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November 22, 2005

『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記』

wittgenstein

『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記―1930-1932/1936-1937』ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン(著),イルゼ・ゾマヴィラ(編), 鬼界 彰夫(訳)

 時々、ああ、生きていてよかった、と思える本に巡り会えることがある。今年はこの本がそれか。なにせ、死後42年たって新発見された幻の日記。それまでは友人が保管していて、フォン・ライトが整理した『ウィトゲンシュタインの遺稿』にも記録されておらず、新しくMS183として分類されたという。

 でも、そんなことより、内容が驚く。大きく分けて驚きはふたつあり、それが前半と後半の日記の色彩を決定していて、前半の1930-1932の日記では私的な生活が、後半の1936-1937の日記では宗教的な生活が自分自身の言葉で赤裸々に語られている。

 前半ではウィトゲンシュタインがマルガリータという女性と親密に交際し、婚約寸前までいっていたことになんといっても驚く。ぼくは彼は普通にゲイだと思っていたので、マルガリータとキスをしてうんぬんみたいなことが日記に書いてあったことにはちょっと不意を打たれた感じ。でも、まあ"物理的な接触"はそのぐらいで、なくとなく、それ以上、積極的にはならずに終わってしまう、というがさもありなん、みたいな感じを受けた。ケンブリッジのゲイでは最も有名なケインズとの会話がなんとなくぎこちなく感じるのもおかしかった。

 まあ、これが前半のヤマ場だとすれば、後半は、もうキリスト教との格闘みたいな感じ。まるで修道僧の日記を読んでいるような沈痛なトーンで支配されている。ウィトゲンシュタインの本で、多くの人がまいってしまうのは『反哲学的断章』だと思うが、その宗教版みたいな印象で、心の表皮を薄いガラスの切片で割かれるようなアポクリファがページごとあらわれる、という感じ。

 ぼくはよく、紹介した本の文章を長々と引用するのだが、申し訳ないけど、今回は本を買って自分で読んでほしい。なんつうか、流れの中で読んで感動してもらいたいから。

 その代りといってはなんだけど、おそらく、多くの人があまり重要視しないと思う、贖罪の詩編に関して、知っていることを後で補足してみようかな、と(p.129)。旧約というかユダヤ教の聖書は、まったく専門外なんだが、コンメンタールを書いた編者も「うち五篇はダビデのものである」とすごいことを書いてしまっているのが気になって…。

 とにかく、ウィトゲンシュタインのファンは絶対、買いでしょう。

[追記:七つの贖罪の詩篇について]

 ということで、この本の理解に少しでも役立てば、ということで「七つの贖罪の詩篇」というか「七つの懺悔の詩篇」について、チラッと書いてみたい。

 「七つの懺悔の詩篇」は教皇インノケンティウス3世 (Innocent III, 1198-1216 年) の命令によって、レント(復活祭前の40日間の時期を勝手に制定したもの)の期間中に唱えられるべきと定められたもの。つまり、ユダヤ教の聖書も旧約聖書として聖書扱いしているキリスト教が元々のユダヤ教にない風習を勝手に定めたものだ。

 ルターのことはよくわからないが、プロテスタントなので、懺悔はなくしたわけだし、この本で「贖罪の詩篇」と訳されているのは適切だと思う。しかし、訳注の「ルター訳のドイツ語聖書では第六、三十二、三十八、五十一、百二、百三十、百四十三の七篇が『贖罪の詩篇』として名付けられている」というのは、以上の理由から適切ではない。元々はカトリックというか西方教会の風習に根ざしたものなのだから。

 レントは復活祭(イースター)前の40日間の期間。インノケンティウス3世はこれらを唱えるときにはひざまずかなければならないとしており、ウィトゲンシュタインが『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記』でルター訳で聖書を読んでいながら、ひざまずかないでベッドの中で聖書を読んでいることを気にしているあたりは、カトリックの母親の教育が影響を与えているかもしれない。ウィトゲンシュタインは母親によってカトリックの幼児洗礼を受けているが、父はプロテスタントに改宗した家系で、父母ともユダヤ系といわれている(『宗教者ウィトゲンシュタイン』星川啓慈、法蔵館、1990、p.21-)。

 ちなみに、細かいことを言えばウルガタ訳(ラテン語聖書)では詩篇の9番と10番を合わせて9番としていたため、9番以降の番号が狂ってくる。これはマソラ本(ヘブライ語聖書)を軽視したため。このためインノケンティウス3世のオリジナルの命令は「6, 31, 37, 50, 101, 129, 142を唱えよ」としている。しかし、内容は今の「6, 32, 38, 51, 102, 130, 143を唱えよ」と同じ。

