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June 04, 2006

『精神現象学』読書日記#2

 ヘーゲルの本を読み進むのは難しいけれど、手かがりみたいなのは、あるにはあります。それは序文ではないでしょうか。その伝統はヘーゲル左派やマルクスも受け継いでいると思います。そして長谷川宏さんもそうではないでしょうか。

 『ヘーゲル『精神現象学』入門』は238頁の本で五章に分かれていますが、その一章から三章までの94頁が『精神現象学』とはどういう書物であるかをヘーゲル自身の紹介とともに「まえがき」と「はじめに」に焦点をあてて書かれています。

 もっともヘーゲル自身は「まえがき」の中で《一巻の書物のはじめに「まえがき」なるものを書き、その書物で著者のねらいとする目的がどこにあり、また、おなじ対象をあつかう前代や同時代の作品にどう刺激を受け、どう新境地を開いたかを説明するのが慣例のようになっているが、そうした説明は、哲学書の場合、不必要であるばかりか、事柄の性質上、不適当であるとさえ思える》(p.1)と書き始めてはいるのですが、そんなことはおかまいなしに、長谷川訳で延々63頁にわたって「まえがき」を書きまくるわけです。

 これは矛盾ですよね。

 この矛盾についての長谷川さんの見解は明快。それは「若書き」であるから、というもの。37歳の時の著作ですから、それを若書きというのも少し牽強付会のよう感じられるかもしれませんが、とにかく、自分の体系をはじめてドーンと世の中というより、世界にぶつけた、という気負いはあったと思います。長谷川さんは《客観的に述べられたかに見えるところにヘーゲルの主体的な意向がおおいかぶさり、ときには、主体的意向が客観的記述を踏みこえて進むために、読者は真意をつかみかねるのだ》と書いていますが、まさにそんな感じ。

 それとともに『精神現象学』自体が、感覚的確信から始まり絶対知にいたる精神の地図なき旅といいますか、力ワザで荒野を切り開くようなところがあって、ヘーゲル自身も全体の構想はあるのでしょうが、果たして本当にそこまで行き着くことができるのか、みたいな暗中模索で突き進むような書きっぷりなんですね。妙に具体的な文学作品に寄りかかってみたり、逆に抽象的なたとえ話を延々と展開してみたり。

 まあ、そんな感じなのですが、読み始めて多くの方が異様に感じるのは、数学に対する執拗な攻撃ではないでしょうか。《数学の明晰さは、その目的が貧弱で、その素材が不十分なるがゆえに獲得できるもの、したがって、哲学の目から見れば軽蔑すべき明晰さでしかない》(p.28)みたいな。

 それは、どうも《真理をめぐる一切に関係する重要な点は、真理を「実体」としてではなく、「主体」としてもとらえ、表現することである》(p.11)というあたりと関係しているようです。長谷川さんに解説してもらうと《スピノザの主著『エチカ』は「幾何学的秩序にしたがう証明」とスピノザがいうように、まず「定義」があり、つぎに「公理」があって、そのあとにいくつもの「定理」とその「証明」が続き、適宜「注解」や「系」がさしはさまれる、という構成になっている。しかし、ひとたび公理が設定されると、そこから自動的につぎつぎと定理が導きだされるという論の展開は、ヘーゲルの目からすると、哲学に似つかわしくないと思われた。哲学における論の展開は、公理からなんの矛盾もなく一直線に定理が出てくる幾何学とはちがって、たえず矛盾にぶつかり、その矛盾を一つ一つ克服していくような展開でなければならなかった。真理を「主体としてとらえ、表現する、というのは、矛盾のうちにこそ真理が宿る、という、スピノザとは異質な存在観の表明にほかならなかった》ということではないか、と。

 とにかくヘーゲルは「否定」「分裂」「対立」が大好きというか、そのダイナミズムの中にこそ真理に至る道がある、と確信しているわけです。

 そして、それは自分の外にでていきつつ自分のものとにとどまる、アイデンティティを失わない、自分自身を確立すべく運動する生きた実体としての「主体」にほかなりません(p.11)。

 ヘーゲルの『精神現象学』はヘーゲルという時代精神にやどった旅する生きた実体の克明な記録でもあると思います。

 なかなか前にすすまないというか、「はじめに」で粘るのはヘーゲル先生のクセなのでお許しを。

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