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December 04, 2006

『生命と現実 木村敏との対話』

Kumura_bin

『生命と現実 木村敏との対話』木村敏/檜垣立哉、河出書房新社

 木村敏さんの本は敬して遠ざけるというか、すごいかもしれないけど、ちょっと内容も本格的すぎるというか重いし、文章も生硬い印象があって、新刊が出ればすかさず買って読みまくるという感じてありませんでした。

 でも、この本は、そんな食わず嫌いな人間にも木村敏さんの考えてきたこと、その理由、軌跡がスッと了解できるようになっています。自身の言葉による最良の入門書ではないでしょうか。

 だいたい語り言葉で綴られているから、読みやすい感じを最初から受けますしね。それに、インタビュアーである檜垣立哉さんの勉強ぶりというか傾倒ぶりも好感がもてます。

 まず最初っから驚かされたのは、ぼくが木村敏さんの本をろくに読んでいないからなのかもしれませんが、木村哲学を考える上での最重要タームである「あいだ」について、学生時代にかなり本格的に学んだ音楽にふれながら説き起こすという構成。

 木村先生曰く、京大の東洋美術が専門の人文科学研究所の先生で朝比奈隆さんと同門だったという人から作曲を学び、特に和声法の重要さをたたき込まれたというんですわ。古典派の終結感のあるエンディングはどうしてシ・レ・ソあるいはソ・シ・レ・ファのあとのド・ミ・ソで解決(Solution)されるのか、みたいな問題。

 《第七音のシの音というのは、これはピアノで音を出せばすぐ分かることなんだけど、絶対に半音下がってドへ向かおうとする強い働きを持っているんですよ》《ファの音というのは半音下がってミに向かう力を持っているですよ》《ようするに音楽のなかの音というのは、それまで鳴ってきた音のインテグレーションというか、積分みたいなもんなんです》とベルグソン的な流れを語ったあと、ピアノ、ヴァイオリン、チョロとのアンサンブルを演っている時に《ヴァイオリンもチョロも私自身が弾いているんじゃゃないかという錯覚が起こるんです。そうじゃないと次の音が出せない。次の音へと向けた私の行動は、合奏全体のそれまでの流れによって決まってくるわけだから。だから、もちろん私は自分の指を動かして弾いてるんだけども、指を動かしている主体というのか行為者ていうのか、いった実際に音を出しているのは誰なのか、それが不明確になる》《私が人と人とのあいだなんていうことで後になって考えるようになつたねその原型みたいなものは、漠然とですけれども、おそらく合奏をやりながらずっと経験していたんですね》(pp.30-33)あたり。ちょっとだけ目ウロコもんでした。

 また、鬱病に関する初期の論文に関しては、ドイツ留学の際《分裂病の患者さんと話すのは、日本でも難しいのに、向こうの患者さんと話すのは、やはり言葉の関係で非常に難しいものですから、当たり前のことを話してくる鬱病をテーマに選んだんですね》《内因性の鬱病患者は、自己評価が下がりますから、すぐに罪責感をもつのです》《日本人の場合だと、すぐ、家族に迷惑をかけて申し訳ないとか、職場の同僚に迷惑をかけて申し訳ないという医師が出てくる。ドイツ人はそなこと言わなくて、ストレートに、自分は悪いことをした、悪い人間なのだという》(p.53)というあたりが分かりやすかったですね。

 もうちょっと書くかもしれませんが、とりあえず…。

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