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June 25, 2006

『精神現象学』読書日記#7

 日本代表はワールドカップの一次リーグで負けてしまいました。残念です。4年前、22歳だった黄金世代が脂の乗り切った06年になったらどんな凄いことをやってくれるのかと期待していただけに、脱力感は二倍になってしまいした。長い間の低迷期を抜け出し、アトランタ五輪の出場権を獲得した前園、川口らの世代は、ずっと日本代表を見てきたサッカー好きにとって、久々に現れた希望の星でした。ところが、彼らのひとつ下の世代が、それを遥かに上回るようなポテンシャルを持っていると知り、実際、その片鱗を99年のワールドユース準優勝という結果で見せてくれた時「この先、日本サッカーはどこまで進歩するんだ…」と思わせてくれました。でも、ヘーゲルの云うように、現実的なものは理性的であり、理性的なものは現実的なのでしょう。3戦して1分2敗。もちろん1勝2分ぐらいまではあったかもしれませんが、やはりこれが実力なんだ、と思って見守っていかなければならないと思います。

 ということで、またヨタとお付き合いいただます。

[A.意識][III.力と科学的思考]はパスします。読んでて面白くないですし、なんで、ヘーゲルはこんなにも当時の物理学や数学に対して対抗心を燃やすのかわかりません。ただ、もしかして、ニュートン的な物理学の限界性を感じていたとしても、専門外のことについて、よくもここまで否定して、しかも間違ってしまうのか、よくわからないところです。ヘーゲルは、物理学や数学の限界性を言うのですが、ものすごくファンとして暖かく見守ってあげるとしたら、量子論を知ったら、ヘーゲル先生は興奮するんじゃないかな、なんてつまらぬことを考えたぐらいです。

 ということで、いきなり[B.自己意識]に。ここに有名な支配と隷属の論理も出てきますが、今日は、その前まで。

[B.自己意識][IV.自己確信の真理]

 直前の[III.力と科学的思考]で≪純粋な内面世界という一方の極と、純粋な内面世界を透視する内面的思考というもう一方の極が合体し、両極が極をなさなくなるとともに、両極とはちがう中間項も消滅している。内面世界をおおっていたカーテンがあけられ、内面的思考が内面世界を正視できる状態にある≫≪それこそが自己意識というもののありようなのだ≫としてますが、その自己意識について、もっと云えば≪意識が自己を意識するとき、その意識の内容かどんなものなのか≫を解き明かすのが、この章です。

 ヘーゲルは≪自己意識は、感覚世界や知覚世界にある他なる存在から目を転じて、自分のうちへと還ることを本質とするもので、それが自己意識としての運動である≫と書きますが、これでは同語反復のようだとして、すぐに生命の話にもっていきます。 ≪生命の本質は、すべての区別を克服していく無限の、純粋な回転運動 - 静止しつつたえまなく変化する無限の運動 - にある≫≪流動体としての生命≫であるとします。そして、≪まわりの生命界から栄養を奪い取って自己を保存し、自己統一の感情に浸る個体≫はやがて≪類としての統一を自覚する意識ーの登場を準備≫します。

 そして自己意識とは≪類そのものの存在を自覚し、みずから類としてあるようなもう一つの生命≫なのでもあるとして、≪自然のなかにあって絶対的な否定の力を行使する一般的で自立した存在を求めると、生命を超えた類そのもの - 自己意識 - の登場を待たねばならない≫として高く評価します。

 ヘーゲルにとって動物と人間の違いは≪ただ生きているというだけのさまざまな生命体は、生命界の運動過程のなかでその自立性を失い、形態上の区別がつかなくなって生物としての存在を失うが、自己意識の対象は、自己を否定しつつ自立するような存在なのだ。つまり、自分が類であることを自覚し、自分独自の個としての存在を確保しつつ、生命界全体の流れに身を浸すような存在≫であることらしいのです。

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