« CL Round of 16 2nd.leg | Main | 「玉ひで」の親子丼 »

March 07, 2007

『この国のすがたを歴史に読む』

Konokuni_amino

『この国のすがたを歴史に読む』網野善彦、森浩一、大巧社

 歴史学と考古学の交流といいますか、網野善彦さんと森浩一さんとの対談は『馬・船・常民 東西交流の日本列島史』も面白かったので相性はいいみたいですね。

 お二人に共通しているのは、常民といいますか農業などのかたわらに大工仕事などをやっていた日本のフツーの人々の能力の高さへの評価。石器時代から、この列島に住む人々は良い道具をつくるためにサヌカイトを神津島に取りに行くみたいな職人的なこだわりをもっていたのではないか、なんてあたりは素晴らしい(p.97)。関東では天城や箱根でも黒曜石は出るらしいのですが、良い道具にはならないので、わざわざ海をわたっていく、みたいな。

 そうした流通が古代から広範囲に行なわれていて、弥生以降は孤立した集落が自給自足の農業を行なっていた、みたいな静的な社会のイメージを壊したいという網野さんのモチーフが全編にわたって、にじみ出ています。

 後漢時代の江南あたりにいた王充が著した『論衡』には倭人が持ってくる暢草がなければ神に捧げる特殊な酒はできない、と書いてあるそうです。暢草が何なのかは不明ですが、加工した酒を持っていかずとも、少ないけれども欠かせない原料を持てば交易は可能だ、ということなのでしょう。江南は和冦とも密接で、元寇でもモンゴル軍と高麗軍の首ははねられたけど、江南軍は殺されなかったそうです(p.101)。なんか深いつながりがあるのかもしれませんね。

 小ネタで面白かったのが、『播磨国風土記』で蚕のことがヒメコとあるということから、卑弥呼は蚕にまつわる支配者である可能性もある、というあたり。ちなみに、雄略紀に皇后は養蚕をやらなければならないと書かれていて、今の皇后もやっている、とのことです(その間ずっとやっていたかは不明ながら)。

 あと、薄い銅鐸っていうのは今の技術でもつくれないっていうんですね(p.173)。これは信じられませんねぇ。

 さらに小ネタでは、森さんが中国に行って授業をやった時、「ギリシアとペルシアは」というと、通訳が止まってしまったそうです。ギリシアの国名はとてつもなく難しい漢字で、それを思い出すのに苦労するそうです。これで思い出したのですが、中国の方はあまりメモをとらないんですね。個人的には相当、記憶力に自信があるのかな、と思っていたのですが、それは難しい漢字をいちいち書いてられない、ということもあるのかな、と思いました。まあ、その点、カタカナを使える日本はコミュニケーションが楽ですし、工場の現場の人も特許の文章がかけるから特許なんかもバンバンとってしまう、なんていうあたりまでお二人は語ります(p.186)。

中国との関連ではさらに面白い話がふたつありまして、ひとつは『旧唐書』に書かれていた話。遣唐使が向こうで換金しようとして布を持っていったらしいのですが、その布は租庸調の「調」であった品で、その主旨のことも書かれた布きれがついていのですが、中国の市場の人から「農民がそんなに立派な布は織れないし、字も書けないはずだ」「倭人は嘘つきだ」と言われたそうです(p.201)。さらには、寛永通宝事件というのがあって、こんな立派な貨幣をつくることができるのは隠れた反乱王朝ではないか、というほど清朝で大騒ぎになったことがあったらしいのですが、中国の王朝が腰を抜かすほどの出来映えだったそうです。

 最後、網野さんが《日本列島は海を通じて四方に開かれており、しかも、アジア大陸の北と南をつなぐ架け橋のような役割を果たす位置にある》(p.262)という言葉は印象的。

「寛永通宝事件」

「中国で貨幣というのは時の王朝の象徴であり、皇帝が変わることに年号を変えて貨幣を新たに造っていた。浙江沿岸で発見された寛永通宝が役所に届けられたところ、隠れた反乱王朝の貨幣ではないかと思い込んだ清朝があわてて官吏を派遣して調査に乗り出したという事件である。この事件は後に、明末に日本から伝わった「吾妻鏡」によって、寛永という年号が日本のものとわかり、問題が氷解したものである」

|

« CL Round of 16 2nd.leg | Main | 「玉ひで」の親子丼 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

Comments

桜井英治氏が『室町人の精神』でごく簡単に書いています。
中世を通じて銅銭と紙幣発行を計画したのは、大内裏造営費用を捻出しようとした後醍醐天皇だけだそうです。大宮殿を造営・居住することなく、異民族との軍事的脅威にさらされることもなかった日本は「安上がりな国家」だったと表現しています。
中国とその隣国型国家は、高コストな戦時体制としての律令制を採用しており、その維持に銅銭自鋳を必要とした。一方、ジャワと同様に中国銭と私鋳銭(模倣)が使用された中世日本は、辺境型国家へ移行したのではないかと桜井氏はみています。

極端な物価下落もなく、貿易だけで通貨供給を賄っていたのだから東アジア全体の開放性は大した規模だったのでしょう。

Posted by: hisa | March 08, 2007 at 08:03 PM

マルクスの語っていた物神性に想いをはせます

Posted by: pata | March 08, 2007 at 11:02 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23829/14178343

Listed below are links to weblogs that reference 『この国のすがたを歴史に読む』:

« CL Round of 16 2nd.leg | Main | 「玉ひで」の親子丼 »