« 「やきとん まこちゃん」 | Main | 「角平」のだし巻たまご »

November 26, 2006

『樹をみつめて』

Nakai_kiwomitsumete

『樹をみつめて』中井久夫、みすず書房

 去年の『関与と観察』に続いて年末の忙しい時に中井久夫さんの本を読めたことは、大きな安らぎでした。奥付をみると9月の発刊となっていたのですが、フランチャイズとしていた青山ブックセンターでは気付かず、結局、出張前後に何気なくAmazonで検索したら出ていたという…。ABCに対する評価が個人的に相当落ちました。寂しい話です。

 まあ、それはおいといて、表題ともなってる『樹をみつめて』がいきなりいいです。《四季をつうじてクヌギ林はいつも明るく、暗く湿った照葉樹林の西日本からきた私には快い驚きであった。クヌギ林の中を独りで歩む時には味わった至福感はかけがえのない記憶である》と若い頃、宿直の病院に向かう道について語ったかと思うと、阪神大震災の時に風下の家を守ったオリーブの樹を挿し木で増やそうとして、特産品となっている小豆島の人々から《三年はこのままだが、それから急速に伸びて八年目には実をならせます》という話を聞いて臨床について思いをはせ、さらには、小豆島の初代のオリーブの樹を訪ねたところ、幹と見えたものは気根の集まりであって、幹が枯死しても円筒となって幹の代わりをつとめるという話から《キリストが最後の晩を過ごしたオリーブの園の樹は当時の根そのものだという話を初めてありうることと思った》なんていうあたりも印象的。

 箱につめたミカンが下から腐るのは成熟しようという情報伝達物質エチレンが空気よりも重いためだそうですが、エチレンのような単純な物質が…と思った瞬間に、情報伝達物質はアミノ酸程度の低分子でなければ、急速な合成と分解には適さないのではないかと考えるあたりや、《樹液を上昇させる力は葉からの蒸発》などという話も、恥ずかしながら初めて知りましたね。

中井さんは子供の頃、船舶の設計技師になりたかったということですが、神戸にかつてあったヘルマン屋敷について語る中で、1914年にロイター通信が巡洋戦艦「金剛」級四隻の建造の際に発生した贈賄を報道したのは、ロッキード事件を思わせると敷衍しつつ、《第二次世界大戦の日本戦艦十二隻の中で実際に活躍したのは、最古参のこの四隻だけであった。大改造を経ているとはいえ、土台がしっかりしていたにちがいない》と結ぶあたりの呼吸もいい感じ(p.37)。

 「戦争と平和についての観察」は昨年の年末に読んだ『関与と観察』の中で書かれた、さまざまなトピックスをひとつにまとめたような文章でした。《戦争を知るものが引退するか世を去ったときに次の戦争が始まる例が少なくない》《今、戦争をわずかでも知る世代は死滅するか現役から引退しつつある》(pp.56-57)というあきらめのような気分で書かれています。

 《1)中クラスの国家にとどまるべきこと2)アングロサクソンを挑発しないこと3)近隣の恨みを買わないこと》(「あとがき」でのまとめ)を基本としたビスマルクを罷免したヴィルヘルム二世の政策によって、ドイツは世界大戦二連敗という唯一の体験をすることになるというあたりを力説していたのが新味。同じくあとがきでは《日本の第二次大戦は欧州の第一次大戦に相当する。まだ、日本はほんとうの試練に逢ってないのかもしれない。歴史と地理と偶然が日本を甘やかしてきた》という悲痛な文章が書きつがれています。

 中国脅威論ばかりを云う曲学阿世の徒には、恨みをかわず、米国陸軍にさえ中国大陸に兵を進めることを想定しないという不文律をつくらせた中国共産党の日中戦争から朝鮮戦争、ベトナムとの戦争までの長く苦しい戦争が最も成功した戦争だったかもしれないという指摘を読ませたいですね(p.86-)。中共がA級戦犯に対する日本の動向に厳しいのは、ひょっとすると東京裁判でA級戦犯とされた全員が満州国の建設に関与するか、日中戦争の早期妥結を阻止した人々であることが重要なのではあるまいか、という指摘も含めて。

 「睡眠医学からの助言」はとても役立つというか、個人的に睡眠障害を感じるようなことはほとんどないのですが、《睡眠は二時間ごとに浅くなる。夜目覚めるのは二時間置きか、二時間の倍数である》《このように二時間をセットとして睡眠時間は四セットで一晩分である。一セットには睡眠の全要素が入っている》というのは実感できますし、中井先生が言及する《時々、睡眠は四時間で大丈夫だという人がいる。たしかに一セットの睡眠が一番深く、第二セットがその次という人が多い》というのは以前のぼくでした。

 しかし、《年をとると、第一セットの眠りも浅くなってくる。睡眠の深さを四段階に分けるとたいていの人が第四段階には達しない、睡眠薬も第三段階どまりである(第四段階まで達するという薬は夢遊病を起こしやすい)。酒は第二段階を長引かせる。そして、夢が足りない》(pp.12-124)というのは、まるで自分のことについて書かれたような印象。

 もう以前のように夜更かしして本を読むことはできなくなりましたし、せいぜい、酒を多少控えて、3セットをしっかり眠ろうと思いましたね。それにしても今年読了した本は受験期を除けば、中学・高校時代を含めて最も少ない100冊以下に落ちたのは、個人的に加齢を最も感じる部分です(寂しい)。

 最後を藤原定家の「風の上に星はひかりはさえながらわざともふらぬ霰をぞ聞く」という絶唱でしめるという構成もいいですね。

|

« 「やきとん まこちゃん」 | Main | 「角平」のだし巻たまご »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

Comments

ご無沙汰してます。
ABCに対する評価ダウンというお言葉に
妙に納得…。なんだか申し訳ないです。

Posted by: 元ABC | November 28, 2006 at 09:46 PM

あ、ご無沙汰してます。
改装してから、歴史コーナーは解体され(マジっすよ)、哲学・思想コーナーは「あおい書店」と変わらない不勉強さです。
まあ、こうしたジャンルでの新刊良書が少ないというのもあるんでしょうが、申し訳ないけど、文庫本と外国文学コーナーを除けばもう以前の六本木ABCではなくなりましたね。

Posted by: pata | November 28, 2006 at 09:52 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23829/12838200

Listed below are links to weblogs that reference 『樹をみつめて』:

« 「やきとん まこちゃん」 | Main | 「角平」のだし巻たまご »