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December 06, 2005

『オシムの言葉』

ossim

『オシムの言葉―フィールドの向こうに人生が見える』木村元彦、集英社インターナショナル

 90年代におけるユーゴスラビアの歴史を、そのサッカーとの関連で強く記憶に残しておくことのできた人は、現代における民族主義あるいはナショナリズムの問題について、深く考えることができたと思う。それまでまとまっていた国が四分五裂し、隣人たちが民族浄化の担い手となり、町を破壊するようになったユーゴスラヴィア。90年のイタリアワールドカップ準決勝でPK戦で敗れるもののマラドーナを擁したアルゼンチンに対して1人少ない状況で引き分け、主力のクラブチームは直後にトヨタカップを制し、ユーロの優勝候補筆頭となったすばらしくスペクタクルな代表チームも分裂、選手たちはヨーロッパの中でさまようことになる。

 そのユーゴ代表監督として活躍したオシムは、妻をサラエボの包囲網の中に残し、ユーロの予選を戦うが、いよいよユーロ本大会に出発という直前に代表監督を辞任。スウェーデンに到着したチームもスポーツ制裁で参加を拒否され、自国に戻らざるを得なくなる。

 こんな劇的な歴史を生きた伝説の監督イビツァ・オシムがいま指揮を執っているのは、J1の中で最低予算でやりくりするJEF。今年、古河時代以来、久々のタイトルを獲り、リーグも4位でフィニッシュしたとなれば、その人となりを本で読みたくなるのは当然。しかも、書き手が『悪者見参―ユーゴスラビアサッカー戦記』集英社文庫、『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』集英社新書、『誇り―ドラガン・ストイコビッチの軌跡』集英社文庫の木村元彦さんであれば言うことはない。

 オシム監督は、その語録からも素晴らしい知性を感じさせてくれていたが、数学の大学に通いながらサッカーを続け、卒業時には数学の教授になるために大学に残るか、医師となるか、サッカーで生きていくかを選択できたほどだったとは知らなかった。もちろん、サッカー選手となることは家族から反対されたという。オシムもそれはリスクだったと答える。しかし、もしあの時、大学に残ることを選択したなら、おそらくユーゴ内戦の巻き込まれて死んでいたろう、という言葉は重い。しかし、それはリスクを自分でとった、ということなのだという(pp.195-196)。

 試合中に動じない精神力は、内戦によって家族を引き裂かれた経験や監督として代表チームの崩壊を目の当たりにしたという経験があるからではないか、という質問に対する答えは、この本の中で、ぼくが一番好きな言葉だ。オシムは言う。

「確かにそういう所から影響を受けたかもしれないが…。ただ、言葉にする時は影響は受けていないと言った方がいいだろう」「そういうものから学べたとするのなら、それが必要になつてしまう。そういう戦争が…」(p.129)

オシムは生まれ育ったサラエボが包囲され、アシマ夫人だけが中に取り残される。再会できたのは2年半もたってからだった。サラエボ包囲戦では10,615人(子供は1,601人)が殺された。このうち、1,030人(子供は60人)が狙撃兵によって殺害されたという。

 オシムは家族が全員生き延びることができたということ、自身は1395日間続いた包囲戦をベオグラードやウィーンで過ごせたことを「一生かかっても消えない自分にとっての障害(ハンディキャップ)だ」と語っている(p.152)。

 J1で最低予算のクラブを率い、亜熱帯のような気候の中で試合を行い、オフシーズンには有力選手が他のクラブから引き抜かれるというチームを率いて戦っていることは、もしかして、オシム監督は自分を罰しているのかもしれない、と考えてしまった(JEFのサポーターの方々には申し訳ないけれど)。

 とかにく素晴らしい本。奥付が05/12/10なので書評年度は来年度になるが、もちろんサッカー本としては最優秀本候補だろう。

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Comments

ようやく第3刷で入手し、鈴木隆行の移籍に間に合い読了しました。
貧困から抜け出すためでも、プロパガンダのためでもなく、「純粋に」(まぁカッコ付ですが)スポーツを追求できる素地が日本に見出しているのかもしれません。選手として人間として成熟する上で「そういうものから学べたとするのなら、それが必要なものになってしまう。そういう戦争が……」(p.129)、という信念を監督として実践できる場ではないでしょうか。
近々DVD化されるという「ライフ・イズ・ミラクル」も楽しみです。

Posted by: hisa | January 26, 2006 at 07:19 PM

あと、何年すれば、バルカンのことが、言語化されるのか、わかりませんよね

それと比べれば、日中韓の問題など、まだ批難の応酬ですんでいるわけですから、幸せなのかもしれません。

Posted by: pata | January 27, 2006 at 12:41 AM

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