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October 22, 2006

人はなぜ美術館をめぐるのか

  お久しぶりでございます。

 で、まあ、なんで、人は海外旅行に行くと、美術館めぐりなんかするんでしょうか。基本的に出張の場合、どうしても、都心部での滞在が多くなるし、それに使える時間は限定される。もちろん、バールやカフェに居座ってボーッとしていもいいわけなんでしょうが、なんか有意義なことでもしようか、ということになると「せっかくなので美術館でも行ってみるか」という思考経路になるんじゃないかと思います。

 ということで、なぜか有意義さを求めてしまう日本人的律儀さと、宮仕えによる限定された時間というハザマにあって、今回もいくつか行ってきましたので、バカ話を書かせてもらいます。

[テート・ブリテンでターナー三昧]

Turner

 最初に滞在したのはロンドンではTate Britainに行きました。ターナーの絵が腐るほど展示されているところですねぇ。ターナー。好きです。

《「あの松を見たまえ、幹が真直で、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だに云うと、野だは「全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である》(『坊ちゃん』新潮文庫、p.43)

なんて夏目漱石が書いているぐらいですから、前っから日本人はターナーが好きなのかもしれません。だいたい静かな風景画ってのは、いいですわな。ぼくも、何かに恥ずかしがるような年齢もすぎていますんで、この際、正直に書きますが、好きな絵描きさんを挙げろといわれれば、シスレー、ピサロ、コロー、ターナーと答えます。強引に共通点を探すと地平線の低くい安定感のある構図が多く空のブルーがきれいなことといますか、なんか大人の塗り絵なんかに使ったら、アルファ派出まくっていいんじゃないかと思うような作品が少なくないんじゃないか、と勝手に思っています。攻撃的じゃないですしね。

 ということで、早描きのターナー。デカイ絵も少なくないのに、Tate Britainには、大量の絵が展示されている。ターナーはある展示会を前に、公衆の面前で絵を数日で書き上げたこともあった、なんていうエピソードも紹介されています。

 館内に入ると、いろいろ催し物はやってますが(Holbeim in Englandとか)、時間もないので、Turner Galleriesに直行。最初は旧約聖書に題材を取った作品が多いけど、だんだん、イタリアの風景などから、ターナーっぽくなってくる感じ。段々、横絵の左右の木々の曲がり具合が、ご存じターナー調、みたいな。さらに、どんどん、形がなくなっていく。2階の一番奥のヨット、海、嵐の間が素晴らしい。

 撮影禁止なのが、ナニですが、いろいろあったけど、以外にハンサムな若い時の自画像のポストカードを購入。これを見ながら、Tate Britainを思い出そうと思います。

[アンブロジアーナ美術館のカラバッジョ]

Caravaggio

 ミラノでも時間がなかったので、あわただしい動き。仕事をすませて、いったんホテルに戻って重いカバンを置き、着替えてからカラバッジョの静物をみるためにアンブロジアーナ美術館に地下鉄へ。ここにはレオナルドの残した唯一の男性画像(自画像除く)と、カラバッジョの静物画『果物籠』、それにオリジナルはバチカンにあるラファエロの『アテネの学堂(Scuola d'Atene)』の巨大な下絵などがあるところ。

 チケットを買って、上っていく途中に無造作に置かれているピエタに魅入られる。これはバチカンに置かれているののコピー。ミケランジェロが死の四日前まで彫っていた人生最後のピエタはスフォルツァ城内の美術館にあるらしいけど、見にはいけませんでした。話は飛びますが、3Dのというか、彫刻の女性ではミケランジェロのピエタのマリアが一番好き。左手の指も可憐。どっかのバカがバチカンのマリアさまの左手を叩き折ったんだけど、その気分は少しだけわかる。あまりにも完璧すぎなんだもんなぁ。

 カラバッジョがテーブルに置かれた果物を描いた静物も、全ての欲望が捨象されたような美しさ。虫に食われたリンゴの肌、柑橘類の葉が愛おしい。大きさというか小ささというか、サイズもいい。一枚、記念にこのポストカードを買う。

 Mose Bianchiなど19世紀の画家たちの絵が置かれているRoom19に行く途中から見える中庭が素晴らしいですね。ちょっと暗くて、周りにはいろんな彫刻が置かれている。こんなところに住んでいたら時間の感覚なくなるだろうな。

 すっかり心が洗われたので、歩いてモンテナポレオーネ通りで頼まれていたバッグを探すという行動パターンが恥ずかしい…。
 
[ルーブルで初フェルメール]

Lacemaker

 パリでは、まずオルセーで印象派の絵を堪能しました。だってシスレーやピサロが好きなんすから、しょうがありません。あと、20年近く前に、最初に来た時に「ええなぁ」と思ったモン・サンミッシェルの頂上に飾られているミカエル像のコピーに挨拶。これ、なんつーことはないかもしれないけどポーズが美しいと思うんすよねぇ。あと、ゴッホの自画像にも「恥ずかしながらまたやってきました」と挨拶。

