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March 28, 2007

 『新左翼の遺産』

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『新左翼の遺産 ニューレフトからポストモダンへ』大嶽秀夫、東京大学出版会

新左翼もポストモダンも、どちらも魅力的な題材ではなくなってきているのに、ニューレフトがポストモダンを用意したみたいに云われても「ああ、そうですか」で終わってしまう気はするけど、何事も研究対象にはなるわけだし、60年安保世代は生物学的生命を終えつつあり、70年安保世代は社会的ステージから降りつつあるという中で、もう一度、日本独特の左翼のスタイルを考えるのは悪くないと思います。そういった意味からも、第8章「イギリスとフランスにおける新左翼」と結章「国際比較と国際的影響からみた日本の新左翼」はあまり意味がないというか、なぞっているだけなので、先行研究の紹介だけにとどめた方が研究書としてはよかったんじゃないかと。

 ただ、この指摘は個人的には新鮮でした。

 《ただし新左翼は、「反権威主義的参加」を実践的主張としてもっていた。大学運営に関する学生の参加から、企業における労働者の経営参加まで、単なる狭義の政治参加にとどまらない「社会のあらゆる場における民主化」要求としてである。この点で「参加」を掲げるニューレフトと「退出」・「選択の自由」を掲げるネオ・リベラルとは対照的な位置にある》(p.9-10をアレンジ)。

 確かに今の現状では「参加型」か「自由放任」かぐらいしか、争点はないのかもしれません。もっとも、実際の運動の指導者が今もそうなのかというのは知りませんが。今も日本を除いて反グローバリズム運動は大量動員がなされてはいますけど、そうした指導者は「参加型」を本当に信じているんでしょうかねぇ…。ま、いいですけど。

 あとは1958~1974年を「長い六〇年代」という言い方も良かったですねぇ。ぼくが知らないだけなのかもしれませんが。

 まあ、それはさておき。《リーダー格の面々のパーソナリティの影響かどうかはともかく、ブントには、後の新左翼運動が抱えこむことになる暗さがない。運動の高揚期にみられる明るさであったのかもしれない。ブントのリーダーたちは本質的に楽天的で、開放的であり、それが組織の正確に明瞭に反映していた。それはある種のいい加減さが支配していたということでもある。この当時は活動家仲間たちは、一緒によく酒を、しかも酔いつぶれるまで、あるいは朝になるまで飲んだ》(p.48)というのは、いい分析ですよね。

 でも、それは後の新左翼運動だけが暗かったのではなく、日本共産党も暗かったと思います。というかソビエト共産党も中国共産党も旧東欧諸国の共産党も、戦前のドイツ共産党もみんな暗かったけど、ブントだけは70年安保の赤軍派までも含めて、妙に明るかったんじゃないか、と。なにせブント系の末裔ともいうべき赤軍派の歌なんか「キリリと赤ふんしめて♪」みたいなのまであったらしいですから(その明るさも毛沢東路線の京浜安保共闘と一緒になることで、最悪の暗さにはなっていくにせよ…)。

 で、どうして暗くなるのか、という問題ですが、それは著者のように鉄の規律のレーニン主義が問題ではなく、権力奪取を考えていたからではないかと思います。逆に云えば、権力奪取など考えずに、突っ込んでいっただけのブントは祝祭的に明るい、と。

 前も『哲学者廣松渉の告白的回想録』でチラッと書いたことがあるんですけど、1955年の六全協前の日共は本当に権力奪取を考えていたんですよね。独自の軍事力のみでというのはムリなんでしょうけど、朝鮮戦争の当時、戦況が悪くなった米軍が釜山から追い落とされた場合には九州で形だけにせよ武装蜂起して、「臨時革命政府宣言をやって同志スターリンの軍隊の介入を要請するというプランが国際派が正式に決めたものじゃないにせよ暖められていた」というのは貴重な証言だと思います(p.99)。また、今は大手企業の役員を歴任しているような人なんですが、その人から酒席で聞いた話にもリアリティはありました。その人は外語大のインド語学科に武装闘争路線まっしぐらの最中だった日本共産党国際派の指示で入学したというんですわ。で、その理由というのは「日本で権力奪取したら、後はインドをやっちまえば世界革命がほぼ完成する。ついてはお前、革命政府でインド語できるやつも必要だから勉強してこい」ということだったというんですよ。ちょっと気宇壮大すぎるプランにも聞こえますが、実際にゴボウ銃担いだ山村工作隊もガッチリ組織していたんですから、そんなことを考えるような雰囲気は確かにあったんでしょう、

