『歴史・文化・表象 アナール派と歴史人類学』
『歴史・文化・表象 アナール派と歴史人類学』 ジャック・ルゴフほか
70年代から80年代にかけて来日してアナール派歴史学の研究者たちの講演録や対談記録をまとめて、最後に遅塚忠躬先生など3人のよる鼎談を収めたという、なんとも安直なつくり本。92年の出版だが、当時はまだこんな感じの商売が成り立っていたんのかな、とちょっと感慨にふけってしまった。ブローデルの『地中海』の翻訳が藤原書店から出たのが91年だったので、ブームに乗ってついでに…みたいな感じだったのだろうか。まあ、そんなことはどうでもいいけど。
ルゴフの講演は76年に来日して日仏会館で行ったもの。フォークやスプーンなどを食卓で使う習慣が広まったのは、それが開発された11世紀から500年もたった16世紀で、社会の非軍事化が前提になっているとか、こうした習俗について、13世紀末にコルマーネのドミニコ会の修道士が書き残していて、アルザス地方はその当時の1世紀の間に大きな進歩がみられたことがわかるなどの話は感心するばかり。ルゴフは説教集もそうだけど、こうした修道士などが書き残した文書に多くをよっているんだな、みたいな。あと、デュプロンという人の集団的無意識を探るみたいな、まるで岸田秀さんみたいな歴史家がいるというのは初めて知った。
お得意の『煉獄の誕生』に関しては、13世紀に相次いで誕生したフランシスコ会やドミニコ会、カルメル会という托鉢修道会は、組織の維持のために、どこの都市に拠点を置くかについて人口構成や社会構成などに関して厳密な研究を行っているというのは皮肉な話だと思った。宗教はどうしても、教祖の考えは最終的に疎外されていくという方向に向かうものだが、自然を愛したフランシスコが始めた修道会も、代替りしてしまえば、その長は組織を維持するために寄生する都市をまず研究しはじめるというのは、なんとも…。
さらに1170年に初めて出現した「煉獄」は、人間には完全な善人も悪人もいないという認識の広まりに対応したもので、高利貸たちは「教会に対してさまざまな圧力を行使して煉獄止まりを目指」していった、というあたりは得意の論議(p.40)。
あと、中世のおいて、夢をおおっぴらに語れるのは聖職者や王など特権的な人々だけで、その他の多くの人々が見る夢は悪魔の仕業とされていたなんていう論議も紹介していて、次はもうお腹いっぱいになりつつある『煉獄の誕生』よりも『中世の夢』でも読んでみるか、と思った次第。
遅塚先生が最後に唐突に収められている鼎談の中で「日本のこれまでの歴史学に対して、フランスのさまざまな仕事のなかでどれがいちばん大きな影響をおよぼしてきたかといいますと、たしかにアナール・グループもある程度の影響はありましたが、その影響力の大きさからいいますと、ルフェーブルやラブルースの仕事のもっていた影響力のほうがやや大きいと思われ」ますとか語っているが、なんか痛々しい(p.220)。ただし、アナール派との比較で「ルフェーブルは全体をとらえようとしていない」(p.227)なんてあたりは、よくわからないがスルドイのかも。
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Comments
着々と読んでいますね。本日わが家に「中世とはなにか」が来る。島だと頼んでから到着に時間がかなりかかるのです。
>宗教はどうしても、教祖の考えは最終的に疎外されていくという方向に向かうものだが、自然を愛したフランシスコが始めた修道会も、代替りしてしまえば、その長は組織を維持するために寄生する都市をまず研究しはじめるというのは、なんとも…。
そりゃ、当然ですよ「托鉢修道会」ですから、観想修道会とは違いますがな。ベネディクトをはじめとするシトーやカルトルジオは自給自足の祈り、聖なる生活の実践だけど、托鉢修道会はあきらかに目的が違う。「他者への教化」も目指しているわけで、ことにドミニコ会なんかはそれに特化されているし、フランシスコといえど祈る時は山ごもりしたけど活動は街だのなんだのと放浪している。都市寄生型。それが托鉢修道会のあり方でやんす。(フランシスコが好んだ場もど田舎ではなく都市部の郊外)
