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May 17, 2007

『ミクロコスモス II 』

Mikrokozmosz2

『ミクロコスモス II 』中沢新一、四季社

『ミクロコスモス I 』がA面なら、IIはB面という感じで編集したということですが、面白い情報はこっちの方が多いような気がします。

 《沖縄の小さな村で老人から聞いた話でした。昔の沖縄の村では、稲が開花期を迎え、受粉がおこなわれる期間になると、村中が音を立てなくなってしまったそうです。沖縄の言葉で「ヤマドーミ(山留)」と言いますが、ヤマドーミの期間、村の人たちは三線も演奏しませんし、歌も歌いません。家の中で物音を立てることも控えていました。そして静かにしていると、稲の精霊たちが落ち着いて作業をすることができる。ひじょうにデリケートで危険な時期を無事に通過することができると言われていました》(p.36)

ちょっと美化されている感じもしますが、いい話ですよね。

 ミッシェル・セールの『自然契約』について、モーセの十戒は《「自然」を否定することから発した契約なのである》《砂漠の環境に踏み込んでいった彼らは、そこで、自然とのあいだにはぐくまれていた自然な関係が維持さなくなったばかりではなく、自然的な世界で形成されてきた人間同士の社会関係さえもが、もはや支えきれなくなって、ついに崩壊してしまう危機を体験した。そこでモーセは、超越的な唯一神と契約を結ぶという、壮大な宗教的回路をつくりだすことによって、砂漠化した世界に、新しいタイプの人間的な秩序を打たてようとして、それに成功したのである》(p.64-)なんてあたりの書き方というか、思い切りのよさは、中沢さんが宗教について書くときに共通していますね。

 後ろの文章ですが《ヒンドゥー教はこの宇宙そのものを、神々の見るたくさんの夢として考えるという視点を打ちたてることによって、世界からの超越を実現しようとしたのである》(p.177)なんてあたりもなるほとな、と。

 《知恵はいついかなる場合にも「中道」を歩んでいこうとするものである》(p.81)とまとめられているセールですが、ぼくなんかもハナっから無視してきたような人なので、一冊ぐらい読んでもいいかな、と思いました。

 《「私」のもつ財産を譲り渡せば、「私」という存在まで、その人の所有と支配下に入る。所有物を譲渡するための儀式というのは、たいへんなものでした。まずは、その財産を、誰のものでもない空間に譲り渡し、いったん無縁のものに変換して、それをまた別の人間が譲り受けるという形がおこなわれていました》(p.135)、というあたりは叔父さんである網野善彦さんの"無縁の経済学"の基本となる考え方を、わかりやすく敷衍してくれています。日本の中世で、女性たちは男性に名前を知られるのを極端に恐れていて、それは名前を知られてしまうと、その人の所有物になったも同然という考え方があったからだ、なんていうことも思い出させてくれます。

 バルタバスの馬との舞踏(ジンガロ)に関して、《乗馬の技術は、人と馬が一体になったハイブリッドな生き物を出現させる》(p.150)なんて言い方もカッコ良いな。ケンタウロスは人が乗った馬そのものだったんですな。

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