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October 29, 2005

『憲法対論』

constitution_dialogue

『憲法対論―転換期を生きぬく力』奥平康弘、宮台真司、平凡社新書

 もう、奥平康弘さんのことなんかは誰もマジメに取り上げないのかな。

 そもそも法律なんてマジメに勉強したこともなかったので「別に憲法ぐらい代々木系の学者さんの本ぐらい読んでおけばいいや」ぐらいに放っておいたのも事実で、不勉強もはなはだしいのだが、ぼくの憲法に関する知識は、ほとんど奥平さんに負っている。橋爪大三郎さんが『人間にとって法とは何か』PHP新書の中で、左翼を引きずっているような人間は「(法律のことを真剣に研究することは)バカバカしくてやってられない」という心情を持ち、「よい法律をつくろうという動機が少なかった」と指摘しているのは実に正しいと思う。別に法律なんか関係ないや、みたいな気分はどっかであったし、いまの憲法改正論議を見ていると、個人的にはそうしたツケが回ってきたんじゃないかと思っていたりして。

 まあ、そんことはどうでもいいけど、奥平さんが宮台と対談したこの本でも繰り返し語っているのは、憲法というものは、そもそも国家権力を規制するためというか、統治権力から市民を守るため、というのが基本なんだ、ということ。それを忘れてはならないと思う。

 奥平康弘さんは別の本で「憲法がもしその理念・規範に照らして現実を批判し、現実を嚮導するものではなく、逆に現実の前につねに頭をたれなければならないのだとしたならば、憲法というものの独自の存在意義はなくなってしまうであろう」と書いているが、国家権力なんていうのは、解釈憲法で自分がどこまでできるのか、ということを常に考えているぐらいでちょうどいいと、個人的には思っている。

 解釈憲法、どこが悪いのか、と。この視点だけは忘れないでおこう、と思っている。TV知識人なんかが「中学生が矛盾なく解釈できるような憲法が望ましい」とかワケわかんないこと書いてるが、憲法なんていうのは、主権者が行政などを委ねている国家権力に「これだけはすんなよ」と示したガイドラインなのであって、理念的であるのは当たり前。だから解釈で悩めばいいんであって、中曽根大勲位の私案みたいにボケて前文で愛国心を"謡う"なんていのうはもってのほか。勘違いすんなっつうの。

 そして、個人的には憲法改正に対する基本的な態度はこれでいこう、と。

 "Maybe the Crotch can fuck me, but I won't spread my own cheeks"
"The Short-Timers", Gustav Hasford, Bantam, p.160

日本語訳はちょっと意訳しすぎだけど気分は出ている。

 「そりゃ、軍はおれの尻を掘れるかもしれないよ。だが、おれは自分から尻っぺたをひらいて、さあどうぞ、とさしだす気はないんだ」
 『フルメタル・ジャケット』高見浩訳、角川文庫、p.243

  この文章の「軍」には、小泉政権、自民党と公明党の連立与党、これから出てくるであろう旧清和会系の政権、どれでもあてはまると思う。

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