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January 06, 2007

歌右衛門三題

 チラッと年末にも書きましたが、休みの間には大好きだった中村歌右衛門さんの本を読んで過ごしました。ズラズラとエントリーを並べるのもナニですので、まとめてみます。

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『歌右衛門伝説』渡辺保、新潮社

 演劇評論家の渡辺保さんは、歌右衛門について、三冊の本を上梓していますが、この本は晩年の歌右衛門の芸について書かれた本。もちろん、ぼくも知っているのは晩年の歌右衛門さんだけなので、未読の最盛期の舞台の姿を描いた『女形の運命』筑摩叢書よりもなじみ深い気がします。

 よく歌右衛門さんは"歌舞伎界の女帝"であった、という云われ方をしますが、これは戦前における父(実は祖父?)の五代目歌右衛門の死によって後ろ盾をなくした時代のつらさと、戦後における歌舞伎界を襲った不況と東宝歌舞伎の発足などの危機によって、歌舞伎以外では生きることのできない「つぶしがきかない女形」という存在であったが故に、その世界を完璧にコントロールする方向で立て直すことを目指したからではないでしょうか。

 東宝に幸四郎が引き抜かれた事件の当時《海老蔵、幸四郎、松緑、勘三郎、梅幸、そして歌右衛門の六人の実力者のうち、松緑、勘三郎、梅幸は、新作物、あるいは歌舞伎以外の芝居ーこの世界では「色もの」と呼ばれる公演にも参加できる》が《歌右衛門は、たとえ歌舞伎がその存亡の危機にさらされているとしても、歌舞伎と運命をともにせざるを得なかった》(p.32-)わけです。

 そして先代の団十郎(初めて初代と血のつながりのなくなった団十郎の誕生)の襲名披露興業の最中、芸術院会員につながる芸術院賞を歌右衛門は娘道成寺によって受けます。これによって六人の実力者の中で最も若いのにもかかわらず一歩、抜き出る格好をつくった歌右衛門は、団十郎の名によって歌舞伎界を支配しようとした先代の野心をまずくじきます。こうしたことから団十郎は俳優協会を脱退するという挙に出ますが、やがて56歳という若さでこの世を去ります。

 一方、歌右衛門は人間国宝指定、俳優協会会長就任、文化勲章受章とその存在の重みを増していき、歌舞伎座の庵看板に「芸術院会員、中村歌右衛門」と書かれる第一人者となっていくのです。

 もっとも、この本は、大成駒の晩年の舞台の緻密な印象紀をつづったもので、すべては見たことがなく、そして二度と再現されることのない、舞台空間の緊張を味合わせてもらっただけでありがたい本です。

 特に伽羅先代萩の乳母・政岡。一世一代(この役の引退興行)の演技で、千松に白湯を毒味させる場面で、普通なら額に手をあてたり、じっと様子をのぞき込むキマリをまったく省いてしまったなんていうことは知りませんでしたね(p.195)。

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『名残りの花』渡辺保(著)、渡辺文雄(写真)、マガジンハウス

 その国立劇場における一世一代の舞台を写真で再現してくれるたのがこの本。飯炊きの場が連続写真で見開き4頁にわたって再現されています。

 飯炊きとは足利家の跡取り鶴千代と政岡の息子千松に対して「さっきは沖の井がすすめた御膳を、よう召し上がらなかった。おでかしあそばされた」と茶の湯の道具で飯を炊く場面。歌右衛門の手のなんとよく動くことか。

 そして、宿敵であり息子千松を殺した八汐を刺す政岡という場面が決まったら《チョンと柝が入って御簾が下りる。ところが歌右衛門はそうではない。きまってチョン、そこでもう一度きまりなおして正面をきり、右手を大きく後ろへ回して帯に手をかけてはじめて御簾がおりる》という場面を大写しにした写真のきまっていること、きまってること。

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『広告批評 淀川長治の遺言』マドラ出版

 歌右衛門さんは広告批評の92年10月号で淀川長治さんと対談しています。その初出の号では、以前、ここでも触れたリンチンチンとツーショットで写っている歌右衛門さんという写真が載っているのですが、残念なことに、手元にありません。せめて対談だけでも、と改めて、読んでみましたが、「あやめぐさ」などで伝えられている"一歩下がって芝居をする"という女形の心得を否定して《立役を十分に立てながらも十分に芝居はして、遠慮することなど一切いらない。遠慮してたら、芝居がつまらなくなりますからね》と語っているところは、さすがに"女帝"の貫禄十分です。

 この特集号では歌舞伎は世界の宝、映画評論家にはまず歌舞伎を見なさいと薦めていたという淀長さんの、例の名調子による歌舞伎解説が読めます。中でも出色なのが歌右衛門さんの当たり役、玉手御前の出てくる『摂州合邦辻』。血はつながっていないものの、半分ほどの年かさの自分の子を好きになってしまい、最後は狂女となるのが玉手御前。《三十五歳の女が十六歳の男を好くところ。いいな、見事だね。こんなモダンが、このころの日本にもあった。いまなら当たり前、よくある話かもしれないけど、きっと昔のお客さんはびっくり仰天したね》なんていう語り口も懐かしい。使われている写真も歌右衛門さん。

 おそらく写真の雰囲気からして『名残りの花』の渡辺文雄さんのものだと思いますが、いいです。黒の着付けの片袖をちぎってかぶっている姿で花道を歩く姿。三十五年の人生と、十六歳の俊徳丸を愛する想いにとりつかれながら歩く姿。素晴らしいです。

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