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December 23, 2006

『ローマ人の物語』の15年

Shiono_roma_all

 『ローマ人の物語』の1巻が刊行されたのは1992年7月。強引にサッカーの話題に振ると、まだJリーグもスタートしていませんでした。

 日経平均株価は89年の大納会に38,915円87銭を付けたのをピークに下落に転じていましたが、まだ、バブル経済が本格的に崩壊したことを誰も信じられない時期でした。その後97年の大手金融機関の連続的な破綻を経て、ゼロ金利、量的緩和という非常措置がとられることによってようやく自律的な、しかしあまり実感の伴わない景気回復局面に落ち着くという推移がこの15年の間にありました。

 ネット環境も変わりました。最初に『ローマ人の物語』の書評をネット上に載せたのは、FBI NETという草の根BBSと呼ばれるパソコン通信でした。その後、Nifty、掲示板へと移り、今ではBlogになっています。いまや読書計画は放棄しているのですが、たいしたものではないにせよ、そうした計画をたてていた時期にも『ローマ人の物語』が出た直後だけは、読んでいる本をすべてうっちゃって、読むことにしていました。勝手に毎年出しているPATA賞wwの1992年版は大賞が『人間の由来』河合雅雄、小学館で新人賞が『検死官』P・コーンウェル、講談社文庫で、『ローマ人の物語』は企画賞でした。「塩野さんのライフワークの始まりです。なにせ、一年に一冊ずつ、2006年まで刊行し続けるローマ史の本ていうんですから、凄い。新潮社の決断もたたえての企画賞です」なんて書いていましたっけ。

 『ローマ人の物語 1 ローマは一日にして成らず』は伝説による建国から第一次ポエニ戦役直前までの500年間を扱っています。建国者ロムルスから元老院と市民集会は定められたのですが、前六世紀末には王政は使命を終え、共和制に移行します。しかし、それは《王政時代の世辞制度の三本柱であった、王、元老院、市民集会のうち王だけを、二人の執政官に代えただけでスタートした》(p.189)ものだと塩野さんはしています。何分、使える資料が少ないので、やや退屈なのが難点でしょうか。

 『ローマ人の物語2 ハンニバル戦記』では兵士たちとテント生活をずっと続けたハンニバル、ハンニバルを打ち破ったはいいが元老院から追求されるスキピオ・アフリカヌスの「将軍の悲しみ」が印象的でした。カトーは大も小も最悪。

 最初の方で、しつこく書かれていることは、ごく一部の上層階級と圧倒的多数の下層階級という不安定な社会構造を支えていたのは、道義的義務の関係を含むパトローヌスとクリエンテスの関係である、ということでした。パトローヌスはクリエンテスが食えなくなればパンを与え、クリエンテスはパトローヌスの一大事の時には駆けつける、みたいな。それが王政が廃された後の共和制から、共和制後期の三頭政治、そして帝政へと向かう道筋をつけたんだと思います。

 『ローマ人の物語3 勝者の混迷』ではマリウスとスッラによる血で血を洗うような主導権争いが陰惨でしたね。また、後半、ポンペイウスが主人公となる部分ではユダヤ戦役のことが出てきます。塩野さんは、理想の男性像ともいうべきカエサルのようなローマの男性が帝国からいなくなり、ミラノ司教アンブロシウスのような宗教者が前面に出てくるみたいな人物の衰退史(アンブロシウス個人はヤな人ではないのですが)のような流れをどこかで意識していると思うのですが、もちろんキリスト教のルーツはユダヤ教。で、ユダヤ人たちはネブガドネザルによる捕囚後、みじめな生活を経て一時は独立を取り戻すんですね。その英雄は民族主義的や破れかぶれのゲリラ戦に勝ったマカバイ一族。彼らは神殿を奪回して、ハスモン王朝を打ち立てます。でも、現実的な政治家がいなくなったハスモン家では、後継者争いが発生。ミトリダテスを追って東方遠征に来ていたローマのポンペイウスを引き入れ、結局、神殿を占領されるという大バカを演じてしまうんです。

