北越TOBのこと
チラッと他に書いたのですが、王子製紙と北越製紙のTOBはなかなか見所がありました。攻める王子、守る北越。そして北越を援護するのが昔、王子に切り捨てられた三菱商事であるというのも因果応報めいた感じもしますし、さらにはもっと長い歴史もあるらしいんですね。どうやら王子のTOBが不成立になることが決定的になったので、チラッと地元の経営者に聞いた話をご紹介してみます。
その経営者は王子vs北越の話を河合継之助と戊申戦争から始めるわけです。
1868 戊辰戦争により長岡城と城下町が焼失。
1870 三根山藩から米百俵が贈られる
もうおなじみの小泉「米百俵」の話ですね。その「米百俵」で小林虎三郎が建てた学校を北越製紙の創業者、田村文四郎が出たかどうかはわかりませんが、少なくとも、多くの関係者が出たことはは間違いない、というんですわ。で、1906年、その紙商・田村家を継いだ田村文四郎はイネワラを原料とした段ボール生産を志し、1907年、北越製紙を創設したというんですね。
製紙業、製鉄業は物流業ともいわれていまして、大量の原料イナワラを運ぶ信濃川船運が子会社としてつくられます(現在の北越水運)。この会社が川、運河、用水路などを通して集めたイナワラを工場に運んだ、というわけです。まさに、地元密着。捨てていたものを多少なりともカネに代えてあげたわけですからねぇ。雇用も生み出したわけですし。さぞや感謝されたことでしょう。
しかし、1964年に発生した新潟地震で北越製紙の長岡工場は壊滅的打撃を受けます。労組も王子TOBに反対するメッセージの中に「新潟地震以来の経営陣との良好な関係に基づく、組合員の高い意識と勤労意欲が北越の競争力の源泉」と強調していましたが、労使にとって、新潟地震はそれほど大きな事件だったというんです。そして、長銀に融資させ、電源開発からトップを送り込むなどの再建策をとりまとめたのが、翌65年に自民党幹事長となった田中角栄元首相だったそうです。
今後、どうなるかわかりませんが、これだけの地元密着型の、しかも長い歴史を持ち、戊辰戦争、新潟地震などの人災、天災を乗りこえた記憶が刻み込まれた会社にTOBかけるというのは、ちょっとムリスジだったのかな、と思います。どんな場合でも、歴史への深い知識というのは大切にしなければならないと思うのです。
もちろん「理性的なものは現実的なもの」であると思いますから、この先、今回のTOBはなかったということにして、両社が歩み寄ることもかんがえられるかもしれませんが。
王子製紙は5日、4日に締め切った北越製紙に対するTOB(株式公開買い付け)への応募が、発行済み株式数(議決権ベース)で5.33%に相当する1125万4829株にとどまったと発表した。目標とした50%超を大きく下回り、TOBは成立しなかった。
大手企業同士で初めてとなる敵対的TOBが失敗に終わり、北越製紙は今後、大株主である三菱商事や日本製紙グループ本社と連携策を協議。王子は単独での設備統廃合で競争力強化を目指す。 (12:36)
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Comments
新潟出身であり、製紙業界とも縁浅からぬ業界に身を置いている者として、今回の一件は興味深くリサーチしていたつもりでしたが、このエントリで更に理解が深まりました。ありがとうございます。「新潟地震」が、64年のソレで、04年の中越地震のことではない、ということすら、このエントリを読ませて頂くまで気が付いていませんでした。
Posted by: katagiri | September 02, 2006 08:11 AM
イタリアンも含めて、新潟に栄光あれ!なんつってww
でも、河合継之助、小林虎三郎、田中角栄と地元のオールスターキャストが背景に揃っている会社に不用意にTOBかけるとは、王子のトップもちょっとねぇ…という感じはします。
たまたま、いいお話を聞けたのでご紹介したのですが、別なところでも、同じようなコメントをいただいたので、書いてよかったな、と思いました。
Posted by: pata | September 02, 2006 08:40 AM