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December 31, 2005

『ローマ人の物語 XIV キリストの勝利』

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『ローマ人の物語 XIV キリストの勝利』塩野七生、新潮社

 最近の二冊に関しては、生意気にも文句が先に立ったけど、別に「こんなことは全部知ってら」みたいなことを書いたのではまったくない。そんなことは、めっそうもない。塩野さんが、グレコローマンの常識が薄い日本人に対して、欧米の知識人(今どれだけいるのか知らないが)には必要ない部分も書き加えてくれるおかげで、どれほど、ローマ史の全体像を垣間見させてくれたか。そのことに関しては感謝に堪えない。

 ということで、今回も二つの発見を個人的にさせてもらった。それは、「背教者ユリアヌス」が素晴らしい資質を持った皇帝であったということと、西ローマ帝国は蛮族の進入によって滅亡したのではなく、蛮族の海の中で溶解したのではないかという視点。どちらも常識なのかもしれないが、少なくとも個人的には新しく教えてもらった、という感じ。

[背教者ユリアヌスの素晴らしさ]

 背教者ユリアヌスについては、コンスタンティヌス大帝の敷いたキリスト教国教化路線をいったん棚上げにした人物で、ローマ帝国後期によくみられるトンデモ皇帝のひとりぐらいの認識しかなかったが、塩野さんの筆致を信じれば、もしこの人の治世が1年と9ヵ月で終わらず19年続いたとしたら、新たなパクス・ロマーナを回復することは可能だったかもしれないし、キリスト教がヨーロッパ文明をこれほどまでに覆うこともなかったりではないかと思う。

 このユリアヌス、個人的にも好感がもてる。なにせ自分を「哲学の一学徒」と規定している。ユリアヌスの父はコンスタンティヌス大帝の弟。6歳の時、コンスタンティヌス大帝が死に、その葬儀の直後、大帝の3人の息子以外の皇統は暗殺される。6歳のユリアヌスと12歳の兄を除いて。そして二人は幽閉生活に入る。

 やがてローマ帝国の実権は大帝の三人の息子同士の内乱などもあり、勝ち残ったコンスタンティウスが一手に握ることになる。コンスタンティウスは西側における度重なる蛮族というかゲルマン人の進入、東側におけるササン朝ペルシャのシャプール2世の執拗な挑発という二面作戦に手を焼き、生き残った親族からユリアヌスの兄ガルスをまず副帝に立てる。そして蛮族出身で初めて皇帝を名乗ったマグネンティウスの討伐にも出る。しかし、これはどちらも結果的には失敗する。マグネンティウスとの内乱によって、ローマ軍は双方に膨大な死者を出し、ゲルマンからの進入を守るリメス(防衛線)が維持不能になるほどの戦力ダウンを喫するとともに、副帝ガルスは失政続きで、結局、処刑されることになる。

 ここで白羽の矢が立てられたのがユリアヌス。兄ガルスが副帝に立てられた時、幽閉の身から自由を得て、エフェソスで哲学の研究生活に入っていたユリアヌスは、コンスタンティウスから呼び出しを受け、副帝となる。まったく軍事、政治には素人だったが、任地のガリアではなぜか連戦連勝。任地が決まった時にカエサルの『ガリア戦記』を勉強したというのも泣かせる(p.87)。

 ユリアヌスはローマ軍としては久しぶりに進入した蛮族を撃退しただけでなく、その本拠地までも襲って力をそぐというところまでやっている。こうしてガリアを再興したユリアヌスが学生時代の友人に送った手紙がいじらしい。「プラトンとアリストテレスの弟子を自認していたわたしに、今やっている以外のことができると思うかね。わたしに託された不幸な人々を、見捨てることなんてできると思う? 彼らに幸せな日常を保証するのは、今ではわたしの責務なんだ。わたしがここにいるのは、それをやるためなんだ」(p.119)。

 しかし、ここまでユリアヌスが成功を収めると、肉親を殺して最高権力者となったコンスタンティウスは不安となり、ユリアヌスに対してシャプール二世を討伐するために大軍を差し向けろと命令する。なんとガリアから中東への転進である。ユリアヌスは受け入れようとするが、しかし、これを拒否したのはガリアの軍隊だった。兵士たちはなんと、ユリアヌスを皇帝に推挙する。

 ここに至ってユリアヌスはコンスタンティウスの打倒を決意、電光石火の勢いで軍を進め、次々とローマ軍を吸収する。しかし、皇帝同士の決戦はコンスタンティウスの突然の死によって回避される。ユリアヌスはコンスタンティヌス大帝以来、50年続いたキリスト教優遇策を見直し、キリストの軍隊を表わす軍旗も、それ以前のアクィラ(鷲)をかたどったものに変更するなど、グレコローマンの復興をめざした。しかし、ユリアヌスは満を持してというか、勢いに乗じて臨んだシャプール2世との戦いで戦死してしまう。31歳だった。

 とにかく、こうした「知らなかったことを教えてもらった」感はティベリウスを描いたVII巻『悪名高き皇帝たち 』以来かもしれない。塩野さんはティベリウスの章を書き終えて「生前に高坂さんは、ローマ皇帝の中ではティベリウスに他の誰よりも共感をいだく、と言われた。なぜかをただす前に亡くなってしまったが、ティベリウスを書き終えた今、その理由が私にはわかるような気がする」(p.186)と書き、その章を高坂正堯教授に捧げているが、久々というか、それ以来の「発見」だった。

[ローマの溶解]

 いまひとつ、高校の教科書や、一般教養レベルの世界史の教科書ではいまひとつイメージがわかなかった「蛮族の侵入による西ローマ帝国の崩壊」という言い方だが、この本を読めば、「なるほど、溶解とでも考えた方がいいのではないか」と思う。

 ユリアヌスの死後、数えて3代目(東西あっていろいろややこしいが)のヴァレンスは、フン族に押されてローマ帝国内に移住したいと申し出たゴート族の申し出を受け入れたが、ゴート族は契約よりも大量の人数で移住し、しかも待遇が不満として蜂起。さらには、討伐に出てきた皇帝ヴァレンスをハドリアノポリスの戦いで敗北させ、焼き殺してしまう暴れん坊ぶり。ローマ帝国の中心部にもはや居座ってしまったゴート族に対して、個々の城塞都市は持ちこたえるが「追い払うことはもはや不可能になった」(p.246)という。

 ここに至り、塩野さんは「ローマ帝国は溶解していった、のであろうか、と」(p.257)書くが、もちろんローマ帝国は蛮族の海だけに溶解したのではない。精神的にもキリスト教に溶解されていった。

 この後、ミラノ大司教として絶大な権力をふるったアンブロシウス、そして元老院でキリスト教か古代以来のローマの神々のどちらかをとるかと迫り、キリスト教会から大帝の名をおくられたテシオドスの物語が続き、14巻は終わる。

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 えー、ということで、これが2005年最後のエントリーとなると思います。この一年、読んでいただいた方々すべてに感謝します。ありがとうございました。また、来年もよろしくお願いします。

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