ユダヤ人にとってはせっかく異教徒から奪還した神殿なのですが、大祭祀しか入れない場所であった至聖所にポンペイウスは「どんなもんかいな」という感じで入ります。ここはなかなか印象。《それで内部に入ったポンペイウスだったが、ユダヤ教の神殿内の聖所には、ギリシャ・ローマの神殿のように神をあらわした彫像もなく、何もないのに驚いた。驚いただけで、後は何もしないで出てきた》。文章はお世辞にもうまくない塩野さんにしては、珍しく上質なユーモアあふれる文章だと思います。タブーを犯されると、人格(民族)の統一性を再び取り戻そうとしてムチャやるようになるのでしょうか、この後のユダヤ人は人生に対する信頼感を全く失っている人のような行動が目立ちます。やたら攻撃的になってすぐ暴動を起こすみたいな。いまのイスラム原理主義者みたいな感じですかね。ま、それはさておき。

 『ローマ人の物語4 ユリウス・カエサル ルビコン以前』と『ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以後』は塩野さんのカエサルへのラブレター。ルビコン以前の冒頭に収められている《イタリアの普通高校で使われている、歴史の教科書「指導者に求められる資質は、次の五つである。知性。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意思。カエサルだけが、このすべてを持っていた」》という引用が印象的。

 地図を使っての戦闘の様子を描く手法もわかりやすく、どこかで「戦闘というのは、相手の主力の攻撃を全滅覚悟の一翼が持ちこたえている間に、背後に回った別働の機動部隊が包囲・殲滅すれば勝てる」みたいなことが書れていて感心したことがあります。とにかくこの2巻はまるで冒険小説を読んでいるような面白さでした。

 『ローマ人の物語5 ユリウス・カエサル ルビコン以後』について書いたのは96/04/06。この巻は、カエサルがポンペイウスを打ち破る過程と、元老院で暗殺されるまでを描いきます。p.92の百人隊長に関する記述が結構、印象に残っています。「カエサルは、名からして平民出身も明らかなこの人々の実力を認め自信をもたせ、貴族や元老院階級出身者で占められがたの軍団長や大隊長への昇格はむずかしくとも、軍団の支柱は彼らであることを自覚させてきたのである」。ローマの兵士の給料はカエサルによって倍増されたのですが、「一般市民の年収に迫る 140デナリウスが、一兵卒の年給になる」とのことだそうです。

『ローマ人の物語 6 パクス・ロマーナ』の書評を書いたのは97/07/13。初代皇帝アウグストゥスが主人公。塩野さんはカエサルに2冊、アウグステゥスに1冊を捧げていますが、個人でこの扱いは2人だけ。カエサルはいまでいえばフランスのあるガリアを平定し、アウグトゥスは北方のゲルマン蛮族との国境線をライン川とドナウ川を結ぶ線に置き、その線で防衛するシステムを完成させ、《部族間で殺しあうゲルマン民族を、ローマ人がライン河から静観するという時代が始まった》(p.329)んですな。ローマ人同士の内戦もなくなり、北方からの蛮族の侵入も安定的に阻止できるシステムをつくりあげたアウグステゥスは間違いなく1巻を割くにふさわしい皇帝でした。

『ローマ人の物語 7 悪名高き皇帝たち』に関して書いたのは98/10/03。カエサル、アウグストゥスという大物の後だけに地味なようですが、楽しめました。500頁を越える分量で、読み応えも十分でした。かなり好きな巻です。ここで描かれている政体は、ひとことでいって「アウグストゥスが創造したデリケートなフィクション」とでも呼べるもので、元老院や民衆には、絶対権力に対するチェック機能を持たせた帝政、というものです。どうしてそのような形をとらざるを得なかったかといいますと、カエサル暗殺に示されるように《不明瞭な権力構造にでもしなければ、アウグストゥスは帝政を創造できなかった》(p.491)からだ、と。

塩野さんの説明によると、ローマ皇帝といっても、それは三つの呼称(公職)を合わせたものでした。

1)第一人者(プリンチェプス) 第一の市民
2)皇帝(インペラトール) 全軍の指揮権(インペリウム)を持つ者
3)護民官特権 元老院の決定に対する拒否権を持つ者

初期の頃、ローマ皇帝には戴冠式さえなかったのです。

『7 悪名高き皇帝たち』ではティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロという四人の皇帝が描かれますが、このうちカリグラは近衛師団長による暗殺、クラウディウスは妻アグリッピーナによる毒殺、ネロは「国家の敵」を宣言させられた上での自殺という、とても絶対権力を持つ者とは思えない最期が続きます。四人のなかで、印象に残っているのは、やはりティベリウスでしょうか。

