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July 18, 2007

『あの戦争になぜ負けたのか』

Ano_sensou

『あの戦争になぜ負けたのか』半藤一利、中西輝政、福田和也、保阪正康、戸高一成、加藤陽子(著)、文春新書

 夏になると、いつも、15年戦争に関する本を一冊は読むことにしています。なぜ、あんな戦争に突入していってしまったのか、ぼくたちのお祖父さんたちは兵士として米国とソ連軍からなぜあんな虐殺を受けなければならなかったのか、そしてアジアの人々になぜあんなに残虐な仕打ちをしなければならなかったのかーという問題意識は、常に8月15日の敗戦記念日を期に思い出さなければならないからだと思っているからです。今回はちょっと時期的には早いのですが、 加藤陽子さんの岩波新書のシリーズ日本近現代史5)『満州事変から日中戦争へ』を読んで、この方に興味がわいたので、簡単に読める文藝春秋誌上での対談を元にした新書に手を出してみた、という感じです。

 全体は対談と、対談参加者による補足的文章の二部構成。

 座談会の「1.対米戦争の目的は何だったか」では、当時の日本の指導部が《「自存自衛」と「大東亜新秩序建設」の間を迷走していますね》(p.16)という加藤さんの指摘が印象的。最近、いろいろ本を読んでいる中で、徐々に自分の中で変わりつつある印象がありまして、それは開明派の海軍というイメージ。『情と理 後藤田正晴回顧録〈上〉』で陸軍に招集された後藤田さんは《海軍くらい宣伝のうまい軍隊は少ない》(p.58)と書いていますが、そんな一面もあったんだろうな、と。ちょっと、この"感じ"をうまく伝える言葉はまだないのですが…、例えば国家社会主義者の集まりでもあった陸軍は、仮にも他国を攻める際には「大東亜新秩序建設」というスローガンを打ち出すのですが、海軍はそれを無視していたそうです。もっとも、そうしたイデオロギッシュなところもあった陸軍も、シンガポールとインドシナ攻略後、石油を確保してしまったことに安住して、ビルマからインドに攻め入ってインドを解放するという作戦をとらなかったわけですが…。なんか、劉邦が秦の食料集積地であった敖倉の食料を手に入れて陽の北の広武山に居座ったみたいな意地汚さを連想してしまいます。もしビルマを攻略した後に、チャンドラ・ボース(社会主義者であり彼の意志を継ぐ全インド進歩連合は左翼政党)を急遽、呼び寄せ、先頭に立たせて、アラカン山脈を越えてインドに侵入し、イギリス支配を打ち破るという作戦を考えていれば、アジアの日本に対する見方も随分、違ったものになっていたかもしれなかったと思います。と同時に敗北が決定的となり、制空権も失った後に計画され、多くの日本人兵士が餓死するだけに終わったインパール作戦の無意味さ、無念さも改めて際だつな、と感じます。

 「2.ヒトラーとの同盟は昭和史の謎」で印象的だったのは、《日本が"神がかり"になり、「変調」が誰の目ににも明らかになった》(p.28)のは三国同盟だったという保坂さんの指摘。ロシア、フランス、イギリスに挟まれているドイツは常に二方面作戦を感がえざるを得ず、ドイツにとっての日本はロシアを挟み撃ちにしてくれるということに価値があった、という方向に座談会は流れていきます。じゃなかったら黄禍を気にしていたヒトラーが日本と同盟を結ぶことなんかありませんもんね。日本はこの時、ドイツの破竹の進撃に賭けていたんでしょうが、実は、その時すでにバトル・オブ・ブリテンでドイツの空軍は破滅的な打撃を受けていたというのは皮肉というか、そんな情報収集力もなかったのかよ…と情けなくなります。閑話休題ですが、戦後のドイツがヨーロッパ主義を選択したのは二方面作戦が国力からいって無理だということを二回の世界大戦敗北で骨身に染みてわかったということなんじゃないですかね。一方の日本は、後藤田さんの印象的な言葉を借りれば、ナチス・ドイツの破竹の勢いに賭けるだけで《国運のかかる戦争に必勝の公算もないまま突入》(p.53)していったことへの反省は真に骨身に染みていないんじゃないでしょうか。日本の戦後は、今現在、世界で二方面作戦を行えする唯一の超大国であるアメリカについていけばいいというか「今度は一番強いのと組んでいるから大丈夫」という同じような"他人まかせの戦略"だけのような気がしてなりません(だからといって他の選択肢はないとは思いますが)。

