化するアメリカ社会の中で《「社会主義」は決して悪いものではない。それは「キリスト教」が悪いものでないのと同じだ》《実際、キリスト教と社会主義は似たようなもので、ひとつの社会を理想としている。それは、男も女も子どもも、すべてが平等で、飢えることのない社会だ》(pp.23-24)と思い切ったことも書いています。

 極めつけはこれ。マルクスの「宗教は民衆のアヘンである」という有名な言葉について。

 《ところで、マルクスがそう書いたとき、われわれアメリカ人はまだ奴隷を解放していなかった。当時、慈悲深い神の目には、いったどちらが喜ばしいものに映っただろう。カール・マルクスか?アメリカ合衆国か?》(p.24)

 そして、父親から相続した缶詰工場を労働者たちに譲ってしまったという、いかにもアメリカ人らしい理想主義的な社会主義者、ハプグッドについて語ります。ハプグッドはハーヴァードを卒業しているのですが、ある裁判で裁判長が彼にこう聴いたそうです。

 《「ハプグッドさん、あなたはハーヴァードを卒業なさったのでしょう。そんな学歴のある方がなぜ、こんな生活をお選びなったんですか?」ハプグッドはこう答えた。「はい、キリストの山上の説教を実践したいと思ったからです、裁判長」》

 山上の垂訓に関して、他でも言及されています。

 《イエスがあの「山上の説教」を行っていなかったら、あの慈悲と哀れみのメッセージを残していなかったら、わたしは人間でなんかいたくない。ガラガラヘビのほうがまだましだ》(p.89)

 《「慈悲深い人は幸せだ!」を法廷にどうだろう?「平和を作る人は幸だ」を国防総省にどうだろう?》(p.1106)

 アメリカのクリスチャンには十戒を公共の場に貼ってほしいと涙ながらに訴えるグループがいるそうです(おそらくはファンダメンタルなグループでしょう)。しかし、かれらのうち誰ひとり山上の垂訓を貼ってくれとは言わない、とボネガットはいぶかります。

 「山上の垂訓」に感動しながらも、内部統制と外部対抗には「十戒」を用いるクリスチャンたち。これは、理想主義を掲げる集団の、いつまでも解決されえないアンビバレンツでしょうね。ですから、こういうことになるんだと思います。《うちの大統領はクリスチャンだって?アドルフ・ヒトラーもそうだった》(p.96)

 音楽に対しても感謝の念を捧げています。

 《奴隷所有者の自殺率は、奴隷の自殺率をはるかに超えていたらしい》《マリによれば、その理由は、奴隷たちが絶望の対処法を知っていたからということだ》《ブルースは絶望を家の外に追い出すことはできないが、演奏すれば、その部屋の隅に追いやることはできる。どうか、よく覚えておいてほしい》(p.77)

 はい。

 そして、ブッシュ政権に対して、同じ共和党出身者であるリンカーン(16代大統領)が、ポーク大統領(11代)を批判する言葉をもって強烈に弾劾します。ポークはテキサスとオレゴンの即時併合を主張し、メキシコ軍がリオグランデ川を渡ると「メキシコが侵入した」としてメキシコ領内に侵攻、1848年の講和条約でカリフォルニアなどを獲得したというブッシュ・ジュニアを彷彿とさせるような人物です。そのポークが進めたアメリカ・メキシコ戦争を下院議員であったリンカーンはアメリカの恥と考えていて、こう批判します。

 《弾劾を免れるため、彼は、国民の目を華々しい戦いの輝ける栄光に向けておいた。あの魅力的な虹は血の雨のなかにのみかかる、と知っていながら。破滅へと人を招きよせるヘビの目をぎらつかせて、彼は戦争に突入していったのだ》(p.84)

 ヴォネガットはこう記します。《脱帽だ!作家だなんて名乗るのが恥ずかしくなってきた》

He_tried_vonegut

 最後に。

 ぼくはボネガットさんに、彼自身のこの言葉をかけてあげたい。

 《彼はがんばった》(『チャンピオンたちの朝食』p.55)。

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