 で、もちろんこうした戦術は失敗に終わるんですが、六全協で日本共産党が武装闘争路線を自己批判して出てきたのが宮本顕治の独裁だったいうのでは目もあてられません。宮顕の独裁がなんで暗いかというば、それは組織を生き延びらせた上でその内側で権力奪取しようとしたことにともなうものだったと思います。また、壮絶な内ゲバにあけくれることになる中核派と革マル派は元は同じ革命的共産主義者同盟でしたが、同じような内部でのヘゲモニー争いに固執するような傾向があったんじゃないかと思います。かつての仲間が内ゲバ殺人で指名手配されたこともある塩崎官房長官の言い分ではありませんが、フツーの人間はとても一緒にやってられないと思いますし、少なくとも「キリリと赤ふんしめて♪」みたいなバカげた歌をつくるようなお気楽な組織ではなかったと思います。

 ブントはパッと散るからそんなバカな歌をつくることもやれるんだと思います。反対に、自分が長い間かけて組織の階段を上ろうなんて考えたら、とてもそんなにノー天気にはやってられないと思いますから。

 また、これも知らなかったことなんですが、70安保の全共闘のスローガンであった「連帯を求めて孤立を恐れず」は谷川雁さんの言葉だったんですねぇ(p.171)。「工作者の死体に萌えるもの」『文学』1958年6月号の中の言葉だそうです。知らなかったな。パブリックドメインの言葉とばっかり思っていたのに。

[目次]

序章 日本政治におけるポストモダン的思想潮流の登場
第1章 新左翼運動の誕生から「ポストモダン型」社会運動へ  
世界的現象としての新左翼の誕生/ポストモダン的発想の登場

第2章 日本における新左翼運動の誕生
「六全協」ショックとその後(1955~57)/日本共産党との訣別(1957~58)/ブントと全学連指導部のパーソナリティとリーダーシップ/ブントの安保改訂認識

第3章 安保闘争における新左翼と既成左翼
安保条約改定反対運動の始まり/11.27闘争における全学連の登場/羽田闘争(1960.1.16)/安保国会と4.26国会再突入/強行採決(5.19)から「東京暴動」(6.15)へ

第4章 安保闘争の中のブントと市民運動 
市民運動の意義/誤解に基づく共闘?

第5章 ブントの遺産
ブントの崩壊/ブントの思想的遺産 反権威主義 享楽性/ブントの理論的遺産/前期新左翼と後期新左翼との非連続性

第6章 新左翼思想家としての清水幾太郎
生い立ち、気質、生き様、政治活動/近代主義者およびブントとの関係/思想遍歴/むすびに代えて----1970年代の清水幾太郎
第7章 ポストモダン思想家としての谷川雁
経歴/「サークル村」運動とその思想/安保と三池の評価/大正炭鉱争議の中の「大正行動隊」/むすびに代えて----その後の谷川雁

第8章 イギリスとフランスにおける新左翼
イギリスにおける新左翼思想----『ニュー・レフト・レヴュー』/イギリスにおける新左翼運動----核武装反対運動/フランスにおける新左翼思想----サルトル、モラン、ルフェーヴル、カストリアディス/フランスにおける新左翼運動----アルジェリア戦争反対運動/ドゴールの登場と反ドゴール運動

