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December 18, 2006

『歌右衛門の六十年 ひとつの昭和歌舞伎史』

Utaemon

『歌右衛門の六十年 ひとつの昭和歌舞伎史』中村歌右衛門、山川静夫、岩波新書

 ぼくは六代目中村歌右衛門さんが大好きでした。語れるほど通ってはいませんでしたが、大成駒屋が出なくなり、亡くなられてからは、ほとんど観に行かなくなったことも事実です。

 祖母も贔屓にしていたと記憶していますが、個人的に好きになったのはテレビのトーク番組ですかね。あまりにも上品な人が、鶴みたいな風情でちょこんと座り、山川静夫さんあたりを相手にしゃべる言葉の美しさ。六代目歌右衛門の舞台を記録したDVDがあまり出ていないのにはガッカリですが、NHKにお願いしたいのは、八重垣姫、時姫、雪姫の三姫と、先代萩の政岡ぐらいはDVD化して欲しいのと(あ、もちろん袖口が手首に吸い付いて離れないような娘道成寺の踊りも)、インタビュー番組のしゃべりをぜひ収録してほしいということ。美しく丁寧な日本語であると同時に、おねえ言葉寸前の危うさも感じられて、とにかく妙に素晴らしいんです。

 とまあ、個人的な話はこれぐらいにしておきますが、なんで急に歌右衛門かといいますと、先日、松竹会長の永山武臣氏が死去されて、先代の社長・大谷隆三氏が、長男・信義氏との口論の末、自宅に放火、お手伝さん一人が焼死するという事件を思い出したから。永山さんは、その際に社長になったと思うのですが、昔、やった酒席での"芸"のことがチラッとフラッシュバックしました。それは「これはこれは旦那様、このたびはとんだご災難」と大谷隆三社長を見舞う歌右衛門という場面を声色で演ったものでした(元ネタは山口瞳さんでしたかね)。

 いい加減、本に移りますが、『歌右衛門の六十年』は六代目が山川静夫アナを相手に、先代(五代目)から86年当時までの、二代にわたって歌舞伎界に君臨した歌右衛門の歴史を聞き語りする、というものです。五代目歌右衛門がまだ福助の頃、明治二十年に初めて行なわれた天覧歌舞伎に出て(演目は勧進帳)、やがて菊団左と並び称される存在となり、同時に歌舞伎のステータスが飛躍的に向上するというあたりから説き起こすのですから話は長い。

 個人的にも五代目の長男、福助が若くして死んだことから、児太郎から福助を襲名し、やがて大成駒となっていくのですが、実は、生まれながらに左腰を脱臼しており、子どもの頃に大手術を二回やって、ようやく歩けるようになったというあたりから語り始めます。

 中盤で面白かったのは、吉右衛門一座の立女形となった歌右衛門さんは第二次世界大戦の戦局が悪化するにつれて頭を坊主刈りにしてゲートル巻いて国民服を着て慰問に精を出し、菊五郎から初めて「藤夫さん、偉いね」と褒められて嬉しかったとか、《慰問に行くと、帰りに羊かんをくれたり、石鹸をくれたりするんだけれども、それが何よりの楽しみでね。その石鹸がね、いま思うと牛乳石鹸なの。それをコマーシャルで見るたびに、「ああ、軍の慰問に行ったときには、牛乳石鹸貰ってうれしかったな」って、いまでも思うのよ》(p.84)あたり。にしても、《思うのよ》ですからねぇ。素晴らしい。

 戦後、1951年、福助から歌右衛門を襲名するんですが、まさに「春風やまことに六世歌右衛門」という久保田万太郎さんの俳句ではありませんが、芝居好きにとっては平和の時代に新しい歌右衛門が蘇ったということなんでしょう。それだけの名優でした。

 今年のお正月休みは大成駒屋さんの本やDVDを見てすごそうかな…。にしても、1917生まれで、33年に福助を襲名してからは、41年には芝翫、51年には留め名といいますか大名跡の六世中村歌右衛門を襲名し、64年には日本芸術院会員、68年人間国宝、72年文化功労者、79年文化勲章受章というんですから、ちょっとペースが早すぎましたよね。途中、スランプに陥ったこともありました。

 しかし、最後の《私はねえ、女形一本で来たんです。まあ、つぶしがきかないんだけれど、それは今になってみれば自分には幸せだったのよ。ひたすら歌舞伎の中で生きたいと、そればっかり思って今日まで来たの。舞台にプラスになることなら、他から何と言われようと、何でもやりました。これからもやっていきたいと思います。それしかないのよ》(p.208)という言葉は素晴らしい。

 自分の居場所を大切にしてその中で生きたいと思って努力する。そうした居場所、仕事をどれだけの人が持っているのかを考えたら、もちろん大成駒は幸せな人だったのでしょう。

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Comments

残念ながら舞台で見たことはなくテレビでですが、
隅田川、建礼門院が印象に残っています。
トーク番組では品のいいおばあちゃまという感じで
したが、女形のひとって時折、そのへんにいる男の人
よりも男らしい印象を与えるなとも思いました。

Posted by: しまじろう | December 18, 2006 at 11:30 PM

おお、しまじろうさんもファンでしたか!
>品のいいおばあちゃまという感じ
ぼくはアメリカ公演の際、動物好きの歌右衛門さんが、頼んで撮ってもらったという名犬リンチンチンと一緒に写っている写真とか好きです。あと、三島由起夫さんとの2ショットの真ん中に、大好きなテディベアのぬいぐるみを入れたりww
とにかく別格感がただよいまくっていた方でしたよねぇ

Posted by: pata | December 19, 2006 at 07:41 AM

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