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May 29, 2006

『法哲学講義』読書日記#22

 [第三部 共同体の倫理]はついに[第三章 国家]まできました。

 でも、ハッキリいって、ここんところは、今読むとあまり面白くないんです。当時、ナポレオン戦争が終結してヨーロッパに平和が戻ったばかりのタイミングで話された時には感動的だった講義かもしれませんが、最後が《自分の内面を無限に肯定し、神の本性と人間の本性との統一という原理を獲得し、主観的な自己意識の内部にあらわれた客観的真理と、自由との和解を実現する、それを実現する役割を負うのが、北欧のゲルマン民族である》というあたりで終わる講義なんで、細かく引用するには、今になってはちょっと面白くないと思うとろこが多いんです。ということで、同じようにつまんなかったと感じた[第二部 道徳]のようにサクッと終わらせるというか、面白かったところだけピックアップします。

 まあ、云っているのは、世界史の中でようやく実現された精神の自由の象徴である国家を大切に考えなアカンよ、みたいなことなんすから。

[第三章 国家][A.国内法] まるでオウムというか、オウム以外でもそうなんですが、狂信的な宗教あるいは思想が厳しく断罪されているところが印象的でした。それはp.515のここ。

《信仰心が内面にこもって国家と対立するという場合、さしあたり、そうした宗教は消極的な姿勢に終始するが、この抽象的な原理が積極性をもつこともないわけではなく、そうなると、ただちに国家の諸制度と敵対します》

 言い得て妙というか、そうした閉鎖的な団体の運動のダイナミズムまで解明しちゃってる感じがします。さらには、こんなところもさすがです。

 《簡単にいえば、信心深い人びとが現実よりも内面性を強調するとき、そこに狂信がうまれる》《狂信が思想という形をとることもあ》る、と。

 いいですねぇ。ホント現代まで見通しているじゃありませんか。

[第三章 国家][A.国内法] [I.国内体制] ヘーゲルは、まだホットなトピックスとしてフランス革命批判、特にジロンド党批判をこの章では行うわけですが、特にここんところの切れ味は原則的だし、深い。そう、たとえればナタの切れ味。

 《モンテスキューは、徳性をもて、といっただけですが、徳性のむこうにはそれとは別のものがあって、徳性はそれ(徳性ならざるもの=pata)が広がるのをゆるせないから、徳性の原理に恐怖の原理が付加されざるをえない。人間がそのような原理に到達したことには、深い意味があります。恐怖がどんな形をとったかは、歴史の示すとおりですが、徳性が恐怖へとむかうのは、それが、主観的自由の自立性が広く認められる、近代国家のあらわれた心情だからです》

 これは本当に深い言葉ですね。

[第三章 国家][A.国内法] [I.国内体制] [(a)君主制] ヘーゲルは《「意志するわたし」》という役割が必要だから、君主は必要だと説きます。最終的に「意志するわたし」があらゆるリスクを背負って決断することは、国家が自由な人格として行動していることの証だから、というわけですが、もちろん、こうした決断は内閣などの輔弼が絶対的に必要であり、君主は虚しくサインをするだけでという存在になるべきだと説きます。pp.540-のいくつかのフレーズは、明治以来、まだ日本が超えてはいない到達点を語っています。

 《だれでも王になれるからこそ、みんなが王になるのではなく、一人だけが王になるのだ、ということができる》

 《王権神授説は、十分なものとはいえない、神は最悪のこともなすのですから》

 《君主の威厳は、それがあらゆる感情やわがままを超えている点に》ある。

《君主は、ぬきんでた体力や精神をもつわけではないが、にもかかわらず、何百万人の人びとが君主にしたがう。それは君主の力で起こることではない。力といえば、君主はむしろ弱く、君主を追いだすのは簡単なことです》

 ここらへんは、女系天皇がダメだという議論がいかに本質的でないか、ということにもつながっていくんじゃないでしょうか。

 以上で、第三章のまとめは終わらせてもらいます。

 『法哲学講義』の読書日記にお付き合いいただき、本当に感謝します。

 さて、次は、ちょっと休んだ後、規定方針通り『精神現象学』をいきます。

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Comments

お疲れ様。
最期の章も結構面白いじゃないっすか。
特に某馬鹿珍とか思い出してしまうよ。宗教の項目だけでなく、君主〜教皇の項目としても。

Posted by: あんとに庵 | May 29, 2006 at 10:12 AM

おつきあいいただき、ありがとうございます!

 《だれでも王になれるからこそ…》のところは教皇と置換えても読めるかもしれませんね。

『精神現象学』ですが、これよりは、もう少しサクサク書こうと思っています。

Posted by: pata | May 29, 2006 at 11:06 AM

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