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July 15, 2007

『バスカヴィル家の犬』

Baskervilles

『バスカヴィル家の犬』コナン・ドイル、日暮雅通、光文社

 06年1月から刊行開始となった日暮雅通氏の個人訳『新訳 シャーロック・ホームズ全集』でもいよいよ『バスカヴィル家の犬』が発売されました。

 ホームズものは、もちろん子供の頃に読んでいたのですが、最初に読み直したのは社会人になりたてぐらいの時。開高健さんがアマゾンを旅した『オーパ!』の中に、シャーロック・ホームズの全集を持ち込んで、ずっと読んでいたという記述があって、「あ、いいな」と思って久々に読み直したんです。

 その後も、短編集の『冒険』『回想』を中心に、旅先なんかにもっていったりしました。ちなみに、旅行に持って行く本としては山口瞳さんのエッセイ集、夏目漱石の小説の次ぐらいにホームズものの短編集が多いかもしれません。

 『バスカヴィル家の犬』 (The hound of the Baskervilles、1901)は少年版で読んで以来。ほとんど忘れていましたが、ホームズが少年にカラーを届けさせたなんというところは妙に覚えていましたね。あと、タイムズの活字を切り抜いた脅迫状で、昔読んだ少年版では「沼に近づくな」の「沼」という単語がなかったので、そこだけ手書き文字だったということになっていたと思うのですが、日暮訳では「ムアに近づくな」になっていました。ダートムアなどのmoorだったのかぁ!と数十年ぶりに目ウロコでした。訳注では《ムアはイングランド北部やスコットランドによく見られる荒れ野で、ヒースやハリエニシダが生い茂る。土壌の水はけが悪く農地には不適》(p.318)とあります。いまや、毎年、全英オープンがライブで放映されますが、これからはあの荒涼としたゴルフコースのラフに生い茂っているヒースやハリエニシダの姿を見るたびに『バスカヴィル家の犬』のムアを思い出すことになるでしょう。

 丸谷才一さんの『ロンドンで本を読む』でホームズものはイギリスの国民文学であるという視点を教えてもらっていたばかりだったので、改めてそうした目で読んでみましたが、当時のロンドンでの生活の様子が、これほど活き活きと、しかも魅力的に描かれている作品というのは、やっぱりないんだろうな、と思いました。あと、当時すでに、独身の男が孤独ながらも、自分の好きなことをやりながら、自分のスタイルを貫いて生きていくということがロンドンでは可能だったんだな、と。

 『一六世紀世紀文化革命 1』山本義隆を読んで、外科医が内科医から奴隷のように扱われていたというか、床屋さんのアルバイトというか、内科医の手下みたいな職人として見られていたという指摘に驚いたのですが、『バスカヴィル家の犬』でも、ホームズに事件を依頼しにきたモーティマー医師が《「ドクターはよしてください。ミスターで十分です。一介の王立外科医会会員というだのことなんですから」》(pp.19-20)と謙遜するあたりは、「おお!19世紀末から20世紀に入ってからも、まだそんな感じが残っていたのか!」と驚きました。しかも、訳注で《怪我の治療やかんたんな手術を業務の中心とする外科医は、患者の診断と薬を処方する内科医よりも低い位置に見られていた》(p.316)と書いているのはさすがですね。

 ニコルソン・ベイカーは『中二階』の中で註こそが、本と本を結ぶ巨大なネットワークをつくっていると書いていて、なるほどな、と思ったのですが、そんなことも思い出しました。ヘミングウェイではありませんが『何かを見ても何かを思い出す』みたいな。

 シドニー・パジットのオリジナルの挿絵も素晴らしいな、と改めて思いました。

 あと、島田荘司さんが『バスカヴィル家の犬』の成り立ちについて簡潔に紹介してくれている解説が良かったですね。ドイルはホームズを一度は葬ったのですが、その復活を待つファンは多く、『バスカヴィル家の犬』はバートラムというホームズものの熱狂的なファンであった男性が書いたストーリーのオリジナルを元に、ドイルがホームズものに書き直したというんですね。この提案を行ったのは版元。当初は逃げ回っていたドイルなのですが、最後は改作に同意してほぼ共作として世に送り出したというんですわ。しかし、バートラムは33歳で急逝してしまい、やがて忘れ去られてしまった、と。

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