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May 17, 2006

『法哲学講義』読書日記#14

 今日は欧州チャンピオンズリーグの決勝。ということで、速攻で家に帰って、バーッと酔っ払って深夜に起きて、ライブで見なければならず、朝から全開モードで原稿を書きまくっていたら、奇跡のように素早く終わってしまったので、チラッと読書日記をつけてみます。短く[第三部 共同体の倫理][第二章 市民社会][A.欲求の体系]とそのなかの[(a)欲求と満足のありかた]のみ。[A.欲求の体系]は(a)欲求と満足のありかた(b)労働のありかた(c)財産―と分かれていますが、今日はサマライズしている部分と(a)欲求と満足のありかただけ。

[A.欲求の体系] ≪§189 意思の一般性(共同性)に対立するものとしてあらわれる特殊性が、主観的な欲求である≫という定義、素晴らしいというか過不足ありません。ヘーゲルは欲求、労働による欲求の媒介、財産という三つを考察するなかで一般的な力(共同の力)がどのように働くかを見ていきます。

[A.欲求の体系][(a)欲求と満足のありかた] ここも、いきなりしびれるようなフレーズが出てきます≪法の対象は人格であり、道徳の対象は主観であり、家族の対象が家族員だとすると、市民社会の対象は市民(ブルジョワ)である。この欲求の段階にきて、人間の名でイメージされる具体的な存在が登場する。ここにきてはじめて、しかも本格的に、人間らしい人間が問題となるのである≫。

 多元論が好きな方にはとんでもなく感じるかもしれませんが、これが吉本さんの云うところの「普遍のヨーロッパ」だと思います。いくら様々な原理主義者たちが、自分たちの土地で「普遍のヨーロッパ」の進入を阻止しようとしても、それは無駄な努力に終わるだろうと思います。なぜか。

 ヘーゲルはこんな風に云います。所有や欲求には≪他人と同等でありたいという要求がただちに生じてくる。この同等性の欲求と同等をめざす模倣が一方にあり、他方には、他にぬきんでて認められたい、という、同等性の欲求のうちなる特殊性の欲求があって、この二つの面からして、現実に、欲求の多様性と拡大化が推進される≫からだ、と。

 さらには≪模倣は流行の源≫なんてことも云ってくれます。そして≪流行の服を着るのは理にかなっている≫≪みんなのやっていることにしたがうのが賢明です≫≪偶然に生じる変化にもそれなりに意味があるのです≫なんてことまで語ってしまう。『哲学史講義』では「あまり流行の服にまどわされるな。ちょっと遅れているぐらいがちょうどいい」みたいなことを云っていたような気もするのですが…まあ、ラルフ・エマーソンが語るように、一貫性は小心者の象徴だし、ウルトラビッグな大哲学者ヘーゲル先生なので細かいところは放っておきましょうか…。

 こうした欲求の体系が進化するとどうなるのか。もちろん≪贅沢が贅沢を呼ぶことに≫なり≪従属と貧窮の無限の増大を招来する≫のです。こうした問題に対してもヘーゲル先生は実にクリアカットな言葉を投げつけてくれます。

 贅沢はやめて自然の与えてくれるわずかなもので満足せよ、という意見に対して≪人間は自然ではないし、自然のままの人間(動物)ではない。人間は反省力のある精神であって、多様化は人間につきものであり、多様化を観念的に楽しむのが人間の本性≫と語ってキニク派のディオゲネス伝説を笑い、≪人間はパンと水だけでは生きられ≫ないと断言します。さらには≪富の死滅をいまなおおこなっているのは、コサック人やタタール人ぐらいのもので、文明世界では富が流通し、たえず使用されています≫とまたもや差別的な言辞を吐いてくれます。ここらへん、後半ではもっと期待に応えてくれます…。

 各個人は思いのままにふるまっていいし、欲求を満たそうとするわがままな思いも受け入れざるを得ないとしながらも、≪市民社会全体に気を配る機関として、職業組合と社会政策がある≫として、ヘーゲル先生は労働のありかたをみていくきます。

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