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May 30, 2007

『首相官邸の決断』

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『首相官邸の決断 内閣官房副長官 石原信雄の2600日』御厨貴、渡辺昭夫、中央公論社、1997

 政策研究院のオーラルヒストリー第二弾が竹下内閣から村山内閣までの7年間を支えた石原信雄内閣官房副長官。石原氏は都知事選で青島幸雄さんに負けたパッとしない候補というイメージが一般には強いかもしれませんが、87年11月から95年2月までという、戦後政治の大転換点(自民党単独政権の崩壊)を首相官邸から定点観測し続けるだけでなく、当初は閣議のやり方もわからなかったという細川内閣では、事実上、官邸を仕切りまくっていたという人物です。

 しかし、大統領制をとっている国からしてみると、首相が変わっても内閣官房副長官や総理大臣秘書官がかわらなかったというのは考えられなかったことでしょうね。当時、こうした秘書官として内閣に出向していたある官僚の方から聞いた話ですが「日本というのはどういう統治システムをとっているのかとフランス人から詰問された」そうです。この方も連立政権ならでは引き継ぎ作業が長引いたことで、本省に戻るタイミングを逸し、次官になれなかったのですが、都知事選の敗北を含めて、いろんな影響を与えていますよね。

 相前後として読んだ『後藤田正晴回顧録』で印象的なフレーズがありました。それは後藤田さんが警察庁長官当時、東京都議会を押えていた公明党の協力を得るために池田大作創価学会会長に会った時の話です。ひととおり用向きの話が終わって帰り際、後藤田さんは池田会長に「あなたが目指しているのは体制内改革か?」と問い糾したそうです。池田会長は「もちろん体制内改革です」と答え、以来、創価学会はウォッチする対象から(表向きは)外されたということなんですが、これって、歴史を少しさかのぼれば「国体を護持するかどうか」という問いかけと同じなのかもしれませんな。後藤田さんは60年安保の連中はみんな右翼になり、70年安保の連中も騒ぎたかっただけで季節が終わればサラリーマンになったが、日本共産党だけは違う、として警戒を怠らなかったそうです。これはちょっと逆な意味でショックでした。それにしても、70年安保の年代といいますか、団塊の世代というのは、本当に安く見られてますよね…。まあ、実際、大した実績は残さなかったわけではあるんですが。

 まあ、そうしたことはさておき、このオーラルヒストリーは石原信雄さんが都知事選に敗れた後に書かれましたから、後藤田さんのような、政治家特有の豪快な発言もなく、なんというか官邸の歳時記みたいな味わいの本です。

 ただ、最初の方に書かれていることで、いま思うとなるほどな…と感じることがあります。それは最大派閥のトップが総理総裁をつとめ、仲の良い第2派閥のトップが自民党幹事長で睨みをきかせるという盤石な竹下内閣が《少しガタガタが始まったのは、翌年の七月二十三日の潜水艦「なだしお」の事故から》(p.18)というあたり。運悪く土曜日の、しかも午後三時という中途半端な時間に発生したものだから、対応が遅れに遅れたほか、運輸大臣が今の石原都知事で、海難事故なので葬式を運輸省(当時)でやってくれないかという官邸の意向を「一方的に自衛隊が悪者になる」と右翼チックに蹴ったりしてゴタゴタ続きだったそうです。

 その後、川崎市役所から始まったリクルート事件が燎原の火のように内閣まで広がり、消費税導入の反発もあって、あっけなく倒れるわけです。いまの安倍内閣は、小泉元首相の主席秘書官だった飯島さんが『小泉官邸の真実』で語ったところによると、好きなだけ続けることができるそうですが、最近の一連の動きをみていると、投げだしてもおかしくないような感じになってきているんじゃないのかな、などと感じたりもします。だって、あの竹下内閣だってドーンとぶっ倒れたたんですからねぇ…。

 聡明な上にすべての情報を把握しているといわれた竹下首相ですが、傀儡政権に指名した宇野内閣は《スタート早々から天安門事件、女性スキャンダル、サミット、そうしてその間。リクルート事件、農政不信、消費税問題という三つの逆風がお互いに強めあう》(p.53)という状況になり、あっという間に辞任。同時に経世会のリーダーシップも竹下元首相から、金丸信と小沢一郎コンビに移ります。しかし、あの竹下さんが、女性スキャンダルを知らなかったというのは…よっぽど焦ったんでしょうかねぇ。

 次に政権を任されたのは最小派閥の、しかも《ナンバー3ぐらい》(p.57)だった海部俊樹。後に官房長官となる派閥の先輩議員である坂本三十次氏からは「海部くん」と呼ばれていたそうですから、首相の権威もあったもんじゃありません。当初は穏やかな船出だったものの、やがて湾岸戦争が勃発し、PKO法案などの難問が噴出する中、アメリカからは日本の貢献が"TOO LITTLE, TOO LATE"と批判され、国内政治でも政治改革法案を梶山国対委員長に潰され、面目を失ったあげくの果てに「重大決意」発言をするも、金丸・小沢コンビからはハシゴを外されて解散権を行使できずに総辞職することになります。

 海部内閣を潰した梶山国対委員長は、続く宮沢内閣も幹事長として政治改革法案に消極的な姿勢をとることで、小沢氏らの離党、内閣不信任案可決、総選挙、細川連立政権を招くことになります。この宮沢さんに対する石原官房副長官の評価は高いんですな。もう総辞職を決めた後、サミットのホスト国として大統領になったばかりのクリントンを迎えたそうなんですわ。で、もうじき首相は辞めるけど寿司屋で接待したそうです。その時、クリントンは日米経済摩擦で数値目標にこだわった議論を仕掛けてきたそうですが《「いや、数値目標はいけない。それは管理貿易になるんだ」と、政治家の大先輩として、若い大統領に懇々といって聞かせるという感じでした。それはもう大変な…クリントンのアーカンソー訛の英語よりも、それこそ宮沢総理のほうがいいというぐらいな、オーソドックスな英語だといわれるぐらい英語が上手な人ですからね。まあ、とにかく、ああいう場面でもやはり、総理としての風格は感じました。歴代総理大臣ではいちばん、そういう意味で風格があるという感じがしましたね》(P.104)ということらしいです。

 宮沢さんは語学の達人だっただけでなく漢籍にも明るかったそうですが、まあ、互いに官僚出身ということもあって評価が高いのかもしれません。逆に細川さんなんかは「殿様ですから」と片付けられてしまっています。

 この時期、PKO法案、国民福祉税構想、羽田政権崩壊の引き金となった「改革」の立ち上げなどのトラブルメイカーとなっていたのが民社党の大内啓伍委員長だったそうです。

 あと、《不思議にトラブルが多いのは夏休みの時期なんです。本当にこれは意地悪ですよね》(P.191)というのも実感でしょうな。

[目次]
第1章 昭和から平成へ―竹下登・宇野宗佑内閣
第2章 90億ドルの決断―海部俊樹内閣
第3章 教養人宰相の賭け―宮沢喜一内閣
第4章 殿様、官邸に入る―細川護煕内閣
第5章 社会党総理の危機管理―羽田孜・村山富市内閣
第6章 首相官邸の日常

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