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April 07, 2006

『危機の宰相』

『危機の宰相』沢木耕太郎、魁星出版

 沢木耕太郎さんは、かなり好きな作家のひとりに入るのだが、恥ずかしながら、この本の元となる長文のノンフィクションを文藝春秋に1977年に発表していたとは知らなかった。時期的には『深夜特急』の旅を終えて、日本に帰って来た直後にあたる。今となっては信じられないが、74年の春闘の賃上げ率は32.8%に達していた(1兆円もの利益を出す企業のベアが1000円である現在に慣れた目でみると改めて驚く)。翌75年も労働側は25-30%の賃上げを要求し、このことの是非を問う記事を書くためにインタビューしたひとりが下村治さんだった。

 インフレ防止のためにも賃上げは凍結すべきだとする下村氏に対して、「弱者の救済についてはどうお考えですか」と沢木さんは食い下がるが「それはいまに始まった問題じゃない、五十年前、百年前からある問題だと思う。なぜ解決されないかというと、人間が愚かであり、手前勝手だからです」と切り捨てられたという。このインタビューで、初めて大人らしい大人とぶつかり、弾き飛ばされてしまったという印象を持った沢木さんは、しかし、長年の疑問を解くカギを得る。それは、小学生の時に体験した60年安保の政治的高揚があっという間に池田内閣の「所得倍増」にからめとられていったのは何故だったのか、という疑問だ。

 その答を得るべく、沢木さんは、池田勇人、その派閥であった宏池会の事務局長である田村敏雄、さらには経済ブレーンとしての下村治の三者が織りなす物語を紡ぐことにする。それが77年に発表された『危機の宰相』だった。本来、沢木さんにとって長編第二作となる予定だった『危機の宰相』だが、沢木さんは『一瞬の夏』を生きる道を選ぶ。そして、実に、決定版を出したのは27年もたってからだった。

 だから、この本には、沢木さん本人による長文のあとがきと、御厨貴さんによる解説まで付いている(御厨貴さんは『宮澤喜一回顧録』の共著者)。沢木さんは、最終形にするまでに長い時間をかけるので有名だが、それにしても2004年に『沢木耕太郎ノンフィクション7』文藝春秋に収められた『危機の宰相』をさらに加筆、章立ても変更するというのは尋常ではない。

 ぼくは沢木さんが、この時期に、『危機の宰相』を完成させなければならないと思いたった気分が少しだけわかるような気がする。それは、戦後の保守政治に対して、最終的には「負けた」と告白するにせよ、グッドルーザーであるべきではないのか、ということからではないのか。

 沢木さんは『日本を決定した百年』吉田茂の<<攘夷に失敗して西欧諸国の力を知った武士たちがあっさり開国に踏み切ったように、戦争に敗れた日本人はその敵の美点を認めた。占領軍のすべてが正しいとは思わなかったが、アメリカやイギリスが概して立派な文明をもっていることを認めたのである。疑いもなく日本人は「GOOD LOSER」(よき敗者)だったのである>>という部分を長々と引用しているが、ひょっとして、戦後保守政治を乗り越えるには、その美点を認め、GOOD LOSERにいったんはならなければならない、と思っているのではないか(p.67)。

 だから、沢木さんは「所得倍増」政策に対して、なんていうか、責任感乏しくというか、馴れ合い的にというか、予定調和的にというか、緊張感なしに左翼チックな反論をした都留重人に対して「口舌の徒」と切って捨てたのではないか(p.175、沢木さんがここまで激しく人を非難する言葉をぶつけたのをあまり読んだことはない)

 そして沢木さんが描くのは<<奇病と闘い、捕虜生活に苦しみ、死病に苦しんだはずの三人が、誰よりも「楽観的」に、日本経済は成長し、日本国民は豊かになるのだ、と声を上げるために巡り会うことになる。その三人は共に元大蔵官僚だった。そして、三人は共に官僚として不遇な道を辿ってきた。三人は確かに「ルーザー」だった。しかし、日本という国を、吉田茂のいう真の「グッド・ルーザー」に仕立て上げようとすることで、三人もまた<よき敗者>となるべき道を歩み出していたのだ>>という三人だ(p.131)。

 その三人とは、もちろん、池田勇人、田村敏雄、下村治だ。

.......................

昨日で小泉首相の在任期間は1807日となり、中曽根元首相を抜いて佐藤、吉田政権に次ぐ戦後3番目の長期政権となった。そして、今日、民主党は代表選挙を行う。

 よくわからないが、民主党代表選で小沢一郎党首が決まれば、それは社会党的なものの終焉を意味することになると思う。冷戦構造下でつくられた55年体制は、冷戦終結後15年たった2005年の選挙で、自民党が圧勝することによって、完璧に終わった。おそらく、そのトドメを差すのが小沢・民主党だと思う(まあ、政治の世界は一寸先は闇なので何が起こるかわからないが)。

 つまり、もう国政選挙では、岸信介を源流とする清和会に率いられた自民党か、吉田学校に端を発する旧田中派のメンバーを中心とする民主党しか事実上、選ぶことができなくなるという事態が、すぐそこまでやってきている、ということだ。

 それに改めて戦慄を感じるとともに、しかし、もし本当にそれを超えたいとすれば、いったんは、保守政治に対する「グッド・ルーザー」になることが、どうしても必要なのかもしれないと思う。

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