ティベリウスだけは天寿をまっとうします。アウグストゥスに続く皇帝であった彼ですが、元老院からの皇帝推挙の声にも、最初は容易に乗らなかったという慎重さと謙虚さを持っています。また、派手なインフラ整備もやらず、見世物なども行わせなかったため、民衆からの人気は出ず、最後はカプリ島に引きこもって院政のような政治を行っていました。いろいろなことはあるのですが、フィロンの著作のなかでの評価を塩野さんは引用します。

《皇帝ティベリウスの死の後にガイウス(通称カリグラ)が受け継いだ帝国とは、世界のすべての陸とすべての海と言ってもよい、広大なローマ帝国であった。それでいてこの帝国では、いかなる規模の「争い」も過去のことと化したが、その原因は、帝国の全域において、公正な法が厳正に施行されてきたからである。帝国の東方でも西方でも、南でも北でも、すべての陸と海は、ローマ帝国の名のもとに調和ある統一体を形成している。帝国の内部では、蛮族も文明の民と混じり合い、征服者は被征服者と混じり合い、両者ともの願望である平和の維持のために、各人は各人の責務を果たす》

塩野さんは、ティベリウスの章を高坂正尭さんに捧げています。《生前に高坂さんは、ローマ皇帝の中ではティベリウスに他の誰よりも共感をいだく、と言われた。なぜかをただす前に亡くなってしまったが、ティベリウスを書き終えた今、その理由が私にはわかるような気がする》と。

こんなことも書かれていました。ナザレのイエスはティベリウス治世中に活動をはじめ、終わり頃に十字架にかかることになるのですが《「皇帝(カエサル)ものは皇帝に、神のものは神に」の一句を知ったならば、誰よりもそれに賛同したのはティベリウスであったろうと思う」「このティベリウスは自分自身の神格化につながりそうなこと、神経質なぐらい避けている」「だか、それゆえこそ、宗教が政治の分野を侵すような場合は許さなかった》(pp.113-115)。今読み返すと後のローマに対する強烈な皮肉になっています。

 『ローマ人の物語 8 危機と克服』について書いたのは99/09/19。カエサル以降、塩野さんの『ローマ人の物語』は歴代皇帝の物語になっていくのですが、今回はネロの死による混乱からガルバ、オトー、ヴィテリウスと一年の間に三人の皇帝が立っては殺されるという中で、ユダヤ戦争に派遣されていたヴェスパシアヌスが擁立され、二人目の子供であるドミティアヌスが暗殺されてフラヴィウス朝が三代で途絶え、ネルヴァから始まる五賢帝時代に入っていくまでの30年間を描きます。西暦でいえばA.D. 68-98まで。この後は、キリスト教弾圧で有名なトラヤヌスとなります。

ご存知のようにフラヴィウス・ヨセフスによって描かれた『ユダヤ戦記』でエルサレムを廃墟にしたローマの司令官がヴェスパシアヌスなんです。この第一次ユダヤ戦争によって、神殿を中心としたユダヤ教は終わりを迎え、キリスト教でいえばプロテスタントのような生硬いファリサイ派主導による今に伝わるユダヤ教の歴史がスタートします。

漠然としたイメージではエリート軍人なのかな、と思っていました。しかし、違うのですね。

ヴェスパシアヌスはローマ社会で元老院階級の下に位置する「騎士階級」(エクイタス)に属し、皇帝ティベリウスの門下生として実務経験をつみあげたたたき上げの「庶民派皇帝」だったのですね。そして、人口調査を行うことによって財政再建を行い、教育と保険に気を配るような久々の賢帝だったようです。なにせティベリウスの後は比較的まともなクラウディウスを除けばカリグラ、ネロ、ガルバ、オトー、ヴィテリウスというとんでもない不適格者ばかりが皇帝になっていったわけですから、たまにはこういう普通に良い皇帝ぐらいほしい。