Posted by: あんとに庵 | January 15, 2006 09:17 AM
> 着々と読んでいますね
仏文の先生の日本語って、日本語的に美しく訳そうとする方向の方々だと、読みやすいですよね。サルトルなんかの翻訳は別ですが。で、
>都市寄生型。それが托鉢修道会のあり方でやんす。(フランシスコが好んだ場もど田舎ではなく都市部の郊外)
そもそもパウロがでっちあげたというかw、ガンガン広めようとしたキリスト教ってのは、最初っからそうですよね。彼の書簡や行伝から再構成される旅をたどってみても、基本的には都市しか説教しまくっていませんし。ぼくはですね、最近ゲットしたパウロに関しては新しいイメージがあるんですわ。それは、最初にキリスト教に触れる人々に思いっきりラジカルな教説をぶちかましておけば、たとえパウロ自身の考えが否定されても、後からくるより中道的なナニが受け入れやすくなるんじゃないかという、大きなパースペクティブがあったんじゃないか、みたいな政治家的パウロのイメージ。いかがっしょw
>托鉢修道会はあきらかに目的が違う。「他者への教化」も目指しているわけで、ことにドミニコ会なんかはそれに特化されているし
ぼくはあまり興味がなかったので知りませんでしたが(つか、ルゴフの説しか知らんけど。それを話半分に聴いたとして)ドミニコ会は対カタリ派対策として重宝されたんだと思います。フランシスコ会は、そうだなぁ、キリスト教という倫理が背負っている「あくがれ」みたいなものを、最後にどこまで追求できるか、みたいな実験じゃなかったんですかね。それがなくなるとシャレんならなくなるみたいなモノを、現実の場で追求してみました、みたいな。でも、それは個人的には追求できるけど、3人以上だと妙にムズかしくなるというか、個人的には超ムズかしくなる、みたいな。だから、当たり前だけど、フランチェスコ個人は好きだけどね、みたいな。
Posted by: pata | January 15, 2006 08:58 PM
>仏文の先生の日本語って
そういえば気がつかなかったけど、仏訳のものは読みやすいの多いかも。
>大きなパースペクティブがあったんじゃないか、みたいな政治家的パウロのイメージ。いかがっしょw
う〜む。パウロは旗色悪いからなぁ。しかし新説ですね。その線で再評価どぞ。同じことがフランシスコ会史でも言えるってのがあるかもなぁ。エリヤの再評価を某師が試みようと模索中。
>ドミニコ会は対カタリ派対策として重宝されたんだと思います
まさにそうです。そしてそれ以外の異端も多く出てきていますからねぇ。そもそもフランシスコ会も危険だったんですね。異端すれすれ。しかしフランシスコは「清貧」である前に「従順」を重んじたわけで、そこが違っていた。だから教会側はこれを取り込むことで異端へと向かう人々をそこに取り込むことを目論んだわけです。だからフランシスコの生きた時代に、清貧の問題が、あるいは聖職者の教育問題がフランシスコ会内部で生じてしまうのですね。
また、もっとあとの時代に教皇と皇帝との争いの狭間にフランシスコ会もやがて投げ入れられていくわけで、フランシスコ会から出現したセクトは断罪されていますね。これは「清貧」の理屈が教皇領という問題に於いてはなはだ教会側に都合が悪かったわけです。
結局理想に生きるなら個人の方がいいんでしょうが、社会共同体を形成するということは理想論だけではうまくいかないってこともあるのでしょうね。もし理想だけで終っていたら、フランシスコという存在は現代に伝わっていなかったかもしれないし、フランシスコ会そのものは存在しえなかったでしょうし。教会世界だけでなく、社会においてもそういうジレンマってありますね。
Posted by: あんとに庵 | January 15, 2006 11:05 PM