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November 17, 2005

『進化する日本サッカー』で学ぶクラマーさん

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『進化する日本サッカー』中鉢信一、集英社新書

 いろいろ書いてきたが、クラマーさんのことは、ひと段落おきたい。というわけで、最後に、手に入りやすい本で、客観的にクラマーさんのことを日本のサッカー史の中で位置づけている本をご紹介する。それは朝日新聞の中鉢信一記者による『進化する日本サッカー』集英社新書、2001。

 この第2章「指導者の養成」はこう始まる「このコーチの存在がすべての始まりだった。デットマール・クラマー。64年東京五輪、68年メキシコ五輪に出場した日本代表の強化を助け、日本のスポーツ界で初の全国リーグ『日本サッカーリーグ』の結成を提唱した。日本サッカーリーグは後にプロ化され、Jリーグになった」「彼が主任講師を務めた69年の『国際サッカー連盟(FIFA)コーチングスクール』は、日本の指導者養成制度の原点だ。そこで育った日本の指導者たちが、日本のサッカーをリードしていった」(p.24)。

13日の新宿で、クラマーさんはNHKの山本解説委員の質問に答え、日本リーグ結成をなぜ提言したのかについて「戦前からドイツでも全国リーグ(ブンデスリーガ)の結成が必要だという意見はあったが、第二次世界大戦のおかげですべてが失われた。私自身は1946年に拘留から帰ってきてが(注:クラマーさんはパラシュート部隊に所属していた)、当時のドイツは米英仏ソ連などに分割占領されていて、とても全国リーグを立ち上げる環境にはなかった。当時はドイツ国内に5つのリーグがあり、それぞれ16チーム、計80チームが所属していた。当時も非常に良い選手はいたが、水泳とかけもちしていたり、あまりサッカーの練習をしていなかった。ヘルベルガー監督がこうした状況を改善しようとブンデスリーガの結成を改めて提案したが、地域リーグで80チームという状態は1963年まで続いた」「問題は有力選手が分散され、全体のレベルが低かったこと。ドイツ代表チームに所属するような選手だけは特別に水曜日にトレーニングを施すことはできたが、リーグ間で互いを牽制するような動きもあり、良い選手のネットワーク化は難しかった。ブンデスリーガが出来ることによって、良い選手たちが集まり、ゲームをすることがトレーニングになっていった」と答えている。また、岡野さんが日本リーグが発足できた大きな要因のひとつは東京五輪で開業した新幹線の存在をあげていたのも初耳だった。新幹線によって移動を素早く行えるようになり、選手たちが会社を休む日を少なくできたので、企業側に理解を求めやすかった、と。

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 話は戻って、69年の『国際サッカー連盟(FIFA)コーチングスクール』に参加した指導者の中には加茂周、グランパス社長となる西垣成美、レッズ社長となる清水泰男、大商大で全国制覇した上田亮三郎などもいた。クラマーさんは「3ヶ月もの間、朝は決まって午前6時半に起き、受講生の部屋に声をかけてまわった。午後10時には秘書と一緒にその日の仕事を文書にまとめ上げ、再び選手の部屋を見てまわってから寝床についた」「ハードな3ヶ月間だった。最後の試験が終わった後、クラマー自身が倒れてしまったほどだ」という(p.26)。
 
 『進化する日本サッカー』で中鉢さんはクラマーさんのことを簡潔に紹介している。それは「日本サッカーの父」。

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