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December 24, 2005

『悪者見参』

warumono_kenzan

『悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記』木村元彦、集英社

 日本は旧ユーゴスラヴィアのサッカーにとって、飛び地になっていたというか、遠いサンクチュアリになっていたというか、ヨーロッパで行き場を失った選手や監督たちの生活の場にもなったんじゃないだろうか。それは日本サッカーにとって将来、かけがえのない財産になると思う。例えば、レッド・ガーランドが麻薬でボロボロになった時、日本人のジャズ喫茶のオーナーが手をさしのべて再起させたみたいな話を聞いたことがあるのだが、Jリーグ全体が旧ユーゴのサッカー選手のサンクチュアリになっていたんじゃないか、と。

 ぼくはまだ思い出すんだけど、Jが発足して、リネカーやリトバルスキーなどやや下り坂のビッグネームたちが日本に来たのは素晴らしいと思ったけど「もしストイコビッチあたりが来るようになったら、Jも本物だよな」と数少ないというか、当時は唯一サッカーのことを話せる友人と飲みながらしゃべっていた。だから、90年ワールドカップで最も素晴らしい選手だと思ったストイコビッチが名古屋に来たときには本当に驚くとともに、旧ユーゴの内戦と国連による制裁が、ここまで深刻なのかと感じた。

 歴代トヨタカップ優勝チームで最も強かったのは、91年のレッドスター・ベオグラードだと思うけど、その年の5月には、もうクロアチア警察隊とセルビア人が激突したブコバル戦が開始されていたんだ、と巻末の年表を見て驚いたのだが、ユーゴ代表が96年のキリンカップに参戦したというか、呼んであげたというのも、当時はフレンドリーマッチを組むこと自体が難しかったユーゴ代表にとっては良かったことだと思う。それも、これも、パルカンから遠く離れていたからできたことだし、当時のユーゴの選手たちにとっても、日本でサッカー選手として2年も働けば、立派な家が立ち、バシリエビッチのようにディズニーランドに毎週行けた生活は選手の家族たちにとっても幸せな思い出として残っているんじゃないかと思う。

 この本はストイコビッチの『誇り』の続編というか、なぜ旧ユーゴが、あそこまで国際社会から叩きのめされ、優雅さとスペクタクルと非情さを同時に感じさせてくれたドリームチームがなぜユーロとワールドカップから閉め出されなければならなかったのか、という理不尽さを、木村さんが「やられた側」つまり、旧ユーゴというかセルビアとモンテネグロの現地の人々と出身のサッカー選手を訪ねて取材した記録。やや散漫というか、時系列を追っているだけのようにも見えるし、ヤマ場もないのだが、木村さんが拾い上げるひとつひとつのエピソードがあまりにも重く深いので、構成の問題などはあまり気にならない(クロアチアのマクシミル・スタジアムで戦われた1990年と1999年の試合で始まり、終わるという構成になっていたんだとは後でわかった)。

 ということで、最初に驚くのが、クロアチア独立のきっかけとなったともいわれるディナモ・ザクレブvsレッドスターのマクシミル・スタジアムでの出来事。

 日本でも流されたVTRでは、ボバンがピッチに降り立ったクロアチアのサポーターを追いかけ回すセルビア人警官に対し、彼らを守るために跳び蹴りをくらわせた、という物語になっているが、実は違うという。この試合の3日前に行われた選挙で独立派のツジマン大統領の率いるHDZが大勝、そのままのいきおいでセルビア人の象徴ともいえるレッドスターをホームに迎え撃つクロアチア側が、相手サポーターに対して投石などで攻撃し、たまらずレッドスターのサポたちがピッチに逃げたところを、追いかけ回し、警察はそれを止めに入ったのだ、という。ボバンは、その警官に跳び蹴りを喰らわせたわけで、彼はこの一件で90年のイタリア大会を棒に振るわけだが、ドイツやイタリアの新聞は逆にヒーロー扱い。やがてクロアチア独立に向かっていくことになる。当時ベオグラードにいた、大羽圭介・クロアチア大使は「セルビアの外交下手を象徴するような事件」としているが、まさにそんな見方もできるのだろう(p.25)。この大羽さんは、どこかで「マクシミル暴動を独立の1里塚と賛美する限り、クロアチアの民主化は遠い」とまで書いていたと思うのだが、とりあえず、日本外交官の言葉としては思い切ったものだし、重いものだと思う。