そのヴェスパシアヌスのエピソードで忘れられないのがふたつあります。ひとつは元老院会議のときに反論された時のものです。

《(ヴェスパシアヌス)反対意見にも、賛成意見と同じように耳を傾けた。それがどれほど辛辣で毒を含んだものであっても、機嫌を損じた様子はまったくなかった。ただし、反論はした。とはいっても、機智とユーモアと簡潔な一句で人を刺し、それによって満場を爆笑の渦に巻き込むことで反対者を孤立させるというカエサルのような芸には恵まれていなかったヴェスパシアヌスだから、反論するとはいっも顔をくしゃくしゃにして、この年齢になって皇帝などやるから矢面に立たされてしまうんだ、ぐらいしか言わないのである。だがこれでも、議場の空気はやわらぐのだった。ヴェスパシアヌスには、才気はなくても愛嬌があったのである》(p.220)

また、犬儒派(キニク派)ですが、その命名者は実は、ヴェスパシアヌスなんですね。

《皇帝の前で共和制復帰を説く彼ら一人の言にしばらくは耳を傾けていたヴェスパシアヌスだが、もう我慢しきれなかったという感じで言った。「お前は、わたしによって死刑になるためには何でも言うつもりのようだが、わたしは、キャンキャン吠えるからといってその犬を殺しはしないのだよ」。これ以後、この派の哲学者たちは「犬儒派(キニク派)」と呼ばれるよにうになったのである》(p.210)

 こんなの知りませんでしたよ。ホント。

 『ローマ人の物語 9 賢帝の時代』について書いたは00/09/30。トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニウス・ピウスという三人の賢帝の時代を描きます。ハドリアヌス時代には、バル・コクバが扇動した第二次ユダヤ戦争もとりあげられていますが、ここでも一神教に対する辛らつな言葉が投げかけられます。

《ユダヤ人にかぎらず人間社会ではくり返される現象だが、過激が勢いをもちはじめると穏健は影をひそめる》《教条主義の過激性が激化する一方になるのは、宿命と言ってよい》《幸いにも、選民思想のユダヤ人には、自分たちの生き方を他民族にも広める意欲が少なかった。数が増えすぎては、神に選ばれたる民いうありがたみが薄まるからである》《そして、ユダヤは、あいも変わらずその自由のみが彼らにとっての「自由」であるとする態度を変えなかったのだ》

そしてハドリアヌスというかローマ皇帝たちは、この時までは《真実は自分たちだけが所有しており、その唯一無二の自分たちの神のみであるとする他者を軽蔑し憎悪するこの人々に、神を愛するあまり人間を憎むことになる性癖を見出して、同意できなかった》のです。

 『ローマ人の物語 10 すべとの道はローマに通ず』は出色の1冊。なにせ街道、橋、水道といったハードな社会資本から医療、教育といったソフト的なものまで、1巻すべてをインフラストラクチャーのみついて書いています。塩野さんにとって、ローマが築き、メンテナンスしたインフラはカエサル、アウグストゥス並の重要さだったのでしょうね。

 『ローマ人の物語 11 終わりの始まり』は意欲的な巻。ローマ帝国の衰亡は五賢帝時代の終焉とともに始まったという見方が一般的ですが、アントニウス・ピウス、マルクス・アウレリウスから衰退は始まっていた、ということを強調しています。しかし、個人的にはゲルマン民族の活発化によって防衛線が破られ、それに対処したマルクスは戦地で没し、しかも無能な息子コモドゥスに帝位を譲ったということだけで、そこまで云えるのかな、と思いました。しかし、グラディエーターでも戯画的に描かれたようなコモドゥス帝が暗殺された後は、内戦が待っているのです。前巻のローマ街道の断面図のイラストで、一番上にくる石があまりに薄く描かれていたため、初版では、それを訂正する差し込みが入っていましたっけ。

 『ローマ人の物語 12 迷走する帝国』の書評を書いたのは2003/12/13。描かれている211年から284年の間に、なんと20人も皇帝が変わっています。しかも死因は謀殺、自殺、戦死、事故死などがほとんど。その始まりとなったカラカラは賢帝といわれたセヴェルスの息子。同じように賢帝といわれたマルクス・アウレリウスと同じように、自分の子供に皇帝を継がせて、大失敗になるんだから、後継者の指名というのは本当に大した事業なんだな、と思います。

