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November 02, 2005

『昭和天皇独白録』

hirihito_said

『昭和天皇独白録』寺崎英成、文藝春秋

 敗戦直後の1946年3~4月にかけて、昭和天皇が宮内大臣らに語った張作霖爆殺事件から敗戦に至るまでの経過を語った文章が、1990年12月号の文藝春秋に掲載された。

 その当時は、マッカーサーとの会談も済み、戦犯としての起訴はほぼなくなった、という時期だったが、あえて敗戦に至る過程を、記憶の新鮮なうちに語っておこう、というものだったらしい。しかし、その内容は伏せられ、発表は御用掛だった外務省出身の寺崎英成の死後、娘『マリコ』によってなされた、というもの。

 日中戦争から敗戦後の日本政治を集中的に読んでいる中で、やっぱり読むかと思い、読んでみた。

 新鮮だったのは、米英との和解を望む昭和天皇に対して、外相・松岡洋右はヨーロッパ戦線で絶好調だったドイツと組もうとしたのだが、この間の経緯について「日独同盟を結んでも米国は立たぬと云ふのが松岡の胆である。松岡は米国には国民の半数に及ぶ独乙種がいるから之が時に応じて起つと信じて居た。吉田は之を真に受けたのだ」(pp.50-51)と書いているあたりの痛ましさ。その日本全体の無知が信じられない。ほんの60-70年前のことなのに(ちなみに、ここでいう吉田とは海相のこと)。

 松岡に関しては『評伝 吉田茂』猪木正道がかなり批判的に書いていて、これについて昭和天皇は「この間、猪木政道氏が近衛のことを書いた本を出したが、あれは正確であると中曽根氏に伝えよ」と富田宮内庁長官から云われた、と『自省録 歴史法廷の被告として』の中で中曽根元首相が書いていたのも思い出した(p.71)。

 もう少し書くかもしれない(なお、『昭和天皇独白録』の頁は単行本のもの。写真は文庫のもの)

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Comments

日独伊三国同盟を成立させ、ヒトラー、ムッソリーニと首脳会談を行い、ロシアではスターリン自らが駅頭で見送るという異例の扱いを受けて意気揚々と帰国した松岡外相は、野村駐米大使と(「ハル・ノート」の)ハル米国国務長官の会談で提案された、アメリカ側が大幅に譲歩(「満州国の承認」など)した「日米了解案」に対して、「三国同盟を有名無実化する」「自分が不在の間に進められた」として猛反対する。
国益よりも己のメンツを大事にするという役人根性(松岡は元役人だが)は今も昔も変わらない。
1978年に靖国神社がA級戦犯の合祀を決めた時、宮内庁は「昭和天皇の意を受けて」松岡の合祀に抗議したそうだ。

Posted by: ZICO | November 03, 2005 at 08:14 PM

「日米了解案」さえ、まとまっていれば…というのはありますよね。もっとも、合意後にすぐ陸軍が暴走して…ということになったかもしれませんが、昭和天皇にとってみれば「敗戦の戦犯No.1」だったのかもしれません。

Posted by: pata | November 04, 2005 at 01:30 AM

結局、プロシア憲法を参考にしながらも「補弼」という独自の概念を創り出すことで君主の大権を実行権にしなかった明治憲法が、三権から独立した「統帥権」をプロシア憲法から引き継いでしまったことが大きな欠陥だった。
この法律上の不備を補っていた元老がいなくなった昭和になってここが大きな穴となり、「統帥権」を錦の御旗にした軍部の独走を許し、国を滅ぼした。

Posted by: ZICO | November 04, 2005 at 07:22 AM

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