 もちろん、ミロシェビッチが政権の求心力を高めるために大セルビア主義をとりコソボの自治権を剥奪したという事実も忘れてはならないけど、あまりにも「ユーゴは悪者」という宣伝がいきすぎているのではないか、とは当時から感じていた。冷戦終結前、ユーゴのパスポートは東西どちらでもつぶしがきいたので、高額で取引されるため、よく盗まれたらしいが、90年代には、ユーゴのパスポートを持っているだけで犯罪者扱いされ、紙くず当然の価値しか持たなかったという(p.61)。

 にしても、セルビアというのはなんとなく野蛮な印象を周囲に与える。エースストライカー、ミヤトビッチを讃えるチャントが「ミヤト、お前のペニスだって俺はくわえることができるぜ」であったり、女子学生までもが日本語でいえば「屁のカッパ」にあたる「マ○コの煙」なんて言葉を平気で口にするぐらい、言葉は汚いというし(p.30)。

 そんな、深刻な話になりがちな本ではあるけど、Jリーグに来たことのあるサッカー選手の話は、そうした重さを、等身大に引き下げてくれるというか、問題を考えやすくしてくれる。どんな言葉でも、それを語った人がどういう人なのかで、やはり受け止め方は違うわけだし。ということで、25メートルの弾丸ミドルの印象が深いバリシアビッチの場合、奥さんはこんな言葉が印象的だ。「ジェフが舞浜にマンションを借りてくれたおかげで週に一度は子供たちとディズニーランドへ行けたの。Jリーグじゃなくてもいいのよ。トーキョーガスってあるでしょ。あそこなんてどうかしら」(p.78)。

もちろんセルビア側からの取材だけではない。ディナモ・ザグレブのサポーターたちはチェルシーのサポにインパイアされてBBB(Bad Blue Boys)を名乗っているが、彼らは独立戦争の時、クロアチア軍の主力となって戦った。もちろん、BBBの腕章をつけて。クロアチア内戦の重大局面はミハイロビッチの生まれ故郷に近いブコバルをめぐる戦いだったが、クロアチア側からみてブコバルが陥落した時、BBBたちは、グループごとに部隊をつくり参戦していったという。そして仲間を亡くす。凶悪なサポのリーダーは「今でもスタジアムでディナモの旗を振っていたあいつらの姿が目に浮かぶ」と目頭を押さえるが、彼らが集まるクラブの名前は、セルビア人たちをクロアチア領土から追い立てた「OLUJA作戦(嵐)」を冠した「OLUJA」というのはいかがなものか…(p.115)。

そんなやりきれなさを救ってくれるのは、またしても救いはサッカー選手。今はミドルスブラに所属しているオーストラリア代表のマーク・ビドゥーカはクロアチア系だったという。民族独立を訴えるツジマン大統領の演説を聴いて感激、レアル・マドリーからのオファーを蹴って当時はディナモ・ザクレブに入団していた(pp.118-)。にしても、ビドゥーカがクロアチア系だったというのは知らなかった。単純そうなのは、このエピソードからもリーズでのプレーからもうかがえるが。

 ラストの近く。

ストイコビッチがグランパスのジャージを脱ぎ捨て"NATO STOP STRIKES"と書いたシャツをアピールしたことはよく覚えているが、それがユーロ2000予選のクロアチア戦が延期され、空路はるばる戻ってきた直後だったことを、改めて思い出させてくれた。

 そして、ユーゴはコソボから撤退。ミロシェビッチは退陣し、コソボには巨大な米軍基地が建設され「新戦略概念」による先制攻撃思想は世界中に拡大している。

 『オシムの言葉』でも書いたけど、旧ユーゴのサッカーをずっと見てきた人は、90年代以降の政治社会の動きを本当に深く考えることができたと思う。そういった意味でも木村さんの『誇り』『悪者見参』『オシムの言葉』の三部作はあまりにも貴重な作品だ。

 購入する際は、写真が素晴らしいので、単行本でぜひ。

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