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January 06, 2006

『中世とは何か』

moyen_age

『中世とは何か』J.ル=ゴフ (著)、 池田健二、菅沼潤(訳)、藤原書店

 これも買っておいて、なんとなく読まなかったというか、じっくり読みたかったので、年末年始にとっておいた本。アナール学派第3世代である研究者ル=ゴフが、自分と学問の歩みを文化ジャーナリスト相手に語る、という内容。レヴィ=ストロースの『遠近の回想』の中世史学版みたいな感じ。そして『遠近の回想』を読んだ後のような深い感動がある。

 生い立ちや学生として過ごした第二次大戦、研究生活に入った戦後と東欧などを語る「I 中世史家となる」も面白かったが、やはり「II 長い中世」から本格的な論議が始まる。普通、ヨーロッパの中世(とはいってもアジアの中世というのはなかなか考えにくいが)というのは西ローマ帝国が終わった476年からビザンティン帝国が崩壊した1453年までをさすが、この時代区分は19世紀以来の学校教育の要請に応じたものだという。そしてその裏には、ビザンティン帝国の崩壊によってギリシア文化を吸収した学者がヨーロッパに向かったということで「近代人は中世の聖職者たちに頼ることなくギリシアを直接受容でき」「われわれはその後継者となります。してやったりというわけですね」(p.86)という感情が働いているのではないかと語る。

 しかし、「イタリアにおいて、中世と一気に袂を分かつような、たとえば芸術作品なり、知的動向なり、歴史的建築物なりを探してみても、見つかりません。というかそういうものはすでに十三世紀からあるのですよ」(p.88)という。「要するに話はもとに戻るのですが、一連の変化が、一気に、すべての分野で、ただひとつの場所において起こるなどというはありえないのです。私が長い中世という言いかたをするのはそのためです」と。そしてカロリング朝ルネッサンスからほぼ200年ごとに、理想である古代の度重なる再生という意味でのルネッサンスは起こっていたのだと指摘。「中世はダイナミックで、創造力に満ちていました。しかし中世はそのことを公言しないのですよ」(p.92)とも。

 カロリング朝ルネッサンスに関して面白かったのは、偶像崇拝と聖画像の話。シャルルマーニュは聖画像は手段以上のものでも、それ以下のものでもないとしてこのつまらぬ"神学論争"を締め出し、偶像崇拝に関する論議をルターが出てくるまで封じ込めたのだが、「人間および人間の形象に中心的価値を与える西洋美術が、この選択から生まれたです」(pp.96-97)と評価する。

 そして、一般に定義されるような15世紀から16世紀にかけてのネルッサンスは3番目にすぎないとして「私は『大』ルネッサンスを中世のいくつかのルネッサンスの一つと考えています」という。そして、大ルネッサンスでは新しい言葉「宗教」が生まれ、すべてが宗教だった中世と一線を画すようになったのではないか、という。ここでル=ゴフは、ポランニーの言葉を引用し、初期の社会では経済も独立しておらず、宗教に組み込まれていた、とする。

 専門の「III 商人、銀行家、知識人」も面白かったけど、個人的な新たな発見は「IV ある文明が形をなす」に多かった。例えば、教会の鐘は「音の出るカレンダー」であり、修道士たちはこれによって農村社会に規律を与えるとともに支配もしていたが、13世紀には仕事の始まりと終わりを告げる商人たちの「時鐘」とぶつかりあうようになる。さらに都市の大時計はしばしばうまく作動しなかったが、これによって等間隔の時刻を持つ時間が共有され、さらには15世紀終わりのミラノで発明された懐中時計によって個人的な時間が発明され、時代遅れになった修道士たちの時間は駆逐されていった、と(pp.184-185)。

 また、一方で、教会は罪を犯した人々が天国に行くまでの時間をすごす煉獄という概念を発明することによって、世俗の分野が拡大し、収入が減ることに対抗しようとする。教会は煉獄で受ける苦しみは生者の代祷や寄進によって軽減されるというメカニズムを生み出したわけだ。そして、この概念によって人類は時間と空間の中で一つになった、という(p.200)。ル=ゴフの『煉獄の誕生』という主著をぜひ読んでみたい。ル=ゴフは煉獄と教会によるその概念の発明を必ずしも悪いものとはとらえていない。煉獄とは、天国か地獄かというオール・オア・ナッシングではなく、誰でも自覚している罪の意識を、天国に上るまでに味わう多少の苦しみで相殺できる、という概念であり、それは一般の人々に安心感さえ与えたのではないか、という。

 ラストも感動的。本の最後ではシトー派修道士のカイサリウスが集めた会衆に話すための信仰の話が引かれる。それは煉獄で苦しみを受ける高利貸しが、生きている妻に「この苦しみから一刻でも早く抜け出せるように苦行を積んでほしい」と頼み、妻は世を捨て墓地で暮らすことにするという話。そして彼は7年後には半分白い着物、14年後には真っ白い着物を着て現れ、天国に上ったことを知らせる、というものだが、ここには「地において、また天においても、希望を求めつづける心があります」と語る。そして「カイサリウスは、これを読んだ私を驚かせ、今も私の驚きの一つでありつづけている、次のような一文を付け加えているのです。『煉獄とは、希望である。』私はこう言いたいと思います。中世は希望である、と」(p.299)。