 塩野さんは、疑問を持ちつづけるというような場合の「持ちつづける」ことをイタリア語では、アカレッツァーレ(accarezzare)愛撫する、というみたいなことを書きながら、後半、キリスト教迫害の歴史について触れていくのですが、《聖パウロが『使徒行伝』中で説いたように、ローマ帝国を邪悪で堕落した社会ととらえていたので》(p.326)というあたりや、洗礼者ヨハネと福音書を書いたヨハネを混同しているんじゃないかと思われるようなところもあって、個人的な評価はグッと下がりました。だって、使徒行伝のパウロは公正な裁判を受けるためにローマに行き、そこで《パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた》(使 28:30-31)というのがラストなんですよ。どこに邪悪で堕落した社会ととらえていた、とみることができるのでしょうかね…。資料をきっちり読みこんでやっていると思っていたのですが、「これからは、やっぱり物語として、気軽に愉しんでいこうかな」と思ったのはこの巻からでした。まあ、本来、そういう意図なのかもしれないですし。

 『ローマ人の物語 13 最後の努力』の書評を書いたのは04/12/26でした。この巻も分かりやすく、クリアカットされすぎたぐらいに、時代のアウトラインと、その要因を分析してくれてます。描かれているのは、五賢帝の後の70年間に何人もの皇帝が現れては、短命に終わり、混乱に混乱を重ねた時代の後、ディオクレティアヌスが皇帝についた284年からコンスタンティヌスが死を迎える337年までの「最後の努力」。結果的にこの努力はローマ史をさらに150年長引かせることになったのですが、果たしてその価値はあったのか、というのが塩野さんの感慨となります。

 「最後の努力」はどういうものかというと、防衛線が長くなりすぎたローマは蛮族の侵入を防ぐために、最初は2帝、次には4帝による分割防衛を行なう体制に変えた、という努力。北方のゲルマンだけでなくアフリカでも防衛線が破れるとなると、辺境に住む住人が減り、さらに防衛線が弱くなるという悪循環が発生するのをなんとしてもディオクレティアヌスは防ぎたかったのだ、というわけです。

 アウグストゥス以降のローマは30万人程度の兵力が、ローマ街道という塩野さんのいう"高速道路"を使って破れられた防衛線に向かい、進入してきた"蛮族"を蹴散らすだけでなく、彼らの本拠地を襲うことによって、暫くの平安を得る、というやり方で帝国の防衛を果たしてきました。しかし、防衛線を破られる回数が多くなるにつれ、それまでの重装歩兵中心の軍隊ではスピードが足りなくなり、やがて騎兵に重きを置くようになっていった、と。

 しかし、当時はまだ鐙(あぶみ)が発明されておらず、騎兵となるにはバルカンなど馬の産地に生まれた者に頼らざるを得なくなりました。事実、ディオクレティアヌスが創設した4頭体制でも、正帝、副帝ともバルカン出身の軍人で占められていたんですな。しかも、あまりにも防衛線が破られることが多くなったために、司令官は一度、元老院に戻ってシビリアンとしての能力も身に着けるという伝統が捨てられ、ゼネラリストとしての皇帝が生まれにくくなっていった、と。

 そこで、とにかく防衛を第一に考えたディオクレティアヌスは4人の正帝、副帝がそれぞれの軍隊を持ち、首都も防衛線近くに置く体制をつくったが、これによって、軍は60万人に倍増してしまい、アウグストゥス以来の低い税金ではやっていけなくなったという弊害も生むことになった、と。ディオクレティアヌスは銀の含有量が5%まで落ち込んだ通貨の信用を高めるために、含有率を100%に高めた銀貨を鋳造したが、それは死蔵され、貨幣経済はますます不活発となり、物々交換中心の"暗黒の中世"への道へまっしぐらに進んでいくこになった、と塩野さんは分析しています。

 一方で、あまりにも暗殺されたりする皇帝が多くなったものだがら、ディオクレティアヌスは皇帝の神格化も進めなくてはならなくなった。これは、市民の第一人者というそれまでのローマ皇帝の性格を一変させるものとなり、同時に、ローマ皇帝への崇拝を拒んだキリスト教徒への、久々の大弾圧を生むことにもなった、と。

 やがて6帝にもなった混乱を収めたコンスタンティヌスは、逆に支配の道具として「キリスト教」を活用することを思い立ち、古い神々の宮殿がひしめくローマを捨て、現イスタンブールに新しい首都を築き、「王権神授説」という新しいドグマで皇帝の地位を高めるようになっていった、というのがだいたいの流れ。

