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February 05, 2007

『民俗学と歴史学』

Minzokugaku_rekishigake

『民俗学と歴史学 網野善彦、アラン・コルバンとの対話』赤坂憲雄、藤原書店

 民俗学者宣言をして"東北学"を提唱している赤坂憲雄さんの網野善彦、アラン・コルバンとの対話をまとめた本。

 印象的だったのは『知の五五体制』という云い方(p.50-)。いわゆる新しい教科書をつくる会などの「自由主義史観」とそれを批判する側を批判しています。「人民は豚だ」といった平泉澄のような自由主義史観のヒトたちなんかはどうでもいいんですが、柳田国男に救いを求めた70年代の全共闘世代というあたりは面白い展開でした。柳田の一国民俗学は侵略への契機を持たず《島国の中で稲を作り、平和に暮らす日本人のイメージ》は救いになっていた、と(p.57)。でも、常民の概念は天皇制を超える可能性を持っているみたいな過剰な期待をして、それほどのことは云ってないと知ると、手のひらを返したように批判をする、ということにもつながっていく、と。

 この文脈で面白かったのが、維新政府が初めて天皇を国家機構の一端に据えたのではなく、太閤検地も検地の成果を御前帳の形にして天皇に捧げていることで、国民国家は近世から始まっていたのかもしれない、というあたり(p.83)。

 後は韓国の部落問題ともいうべき「白丁」に対する差別(p.66)などは西日本と韓国の近さを感じさせますし、関東から東北にかけての部落問題の少なさとは対照的ですね。でも、『無縁・公界・楽』の「らく」が山形では被差別の呼称だったそうです。

 江戸時代の不在地主が廻船問屋などの経営多角化が多かったというのは意外(p.96)。17世紀にシチリア人のアンジェリスという宣教師が北海道に来た時、松前の殿様は「ここは日本ではないからキリスト教を布教してもいい」と云っていたというのは新鮮な情報(p.105)。

 アラン・コルバンとの対話は『記録を残さなかった男の歴史―ある木靴職人の世界 1798‐1876』の出版記念みたいな形で行われたものです。この本、読んでみようかな。

 ただし、ちょっとガッカリしたところがありました。

 記録を残さなかった男、ピナゴの村を訪ね、教会に腰をかけた時のことを《ピナゴはどこに腰をかけて、牧師の説教に耳を傾けたのか》(p.179)と感慨深く書いているのですが、そこはフランスですよ。カトリックなんじゃないですかねぇ。ならば牧師じゃなく神父ですし、神父ならば、当時はミサの中で説教なんかしなかったと思うんですがねぇ。どんなもんでしょ。

 また、19世紀初頭のフランスでは、自分の墓石に名前を刻むことは尊大であると思われていた、という話には感動しました。ピナゴは自分の墓石には十字架だけを刻んだそうです。

 あと、歴史の話とは関係ないですが、いまの時代のリズムと速さはテレビのザッピングにあらわれているというのは興味深いかったです(p.169)。

 ちなみに題名は『歴史学と民俗学』網野善彦、福田アジオ、宮田登(編)、吉川弘文館をリスペクトしたんでしょうかね。

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