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October 02, 2005

『13歳は二度あるか』

13years_old

『13歳は二度あるか―「現在を生きる自分」を考える』吉本隆明、大和書房

 遺言モードに入った感のある吉本さんの透明感あふれる、詩のような言葉に打たれる。司馬遼太郎さんの『二十一世紀に生きる君たちへ』をちょっと思い出した。

 しかし、もちろん、吉本さんなので、よりラジカルであることに変わりはない。小見出しだけでも素晴らしいので並べてみる。

 第一章「新聞を読む、時代をつかむ」では「自分にはどうしようもならないところで、世の中が180度変わってしまうことがある」「世の中がひっくり返るような出来事がこれから起こらないとは限らない」だから「13歳になったら、新聞を読もう。世の中の動きを知っておこう」と呼びかける。

 第二章「社会と関わる、自分を生きる」はまるで『共同幻想論』を中学生相手に語っているような印象。「世の中から不必要に傷すけられずに生きるには」のなかで、吉本さんは「13歳のときに戦争が始まって、ぼくの10代はずっと戦時下にありました」「戦争中のぼくは、社会の中での自分の役割と、個人的な内面を、ごっちゃにしていました。だから戦争に負けて、、社会ががらっと変わったとき、個人としての自分までが、立っている足もとの地面が揺らいで、この先どう生ていっていいかわからないような状態になってしまったのでしょう」(pp.50-51)。

 だから平和ということは、人それぞれで、「個人としての個人」に属することだから「反戦運動」はあって当たり前だし有効だと思うけれども、「平和運動」というのはよくわからないとして、「平和運動をやっている人は『社会的な個人』ということだけを考えて、『個人としての個人』については考えていないのだと思います」(p.51)というところまで書く。なんか、ボーッと思うんだけど、民主党なんかも、ここらへんがまったくわからないようなら、旧社会党と同じで、ずっと人々の生活に根を張れないで終わるんじゃないかと思う。

 そして、大切なことは「自分で自分を尊重し、なぐさめる手段を持つことだ」(pp.134-)として、フーコーの「自己への配慮」に言及する。

 ここで吉本さんは「赤ん坊のときに母親から十分に可愛がってもらえず、そのためにいつも心が不安定だったり淋しかったりする人が、自分をなぐさめるために行うのが文芸や芸術ではないか」としているが、結局、"最後の吉本"さんの主張は「せめて子どもが一歳になるまでは、安心して子育てに集中できる社会をつくっていかなくてはならないと思います」というところに落ち着くのではないだろうか(p.130)。なぜなら一歳未満の赤ん坊は無防備で、自分が愛されているかどうかは、生き死にのかかった問題なので、一生のうちでいちばん、自分が愛されているかどうかについて敏感だ、と。親はそんな小さいときのことを子ども覚えてるわけはない、と思うかもしれないけど、心の深いところではちゃんと覚えているのだ、と。

 「子どもが万引きをしたくらいで大騒ぎする必要はない」なんていう一節もあるから、この本を読ませるには、親御さんに断らなければならなかもしれないけど、知り合いの子で、この年齢に近い子がいたら、読ませてあげたい。

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