 また、コンメンタールで贖罪の詩篇について「五篇はダヴィデのものである」と書いているのは、もし、本当にそう書いているならば、旧約聖書というかユダヤ教聖書についての基礎知識がなさすぎ。たしかに、五篇の冒頭には「レ ダヴィド ~」(ダビデの~)という表題がついているが、全詩篇の約半分を占める73篇がこうした「ダヴィデの」ものという表題がつけられており、明らかに後代の加筆。ちなみに七つの懺悔の詩篇にも入っている51番は部下の妻を寝取ってしまった姦淫の罪に対する反省についての詩という表題がついているが、その20節の「エルサレムの城壁を築いてください」というのは明らかに、BC586にユダ王国(南王国)が新バビロニアに滅ぼされ、エルサレムの第一神殿が破壊されたことを前提としている。つまり紀元前11世紀生まれのダビデの作ではあり得ない、ということ。150篇の詩篇の中で13篇は、このようにサムエル記におけるダビデの所業に関する後代の考察となっている。

 ということで、以下に新共同訳の「七つの懺悔の詩篇」をあげるが、p.129で何を読んでいるのかは、あまりよくはわからないけれども、ダヴィデの罪に関して言及しているので、おそらく、「ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来たとき」という表題を持つ詩篇51についてだろうと思う。しかし、しつこいようだが、この51は内容的にも後代の作品であることは明白なので、コンメンタールと訳注はもうちょっと考えた方がよかったのではないか、と思う。

詩 6:1 【指揮者によって。伴奏付き。第八調。賛歌。ダビデの詩。】
詩 6:2 主よ、怒ってわたしを責めないでください/憤って懲らしめないでください。
詩 6:3 主よ、憐れんでください/わたしは嘆き悲しんでいます。主よ、癒してください、わたしの骨は恐れ
詩 6:4 わたしの魂は恐れおののいています。主よ、いつまでなのでしょう。
詩 6:5 主よ、立ち帰り/わたしの魂を助け出してください。あなたの慈しみにふさわしく/わたしを救ってください。
詩 6:6 死の国へ行けば、だれもあなたの名を唱えず/陰府に入れば/だれもあなたに感謝をささげません。
詩 6:7 わたしは嘆き疲れました。夜ごと涙は床に溢れ、寝床は漂うほどです。
詩 6:8 苦悩にわたしの目は衰えて行き/わたしを苦しめる者のゆえに/老いてしまいました。
詩 6:9 悪を行う者よ、皆わたしを離れよ。主はわたしの泣く声を聞き
詩 6:10 主はわたしの嘆きを聞き/主はわたしの祈りを受け入れてくださる。
詩 6:11 敵は皆、恥に落とされて恐れおののき/たちまち退いて、恥に落とされる。


詩 32:1 【ダビデの詩。マスキール。】いかに幸いなことでしょう/背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
詩 32:2 いかに幸いなことでしょう/主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。
詩 32:3 わたしは黙し続けて/絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。
詩 32:4 御手は昼も夜もわたしの上に重く/わたしの力は/夏の日照りにあって衰え果てました。〔セラ
詩 32:5 わたしは罪をあなたに示し/咎を隠しませんでした。わたしは言いました/「主にわたしの背きを告白しよう」と。そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを/赦してくださいました。〔セラ
詩 32:6 あなたの慈しみに生きる人は皆/あなたを見いだしうる間にあなたに祈ります。大水が溢れ流れるときにも/その人に及ぶことは決してありません。
詩 32:7 あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもって/わたしを囲んでくださる方。〔セラ
詩 32:8 わたしはあなたを目覚めさせ/行くべき道を教えよう。あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。
詩 32:9 分別のない馬やらばのようにふるまうな。それはくつわと手綱で動きを抑えねばならない。そのようなものをあなたに近づけるな。
詩 32:10 神に逆らう者は悩みが多く/主に信頼する者は慈しみに囲まれる。
詩 32:11 神に従う人よ、主によって喜び躍れ。すべて心の正しい人よ、喜びの声をあげよ。