 この中で、ローマ教皇が捏造した「コンスタンティヌスの寄進状」のことが触れられている(pp.266-267)。これはローマ教皇にコンスタンティヌスが全ヨーロッパを与えたという書状で、これによって、ローマ教皇は各地の王たちに「教会によって統治を委託されているだけだ」という態度を取ることができるようになったものですが、1440年に人文主義者ロレンツ・ヴァッラが文献学的にこの書状は10世紀か11世紀に書かれたものであると断定し、中世の呪縛が解き放たれたとしています。

 あと、この巻にも「新約聖書が一般に普及するようになったのも、ギリシア語に訳されてからである」というヒドイ間違いが散見されたのは残念(p.222)。これは、おそらく、旧約聖書のギリシア語訳である「70人訳」と、新約聖書はギリシアで書かれているということをゴッチャしているためだと思います(まさか、マルコのプロトタイプのアラム語版の存在についての論議ではありえないし)。

 『ローマ人の物語 XIV キリストの勝利』の書評を書いたのは2005/12/31。この前の2冊に関しては文句が先に立ちましたけど、別に「こんなことは全部知ってら」みたいなことではまったくありません。塩野さんが、グレコ・ローマンの常識が薄いぼくのような日本人に対して噛んで含めるようにローマ史の全体像を垣間見させてくれたことに関しては感謝に堪えません。この巻でも二つの発見を個人的にさせてもらいました。それは、「背教者ユリアヌス」が素晴らしい資質を持った皇帝であったということと、西ローマ帝国は蛮族の進入によって滅亡したのではなく、蛮族の海の中で溶解したのではないかという視点です。

 背教者ユリアヌスについては、コンスタンティヌス大帝の敷いたキリスト教国教化路線をいったん棚上げにした人物で、ローマ帝国後期によくみられるトンデモ皇帝のひとりぐらいの認識しかありませんでしたが、塩野さんの筆致を信じれば、もしこの人の治世が1年と9ヵ月で終わらず19年続いたとしたら、新たなパクス・ロマーナを回復することは可能だったかもしれないし、キリスト教がヨーロッパ文明をこれほどまでに覆うこともなかったりではないかと思います。

 このユリアヌス、個人的にも好感がもてます。なにせ自分を「哲学の一学徒」と規定しているんですから。ユリアヌスの父はコンスタンティヌス大帝の弟。6歳の時、コンスタンティヌス大帝が死に、その葬儀の直後、大帝の3人の息子以外の皇統は暗殺されます。6歳のユリアヌスと12歳は幽閉生活に入ります。

 やがてローマ帝国の実権は大帝の三人の息子同士の内乱などもあり、勝ち残ったコンスタンティウスが一手に握ることになります。コンスタンティウスは西側における度重なる蛮族というかゲルマン人の進入、東側におけるササン朝ペルシャのシャプール2世の執拗な挑発という二面作戦に手を焼き、生き残った親族からユリアヌスの兄ガルスをまず副帝に立てます。そして蛮族出身で初めて皇帝を名乗ったマグネンティウスの討伐にも出るのですが、これはどちらも結果的には失敗。マグネンティウスとの内乱によって、ローマ軍は双方に膨大な死者を出し、ゲルマンからの進入を守るリメス(防衛線)が維持不能になるほどの戦力ダウンを喫するとともに、副帝ガルスは失政続きで、結局、処刑されることになるからです。

 ここで白羽の矢が立てられたのがユリアヌス。兄ガルスが副帝に立てられた時、幽閉の身から自由を得て、エフェソスで哲学の研究生活に入っていたユリアヌスは、コンスタンティウスから呼び出しを受け、副帝となります。まったく軍事、政治には素人だった彼ですが、任地のガリアではなぜか連戦連勝。任地が決まった時にカエサルの『ガリア戦記』を勉強したというのも泣かせます(p.87)。