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Comments

お!これは読もうと思っていた本ですだ。
まさしく中世オタクとしては有難い援護射撃。近代より中世の方が面白いです。色々な意味で。特に教会史。キリスト教美術史では。遊び心があると思うのです。カロリンガルネッサンス、修道院改革、托鉢修道会の出現、これらは既にそのあとのルネッサンスへと道を造っていく、改革のうねりでもあったと思うのですね。

Posted by: あんとに庵 | January 07, 2006 at 05:18 AM

 托鉢修道会のあたりは感想文としては抜かしていたんですが、フランチェスコを新しい観点から評価している議論は読ませてくれました。それは、第三会を組織することによって俗界における"宗教"生活を作り出すとともに、彼自身の金銭哲学に関しては自分自身と同士たちにしか強制しないという方針で臨む、と。それによって、彼自身の出身階級であった富裕層や学者たちに義務を思い起こさせるようにする、と(pp.156-157)。

 もちろん彼の想いはふみにじられ、アッシジやポルツィウンコラにバカでかかったりゴーカすぎる教会は建てられるは、教師たちがフランシスコ会が続出するは、ということになりますが、ル=ゴフのサマリーによると最も地獄に堕ちると脅され続けてきた金銭に関わる人々も「絶えず悔悛し、慈善行為を行えば、赦しを得る望みは残されている」(p.159)ということを確定したのは、実にフランチェスコだったというあたりは見事でした。国家のために正当な戦争を定義しようとした試みと同様、「正当な価格」に関する了解を成立させた、と多少、皮肉まじりなのですが。

 院生だった頃に「フランスにおける資本主義の成立とカトリックの精神」なんていうレポートをでっちあげたのですが、そんな問題意識を再び個人的には思い出しましたw

 あと、おそらくアベラールが「神学者」という言葉を発明した(p.153)なんていうのも知らなかったす。意外と新しい言葉なんすね。

Posted by: pata | January 07, 2006 at 09:47 AM

フランシスコ会といえば簿記を発明したパッチョリがいるように金銭の問題、所有の問題をぐにゃぐにゃはじめた張本人ですからね。(言いわけの歴史が続く(笑)市場の適正な価格についてはトマス・アキナスもなんかいってるみたいです。まぁフランシスコ会史はひな形のキリスト教会史でもありといった処でしょうか。この辺りはうちのブログにもタマにいらっしゃるぐりちゃんやユリアヌス先生の独壇場だなぁ。(ユリアヌス先生の「玉響のコロッセオ」というブログを参照して下さい)
神学者・・はアベラール様だったのか。確かに彼は聖職者ではなく、学者であった。
これはル・ゴフの結婚本とともに買い。
そうそう、このエントリをご紹介させていただきました。トラバ送るの忘れておりましたので処理しておきます。

Posted by: あんとに庵 | January 07, 2006 at 12:39 PM

中世においてフランシスコ会とドミニク会が何をやったのか、というのは社会学的にも面白いと思いますね。それは近代史におけるイエズス会に匹敵すると思います。

 まあ、非常に重要な役割を果たしたとは思うのですが、社史というかw自分たちが書いた歴史はどうしても、客観的に評価できないようで、決定版がないんよね…(抹香臭くないのでいいのがあったら教えていただきたいっす)。

去年、ものすごく期待して『イエズス会の歴史』を読んだら、サッカーの試合に行く途中で投げ出しましたw

http://pata.air-nifty.com/pata/2004/12/post_20.html

http://pata.air-nifty.com/pata/2004/12/post_22.html

Posted by: pata | January 07, 2006 at 10:46 PM

注文してしまいました。
「護教的ではない」については伊○さんの帰国を待つしかないと思いますねぇ。
某ぐれ○り庵が護教的でつまらんと怒っていたよ。ジュスイットの牙城ね。彼らも相対評価は出来ないようですよ。

Posted by: あんとに庵 | January 07, 2006 at 11:48 PM

>注文してしまいました。

散財させてしまい、申し訳ございませんw

ジュスイットは左右幅広いですからねぇ。とはいっても、もう今は右しかいないのかな…まあ、何をもって左右とするかもナニですがw

Posted by: pata | January 07, 2006 at 11:54 PM

いや、いずれ買うであろう本だったわけですし。ここ読んでなお欲しいとなったのは、まぁ事実ではあるが。

>何をもって左右とするかもナニですがw

んだ罠。

ところでトラバしたうちのエントリのコメント欄でぐりちゃんが托鉢修道会史お勧め本を教えてくれたよ。覗いてたもれ。

Posted by: あんとに庵 | January 08, 2006 at 12:35 AM

拝見しました!で、イタリア語は読めないので、とりあえず、ル・ゴフ先生の本をいろいろ注文しまた。

『中世の高利貸―金も命も』
『ル・ゴフ自伝―歴史家の生活』
『中世の夢』
『歴史・文化・表象―アナール派と歴史人類学』
『煉獄の誕生』

http://www.bk1.co.jp/author.asp?authorid=120000170820000

Posted by: pata | January 08, 2006 at 12:58 AM

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友人のパタさんが書評を書いてましたのでご紹介。 『中世とは何か』 http://pata.air-nifty.com/pata/2006/01/post_5c83.html|< この本ね↓ ISBN:4894344424:detail 先日のロマネスクの旅の一座に、美大の教授がいて、この本を読んだが面白かったと話してくれたんだが、ニート下流な私は最近恐ろしくて本屋さんの人文書コーナー(特に中世、美術関連)に近寄らないようにしていたし、ましてや藤原書店など恐ろしくて見ないようにしていたので... [Read More]

Tracked on January 07, 2006 at 12:41 PM

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