 「3.開明派-海軍が持つ致命的欠点」で印象的なのは《ガダルカナルから、ラバウルにいたる攻防を見ていくと、海軍の「自立性」がいかにきな災厄をもたらしか、よくわかる》(p.80)という指摘でしょうか。海軍はミッドウェーの敗北に関しても陸軍に本当のことを伝えなかったというんですからねぇ。だいたいミッドウェーなんて、軍神となって"神がかり"となってしまっていた山本五十六が、ハンモックナンバーが一番上だったというだけの素人の南雲に指揮をとらせて虎の子空母4隻を失うという最悪の結果になってしまいましたしね。

 「4.陸軍エリートはどこで間違えた」では、日本の陸軍の餓死者は戦死者の70%を占めていて、もしこれがアメリカだったら《大統領が刑事告訴されますよ》(p.99)という話と、加藤さんの皇道派の小畑敏四郎など荒木貞夫周辺の人物には《イスラム教勢力の活用、宗教や思想の利用といったところにまで目配りしていました》(p.94)という指摘は面白かったですね。

 この調子でやっていくと終わらないのですが、最後に特攻に関してだけ。議論は、特攻に関する英雄論と犬死論は、どちらも生者の奢りが感じられる。特攻を行ったという事実は《戦後日本の隠れた抑止力になっている》(p.195)というあたりから始まります。なるほどな、と思わせる半分、しかし、それでも二部の戸高一成「果たされなかった死者との約束」は重いと思います。

 戸高さんは昭和19年8月25日に《陸海軍の人事制度の中に「掌特攻兵」という特修兵を加えている。同時に各地の海軍航空隊では、生還を期し得ない新兵器の搭乗員、つまり特攻要員の募集が始まっているのである。この決裁書類には天皇が御璽を押印しているのであるから、この時点で特攻兵の何たるかは、一定の説明を受けていた可能性はある》(p.248)と書いています。そしてほとんどの特攻隊員は、指揮官の「自分たちも後から必ず行く」という訓示を受けて、遅かれ早かれしょうがないと諦観して出撃していった、と。しかし、最後に行く約束だった指揮官の多くは、終戦と同時に「死ぬことよりも、戦後の復興に尽くすことが重要」だとして、こうした約束をすっぱり忘れた、と。

 《他人に死を命じながら、命を懸けた約束をきれいに忘れ去った人間と、これを許容した社会が作った戦後、命を懸けた約束でも、状況が変われば破っても良いという戦後が、どのようなものになったか、日々眼前に見るとおりである》(p.251)という言葉は痛烈です。

 何回も引用しますが、後藤田さんの岸信介首相に関する《戦犯容疑で囚われておった人が日本の内閣の首班になるというのは一体どうしたことかという率直な疑問を持ちました》(上巻、p.172)という言葉が改めて思い出されるとともに、今の美しい国の首相の祖父が岸信介首相であったというとにも改めて思いをいたします。

第1部 [座談会・あの戦争になぜ負けたのか(対米戦争の目的は何だったのか]
1.対米戦争の目的は何だったか
2.ヒトラーとの同盟は昭和史の謎
3.開明派-海軍が持つ致命的欠点
4.陸軍エリートはどこで間違えた
5.大元帥陛下・昭和天皇の孤独
6.新聞も国民も戦争に熱狂した
7.真珠湾の罠 大戦略なき戦い
8.特攻、玉砕、零戦、戦艦大和

第2部 [あの戦争に思うこと]
「空しかった首脳会議」半藤一利
「八月九日の最高戦争指導会議」保阪正康
「私の太平洋戦争観」中西輝政
「果たされなかった死者との約束」戸高一成
「戦わなかった戦争から学ぶということ」福田和也
「戦争を決意させたもの」加藤陽子

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