詩 38:1 【賛歌。ダビデの詩。記念。】
詩 38:2 主よ、怒ってわたしを責めないでください。憤って懲らしめないでください。
詩 38:3 あなたの矢はわたしを射抜き/御手はわたしを押さえつけています。
詩 38:4 わたしの肉にはまともなところもありません/あなたが激しく憤られたからです。骨にも安らぎがありません/わたしが過ちを犯したからです。
詩 38:5 わたしの罪悪は頭を越えるほどになり/耐え難い重荷となっています。
詩 38:6 負わされた傷は膿んで悪臭を放ちます/わたしが愚かな行いをしたからです。
詩 38:7 わたしは身を屈め、深くうなだれ/一日中、嘆きつつ歩きます。
詩 38:8 腰はただれに覆われています。わたしの肉にはまともなところもありません。
詩 38:9 もう立てないほど打ち砕かれ/心は呻き、うなり声をあげるだけです。
詩 38:10 わたしの主よ、わたしの願いはすべて御前にあり/嘆きもあなたには隠されていません。
詩 38:11 心は動転し、力はわたしを見捨て/目の光もまた、去りました。
詩 38:12 疫病にかかったわたしを/愛する者も友も避けて立ち/わたしに近い者も、遠く離れて立ちます。
詩 38:13 わたしの命をねらう者は罠を仕掛けます。わたしに災いを望む者は/欺こう、破滅させよう、と決めて/一日中それを口にしています。
詩 38:14 わたしの耳は聞こえないかのように/聞こうとしません。口は話せないかのように、開こうとしません。
詩 38:15 わたしは聞くことのできない者/口に抗議する力もない者となりました。
詩 38:16 主よ、わたしはなお、あなたを待ち望みます。わたしの主よ、わたしの神よ/御自身でわたしに答えてください。
詩 38:17 わたしは願いました/「わたしの足がよろめくことのないように/彼らがそれを喜んで/尊大にふるまうことがないように」と。
詩 38:18 わたしは今や、倒れそうになっています。苦痛を与えるものが常にわたしの前にあり
詩 38:19 わたしは自分の罪悪を言い表そうとして/犯した過ちのゆえに苦悩しています。
詩 38:20 わたしの敵は強大になり/わたしを憎む者らは偽りを重ね
詩 38:21 善意に悪意をもってこたえます。わたしは彼らの幸いを願うのに/彼らは敵対するのです。
詩 38:22 主よ、わたしを見捨てないでください。わたしの神よ、遠く離れないでください。
詩 38:23 わたしの救い、わたしの主よ/すぐにわたしを助けてください。


詩 51:1 【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。
詩 51:2 ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来たとき。】
詩 51:3 神よ、わたしを憐れんでください/御慈しみをもって。深い御憐れみをもって/背きの罪をぬぐってください。
詩 51:4 わたしの咎をことごとく洗い/罪から清めてください。
詩 51:5 あなたに背いたことをわたしは知っています。わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。
詩 51:6 あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し/御目に悪事と見られることをしました。あなたの言われることは正しく/あなたの裁きに誤りはありません。
詩 51:7 わたしは咎のうちに産み落とされ/母がわたしを身ごもったときも/わたしは罪のうちにあったのです。
詩 51:8 あなたは秘儀ではなくまことを望み/秘術を排して知恵を悟らせてくださいます。
詩 51:9 ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください/わたしが清くなるように。わたしを洗ってください/雪よりも白くなるように。
詩 51:10 喜び祝う声を聞かせてください/あなたによって砕かれたこの骨が喜び躍るように。
詩 51:11 わたしの罪に御顔を向けず/咎をことごとくぬぐってください。
詩 51:12 神よ、わたしの内に清い心を創造し/新しく確かな霊を授けてください。
詩 51:13 御前からわたしを退けず/あなたの聖なる霊を取り上げないでください。
詩 51:14 御救いの喜びを再びわたしに味わわせ/自由の霊によって支えてください。
詩 51:15 わたしはあなたの道を教えます/あなたに背いている者に/罪人が御もとに立ち帰るように。
詩 51:16 神よ、わたしの救いの神よ/流血の災いからわたしを救い出してください。恵みの御業をこの舌は喜び歌います。
詩 51:17 主よ、わたしの唇を開いてください/この口はあなたの賛美を歌います。
詩 51:18 もしいけにえがあなたに喜ばれ/焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら/わたしはそれをささげます。
詩 51:19 しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を/神よ、あなたは侮られません。
詩 51:20 御旨のままにシオンを恵み/エルサレムの城壁を築いてください。
詩 51:21 そのときには、正しいいけにえも/焼き尽くす完全な献げ物も、あなたに喜ばれ/そのときには、あなたの祭壇に/雄牛がささげられるでしょう。


