« 泡盛「請福」 | Main | 「利休庵」の春ウドと浅利の酢味噌和え »

March 05, 2007

『グレート・ギャツビー』

Great_gatsby

『グレート・ギャツビー』フィッツジェラルド、村上春樹(訳)、中央公論社

 あまり小説は読まないのですが、先日、新幹線で岡山まで行った時に、『日清・日露戦争』が終わったら読み始めようと思って持って行きました。

 野崎訳の『偉大なるギャツビー』はロバート・レッドフォード主演の映画が公開された頃にチラッと読んだことはありましたが、どうも、しっくりきませんでした。その後、村上春樹さんが、もっとも好きな小説であり、60歳になったら翻訳するという計画を持っていると聞いた時、「どこがいいんだろ」と正直、思ったものです。

 これは、多分に映画『華麗なるギャツビー』の出来が良くなかったことに原因があるのかもしれません。主人公、デイジーにミア・ファローとは…。この映画を製作したロバート・エヴァンズは『くたばれ!ハリウッド』の中で別れた妻というか、『ゲッタウェイ』での共演でスティーブ・マックィーンに奪われたアリ・マッグロウをヒロインに映画化を考えていたんだけど、どうしてもアリ・マッグロウを許すことができずに、ミア・ファローで撮って大失敗に終わる、みたいなことを書いていました。もし、レッドフォード/ファローではなく、マックィーン/マッグロウだったら、大傑作になっていたかもしれないとため息をついたことを思い出します。だって、第一次大戦前に知り合ったデイジーに恋いこがれるあまり、大富豪となって彼女の住む湾で隔てられた反対側に大邸宅を建て、大パーティを催して、その訪れだけをひたすら待つ、なんていう女性はミア・ファローには辛いでしょう。

 そんなこんなで、あまり『ギャツビー』との相性は良くないんですが、さすがに、この翻訳は読ませてくれましたというか、フィッツジェラルドの世界を破たんなく日本語で構築してくれました、という印象です。村上さんの初期の作品はカッコつけて滑ってるだけみたいな印象で、それを荒唐無稽の方向に方向転換することによってリアリティを担保してる、みたいな感じがするのですが、本当に破綻なく描きたかったのは、こういう世界なのかな、と。

 翻訳の技術的な面では主人公、ジェイ・ギャツビーが語尾につけるくちぐせ"old sport"をそのまま『オールド・スポート』としてみたりしたことも話題になりました。ここは野崎訳では「親友」になっていましたが、「ねぇ、君」「おい、君」というニュアンスが強い言葉で、でもサラッと流したい部分でもあり、難しいですね。映画の字幕では、デイジーの旦那が、ギャッビーから「オールド・スポート」と呼ばれたことに対して、「お前から、君なんて言われる筋合いはない」みたいな感じで触れられていたぐらいでした。

 そのデイジーの夫は《スポーツなら何でも来いだったが、とりわけイェール大学のフットボール史上もっともパワフルなエンドの一人として鳴らし、全米にその名を轟かせたものである。二十一歳にして限定された分野で突出した達成を遂げ、そのおかげであとは何をやっても今ひとつ尻すぼみという、世間にありがちなタイプの一人だった》(p.18)というんですが、ここはフィッツジェラルドって上手いな、と思うところですよね。一発で金持ちだけど退屈な男であることをわからせてくれます。ちなみに原文は以下の通り。ここでアップされていますから、ぜひ、原文も味わってください。"Her husband, among various physical accomplishments, had been one of the most powerful ends that ever played football at New Haven?a national figure in a way, one of those men who reach such an acute limited excellence at twenty-one that everything afterward savors of anti-climax"

 それから、デイジーの従兄弟でありギャツビーとの仲を取り持つことになるニックというのは、村上春樹さんの小説の主人公のようでしたね。というか、もちろんニックのような男性を日本にもってきて書いたのが村上作品なのかもしれませんが。こんなところに、その感じが出ていると思います。

《人は誰しも自分のことを何かひとつくらいは美徳を備えた存在であると考えるものだ。そして僕の場合はこうだー世間には正直な人間はほとんど見当たらないが、僕はその数少ないうちの一人だ》(p.113)"Every one suspects himself of at least one of the cardinal virtues, and this is mine: I am one of the few honest people that I have ever known."

《人間の同情心には限界がある。都市の明かりが背後に遠ざかるにつれ、彼らのあいだで交わされた壮絶なやりとりもだだん遠いものになっていったし、そのことで僕らは正直なところほっとしていた。三十歳ーそれが約束するのはこれからの孤独な十年間だ。交際する独身の友人のリストは短いものになっていくだろう。情熱を詰めた書類鞄は次第に薄くなり、髪だって乏しくなっていくだろう》(p.247)"Human sympathy has its limits, and we were content to let all their tragic arguments fade with the city lights behind. Thirty? the promise of a decade of loneliness, a thinning list of single men to know, a thinning brief-case of enthusiasm, thinning hair. "

 ぼくの読み方が悪いのかもしれませんが、ほのめかしに終わっているウルフシャイムとギャツビーが手がけるううさんくさい仕事について、もう少し、ハッキリとわかるようだったらいいな、と思ったのが多少、不満に残りました。

|

« 泡盛「請福」 | Main | 「利休庵」の春ウドと浅利の酢味噌和え »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23829/14144461

Listed below are links to weblogs that reference 『グレート・ギャツビー』:

« 泡盛「請福」 | Main | 「利休庵」の春ウドと浅利の酢味噌和え »