 これまで、自由時間がなぜか火曜日だけということもあって、なかなか訪れることのできなかったルーブルですが、帰国便の搭乗前にダッシュで廻ってきました。

 十数枚しか残してないレオナルドと36枚しか残していないフェルメールをどちらも持っている美術館ってルーブルだけなんじゃないでしょうかね?今回、レオナルドの作品は、ミラノで男性自画像とここのモナ・リザを見ることが出来たのはラッキーだったかもしれません。

 しかし、なんといってもフェルメール。『レースを編む女』。「この娘の持つ、目に見えない針を中心に、宇宙全体が回っていることを私は知っている」とまでダリにいわせた作品。あまりにも小さな作品であることに驚くとともに、指先のタッチの繊細さに感動しました。

 サモトラケのニケの壊れっぷり、ジオットのナポレオン戴冠式、ヴェロネーゼの『カナの饗宴』のバカバカしいデカさに驚く。『ミロのヴィーナス』、ミケランジェロの『瀕死の奴隷』『囚われの身』などもとにかく見てまわる。ル・ゴフ先生に敬意を表して聖王ルイの洗礼盤も。これは小さかったけど、印象的。

 個人的にはやつぱり好きなコローの間がよかったすかね。『モルトフォンテーヌの思い出』とか、それに似たたくさんの絵。絵描きさんは自分自身のキメを持っていて、それを執拗に何回も書くんだな、みたいなことをそれぞれの間に感じました。

[モンマルトルでひとりユトリロ]

No1morning_sky

 残念だったのが、ポンピドゥセンターでユトリロとか見られなかったこと。しかし、その代わりといってはなんですが、1日だけあったモンマルトルでうろうろしている時に、偶然、コタン小路を見つけたのは嬉しかったです。

 観光客がドッとサクレ・クールに押し寄せる前に、ということで、朝早くタクシーで頂上まで乗り付け(今はバスもダメみたいです)、グルグルと坂を下りていく途中、ユトリロが描いたコタン小路がありました。感動のあまり、2回も長い階段を上り下りしてしまいましたよ。なんか、ユトリロか佐伯祐三になった気分で歩きまくり、どこでも絵になるのぉとイイ気になっていたら、犬の落し物を踏んづけてしまったのは情けないですが…。でも、コタン小路で思わずGR-Dで一人記念撮影してしまったのは、今回の出張で一番の思い出でした。

 しかし、サクレ・クールのあたりは、9時すぎには観光客だらけになって、早朝の静謐さはまったく失われます。みなさん、モンマルトルに行くのでしたら、早朝しかありませんよ、ということで。

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Comments

おかえりなさい。
あちこち行かれていたようですね。
私も旅行のたびに教会と美術館をかたっぱしからめぐるのには毎度閉口してしまいます。
カミさんにも「日本でも美術館や寺、行かんでしょ」、と言って
説得するのですが、どうにも行かなければ損するような
感覚に襲われるのだそうです。

Posted by: icydog | October 22, 2006 at 09:26 PM

icydogさん、ほんと、不思議な感覚ですよねぇ。ぼくも、日本にいる時には、せいぜい美術館に行くなんて1年に1回ぐらいなんのにww

Posted by: pata | October 22, 2006 at 10:13 PM

日本に於いても神社仏閣めぐりをしてしまうが、美術館はあまり質がよくないので行かないですね。まぁ海外は仕事柄それ目的で行くんですが観光客が多いのに閉口します。ほんとにおまえら絵がすきなのか小一時間・・・って団体客とか。
でも流石にルーブルの広さはそれすら凌駕するし好きな絵は人気ないんでゆっくり見られますね。

ターナーはど近眼だったんですよ。
あと、日本画的なものを探求していたらしいです。日本人が好むのは当然かも。

ピカソ美術館のような小さい美術館もいいです。あとクリュニー博物館みたいに特化されたのとか。パリだとあそこの界隈(カルチェラタン)も好き。実はモンマルトルは一度もいったことがない・・・。

Posted by: あんとに庵 | October 23, 2006 at 12:22 AM

ターナーはど近眼だったんすか!だから最後は、よく見えなくなって、あんなにモノの形がなくなっていったのかなww

モンマルトルは実は、今回が初めてでした。いつも、空港から市内に入る時、サクレ・クール見ると「ああ、パリに来たんだな」と思うので、一度ぐらい…みたいな感じでした。

サン・ジェルマン・デ・プレ教会にはデカルトのお墓参りにでも、と思っていったのですが、歩きに疲れ果てて、ココロの中で「どーも」と云って帰ってきました…

Posted by: pata | October 23, 2006 at 07:42 AM

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