詩 102:1 【祈り。心挫けて、主の御前に思いを注ぎ出す貧しい人の詩。】
詩 102:2 主よ、わたしの祈りを聞いてください。この叫びがあなたに届きますように。
詩 102:3 苦難がわたしを襲う日に/御顔を隠すことなく、御耳を向け/あなたを呼ぶとき、急いで答えてください。
詩 102:4 わたしの生涯は煙となって消え去る。骨は炉のように焼ける。
詩 102:5 打ちひしがれた心は、草のように乾く。わたしはパンを食べることすら忘れた。
詩 102:6 わたしは呻き/骨は肉にすがりつき
詩 102:7 荒れ野のみみずく/廃虚のふくろうのようになった。
詩 102:8 屋根の上にひとりいる鳥のように/わたしは目覚めている。
詩 102:9 敵は絶えることなくわたしを辱め/嘲る者はわたしによって誓う。
詩 102:10 わたしはパンに代えて灰を食べ/飲み物には涙を混ぜた。
詩 102:11 あなたは怒り、憤り/わたしを持ち上げて投げ出された。
詩 102:12 わたしの生涯は移ろう影/草のように枯れて行く。
詩 102:13 主よ/あなたはとこしえの王座についておられます。御名は代々にわたって唱えられます。
詩 102:14 どうか、立ち上がって/シオンを憐れんでください。恵みのとき、定められたときが来ました。
詩 102:15 あなたの僕らは、シオンの石をどれほど望み/塵をすら、どれほど慕うことでしょう。
詩 102:16 国々は主の御名を恐れ/地上の王は皆、その栄光におののくでしょう。
詩 102:17 主はまことにシオンを再建し/栄光のうちに顕現されます。
詩 102:18 主はすべてを喪失した者の祈りを顧み/その祈りを侮られませんでした。
詩 102:19 後の世代のために/このことは書き記されねばならない。「主を賛美するために民は創造された。」
詩 102:20 主はその聖所、高い天から見渡し/大空から地上に目を注ぎ
詩 102:21 捕われ人の呻きに耳を傾け/死に定められていた人々を/解き放ってくださいました。
詩 102:22 シオンで主の御名を唱え/エルサレムで主を賛美するために
詩 102:23 諸国の民はひとつに集められ/主に仕えるために/すべての王国は集められます。
詩 102:24 わたしの力が道半ばで衰え/生涯が短くされようとしたとき
詩 102:25 わたしは言った。「わたしの神よ、生涯の半ばで/わたしを取り去らないでください。あなたの歳月は代々に続くのです。
詩 102:26 かつてあなたは大地の基を据え/御手をもって天を造られました。
詩 102:27 それらが滅びることはあるでしょう。しかし、あなたは永らえられます。すべては衣のように朽ち果てます。着る物のようにあなたが取り替えられると/すべては替えられてしまいます。
詩 102:28 しかし、あなたが変わることはありません。あなたの歳月は終ることがありません。」
詩 102:29 あなたの僕らの末は住むところを得/子孫は御前に固く立てられるでしょう。


詩 130:1 【都に上る歌。】深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。
詩 130:2 主よ、この声を聞き取ってください。嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。
詩 130:3 主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら/主よ、誰が耐ええましょう。
詩 130:4 しかし、赦しはあなたのもとにあり/人はあなたを畏れ敬うのです。
詩 130:5 わたしは主に望みをおき/わたしの魂は望みをおき/御言葉を待ち望みます。
詩 130:6 わたしの魂は主を待ち望みます/見張りが朝を待つにもまして/見張りが朝を待つにもまして。
詩 130:7 イスラエルよ、主を待ち望め。慈しみは主のもとに/豊かな贖いも主のもとに。
詩 130:8 主は、イスラエルを/すべての罪から贖ってくださる。


詩 143:1 【賛歌。ダビデの詩。】主よ、わたしの祈りをお聞きください。嘆き祈る声に耳を傾けてください。あなたのまこと、恵みの御業によって/わたしに答えてください。
詩 143:2 あなたの僕を裁きにかけないでください。御前に正しいと認められる者は/命あるものの中にはいません。
詩 143:3 敵はわたしの魂に追い迫り/わたしの命を地に踏みにじり/とこしえの死者と共に/闇に閉ざされた国に住まわせようとします。
詩 143:4 わたしの霊はなえ果て/心は胸の中で挫けます。
詩 143:5 わたしはいにしえの日々を思い起こし/あなたのなさったことをひとつひとつ思い返し/御手の業を思いめぐらします。
詩 143:6 あなたに向かって両手を広げ/渇いた大地のようなわたしの魂を/あなたに向けます。〔セラ
詩 143:7 主よ、早く答えてください/わたしの霊は絶え入りそうです。御顔をわたしに隠さないでください。わたしはさながら墓穴に下る者です。
詩 143:8 朝にはどうか、聞かせてください/あなたの慈しみについて。あなたにわたしは依り頼みます。行くべき道を教えてください/あなたに、わたしの魂は憧れているのです。
詩 143:9 主よ、敵からわたしを助け出してください。御もとにわたしは隠れます。
詩 143:10 御旨を行うすべを教えてください。あなたはわたしの神。恵み深いあなたの霊によって/安らかな地に導いてください。
詩 143:11 主よ、御名のゆえに、わたしに命を得させ/恵みの御業によって/わたしの魂を災いから引き出してください。
詩 143:12 あなたの慈しみのゆえに、敵を絶やしてください。わたしの魂を苦しめる者を/ことごとく滅ぼしてください。わたしはあなたの僕なのですから。

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