 ユリアヌスはローマ軍としては久しぶりに進入した蛮族を撃退しただけでなく、その本拠地までも襲って力をそぐというところまでやっているんですな。こうしてガリアを再興したユリアヌスが学生時代の友人に送った手紙がいじらしい。「プラトンとアリストテレスの弟子を自認していたわたしに、今やっている以外のことができると思うかね。わたしに託された不幸な人々を、見捨てることなんてできると思う? 彼らに幸せな日常を保証するのは、今ではわたしの責務なんだ。わたしがここにいるのは、それをやるためなんだ」(p.119)。

 しかし、ここまでユリアヌスが成功を収めると、肉親を殺して最高権力者となったコンスタンティウスは不安となり、ユリアヌスに対してシャプール二世を討伐するために大軍を差し向けろと命令します。なんとガリアから中東への転進。ユリアヌスは受け入れようとしますが、これを拒否したのはガリアの軍隊でした。兵士たちはなんと、ユリアヌスを皇帝に推挙するんです。

 ここに至ってユリアヌスはコンスタンティウスの打倒を決意、電光石火の勢いで軍を進め、次々とローマ軍を吸収していきます。しかし、皇帝同士の決戦はコンスタンティウスの突然の死によって回避。ユリアヌスはコンスタンティヌス大帝以来、50年続いたキリスト教優遇策を見直し、キリストの軍隊を表わす軍旗も、それ以前のアクィラ(鷲)をかたどったものに変更するなど、グレコローマンの復興をめざします。しかし、ユリアヌスは満を持してというか、勢いに乗じて臨んだシャプール2世との戦いで戦死してしまうんです。31歳という若さでした。とにかく、こうした「知らなかったことを教えてもらった」感はティベリウスを描いたVII巻『悪名高き皇帝たち 』以来かもしれません。

 高校の教科書や、一般教養レベルの世界史の教科書ではいまひとつイメージがわかなかった「蛮族の侵入による西ローマ帝国の崩壊」という言い方ですが、この本を読んで「なるほど、溶解とでも考えた方がいいのではないか」と思いました。

 ユリアヌスの死後、数えて3代目(東西あっていろいろややこしいが)のヴァレンスは、フン族に押されてローマ帝国内に移住したいと申し出たゴート族の申し出を受け入れたのですが、ゴート族は契約よりも大量の人数で移住し、しかも待遇が不満として蜂起。さらには、討伐に出てきた皇帝ヴァレンスをハドリアノポリスの戦いで敗北させ、焼き殺してしまう暴れん坊ぶりを発揮します。ローマ帝国の中心部にもはや居座ってしまったゴート族に対して、個々の城塞都市は持ちこたえるが「追い払うことはもはや不可能になった」(p.246)というんですな。

 ここに至り、塩野さんは「ローマ帝国は溶解していった、のであろうか、と」(p.257)書くのですが、もちろんローマ帝国は蛮族の海だけに溶解したのではない。精神的にもキリスト教に"溶解"されていったわけです。この後、ミラノ大司教として絶大な権力をふるったアンブロシウス、そして元老院でキリスト教か古代以来のローマの神々のどちらかをとるかと迫り、キリスト教会から大帝の名をおくられたテシオドスの物語が続き14巻は終わります。

『ローマ人の物語』を書きつづけている間に出された『ローマ人への20の質問』集英社新書の中で、印象的な引用がありました。ツキディディスが記録したとされるペリクレスの言葉です。

《われわれは、美を愛する。だが、節度をもって。われわれは、知を尊ぶ。しかし、溺れることなしに。われわれは、富を追及する。だがこれも、可能性を保持するためであって、愚かにも自慢するためではない》(p.172)

ぼくは幸いにも『ローマ人の物語』を毎年、じっくり読ませてもらいました。これは得難い経験で、獲得することのできた知識は、誰もぼくからそれを奪うことのできない宝だと思います。しかし、そこで得た知に溺れることなく、愚かにも自慢などせず、大きな可能性が保持されたことを静かに節度を持って喜んでいたいと思います。

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Comments

HI all, where i download drivers for Minolta CF2002? this is wery important for me, please hlp If I wrote is not in the correct section, please move to the appropriate section. sorry my bad english, i use translator

Posted by: johnronni | March 05, 2009 at 10:39 PM

Hi! try next URL. I'm afraid that you may not read Japanese Font, so posted wrong issue. Sorry for me to delete your comment in a week.
http://konicaminolta.jp/business/download/copiers/cf3102/

Posted by: pata | March 06, 2009 at 10:31 AM

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