結 章 国際比較と国際的影響からみた日本の新左翼
組織・制度上の特徴/活動家の思想上の特徴/ニヒリズムの影

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Comments

pataさん、なるほど、権力奪取意思の存否ですか……でも、フランスLCRってクリヴィヌもブザンスノも明るくて、そのおかげもあってけっこう支持率があったりします(正確なデータは忘れたし、今回の大統領選挙における支持率は低いんですが)。「明るさ」と「権力奪取可能性」って一種の「鶏か卵か」なんでしょうかね、もしかすると。

Posted by: 小田中直樹 | March 28, 2007 at 06:04 PM

権力奪取を考えてると、暗くなってゆくのですね、成る程ね、そうかも、
でも、
1955以降であっても60年まで、
僕は中学生、高校一年生だったのですが、
この期間、とても、ハイで明るい教師が
学校に結構、いましたよね、
中学生や、高校生に向かって教室で、
明日にでも革命が起こるみたいな
ことを言っていましたよ。
しかし、それは歴史的必然で当然、棚からぼた餅式にやってくるような言い方だった気がする。
だから、明るかったのでしょうね。
おそらくその暗さは権力奪取を歴史的必然としての「天命」としてノンシャラに振る舞えないで、
「闘う人事」としてマジに考えた道筋かもしれませんね。
そして、それが内部の人事へとシフトして行く。

Posted by: 葉っぱ64 | March 28, 2007 at 08:28 PM

小田中先生、葉っぱさん、コメントありがとうございます。ようやく見つけたので、こちらで披露しますw

大菩薩峠での無様な大量逮捕の2ヶ月後、神田・全電通労働会館ホールで歌われた「赤軍(あかぐん)の歌」というのがあったそうでして、この冗談のような明るさというかノー天気さはなんなんでしょう、と思ってました。

赤軍兵士は今日もいく
まっかな赤フンきりりとしめて
これぞ男の晴れすがた
たとえ火のなか水のそこ
どこでもいくのがおいらの任務
北鮮、キューバ、パレスチナ
おいらの夢は果てしなく
ロマンの花を咲かせます
ゆけゆけ赤軍、それゆけ赤軍
それゆけ、やれゆけ、カッコよく
ひとりでデッカイ旗ふって
ゆけゆけ赤軍、それゆけ赤軍
(『赤い雪』角間隆、1980、読売新聞社、p.264)

Posted by: pata | March 29, 2007 at 01:09 AM

pataさん、この歌、なんというか……すごいですね。

Posted by: 小田中直樹 | March 29, 2007 at 12:37 PM

いやー、気に入っていただけましたですかw紹介した甲斐がございました。
これ、シャレんならないぐらいすごいですよねw
「明日のジョーである」なんていってハイジャックしちゃう感覚も含めて、明るすぎるといいますか…

Posted by: pata | March 29, 2007 at 03:24 PM

はじめまして。
 貴ブログへの突然の書き込みの非礼をお許しください。
 この度、私たちは「運動型新党・革命21」の準備会をスタートさせました。
 この目的は、アメリカを中心とする世界の戦争と経済崩壊、そして日本の自公政権による軍事強化政策と福祉・労働者切り捨て・人権抑圧政策などに抗し、新しい政治潮流・集団を創りだしたいと願ってのことです。私たちは、この数十年の左翼間対立の原因を検証し「運動型新党」を多様な意見・異論が共存し、さまざまなグループ・政治集団が協同できるネットワーク型の「運動型の党」として推進していきたく思っています。
(既存の中央集権主義に替わる民主自治制を組織原理とする運動型党[構成員主権・民主自治制・ラジカル民主主義・公開制]の4原則の組織原理。)
 この呼びかけは、日本の労働運動の再興・再建を願う、関西生コン・関西管理職ユニオンなどの労働者有志が軸に担っています。ぜひともこの歴史的試みにご賛同・ご参加いただきたく、お願いする次第です。なお「運動型新党準備会・呼びかけ」全文は、当サイトでご覧になれます。rev@com21.jp

Posted by: 革命21事務局 | October 14, 2008 at 03:30 PM

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