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August 13, 2005

『熊から王へ』北東北の旅#2

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[8/7]

 朝は5:30に目が覚める。山鳥が鳴いている。7:10にタクシーを呼んでいるので6:30に朝食。ここは本当にご飯が美味しい。フロントにあたる一階の座卓の前で新聞を読みつつ、タクシーを待つ。 「花巻東堂々の行進 甲子園」みたいなのがローカル面のトップ。

 タクシーは新花巻まで5000円弱。うーん、行き帰りで1万円だ…。これに目をつけて国際興業が花巻温泉あたりを買いまくったらしい。当然、タクシーも系列。やることがエゲツないかも…。次にねぶたに行く時は、いろんな人から勧められたの盛岡からの高速バスを利用しよう。これなら3時間で青森だという。まあ、今回は何事も勉強、ということで。

 ハヤテ71号は仙台発で東北新幹線下りでは一番早い列車。しかし、さすがに青森のねぶたということでけっこう混んでいる(ちなみに青森のが「ねぶた」。その他は基本的にプで五所川原が「立佞武多(たちねぷた)」、弘前、黒石、大鰐、田名部、田舎館村、尾上、平賀などもプというか"ではなく○みたい)。オヤジモード全快の肌の焼けたおやじさんたちが元気だ。もちろんワンカップ大関付きであることは言うまでもない。

 八戸で白鳥71号に。ここも全指定席が売り切れなのだからねぶた恐るべし。天気はうす曇。ウツラウツしているうちに浅虫温泉。旅館小川は浅虫温泉駅から歩いて3分。駅前のロータリーには流行の足湯。うーむ、流行とはいえ、足湯って使う気になれないんだけど、どうなんでしょう。ま、いっかと通り過ぎるが、いきなり駅前の旅館がつぶれているのに驚く。これって、どうなよ。太宰治も浅虫温泉に関しては「この浅虫の海は清冽で悪くは無いが、しかし、旅館は、必ずしもよいとは言へない。寒々した東北の漁村の趣は、それは当然の事で、決してとがむべきではないが、それでゐて、井の中の蛙が大海を知らないみたいな小さい妙な高慢を感じて閉口したのは私だけであらうか。自分の故郷の温泉であるから、思ひ切つて悪口を言ふのであるが、田舎のくせに、どこか、すれてゐるやうな、妙な不安が感ぜられてならない」と『津軽』で書いているのをフト思い出す。旅館は女将さんと娘さん2人でやっている小さなところ。すごく感じいいです。高いけど…。その娘さんに10時前に着いたので驚かれる。荷物を預かってもらい、すぐに青森へ。

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 その電車が超満員。東横線ぐらいは混んでいる。ねぶた恐るべし。しかし、東北の人たちは、どうしようもないような顔というのが少ない。女性は美しい人が多いし、そうでなくてもどこかしら見所がある。オホーツク人、アイヌ人、ロシア人、日本人が混血して優性遺伝が残っているからだろうか。

 青森駅に到着。ちょっと前までは、高いビルなんかほとんどなかったのに、駅前のアウガとか、建設中のマンションとか大きな建物が出来ていて驚く。とりあえず棟方志功館でものぞいて北の巨人に敬意を表すかと思い、タクシー乗り場へ。乗ったのは個人の小川タクシー。この人が話し好き。「なんで今日来たの?ねぶたは昨日でほとんど終わったよ」「いつも2日から7日だけど、最後の7日は花火大会と昼間のねぶた、それに5台のねぶたの海上運行だけだ。夜のお祭りは5日、6日がピーク」と教えてくれて、いきなりガッカリさせてくれる。「来年からは5日か6日に来るんだな。もっとも、その時期の青森のホテルは全部補助ベッド出して、シングルはツイン、ツインは4人泊まりにさせられるけど」などと正直でもある。「志功館出てどうすんの?青森駅まで帰るにしても、三内丸山古墳行くにしても、待ってやるから。その方が少しでも安くなるし」と親切でもある。

 ということで志功館へ。入ったところに飾ってある等身大のポートレイトの笑顔に圧倒される。釈迦十二弟子よりも、特別展示されている東海道などを描いた版画よりも、この笑顔が素晴らしかった。この笑顔を鬼のようにしてチッャチャと描いたり、彫っていくんだから制作現場は凄かったろうな、と。

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 ということで、30分ぐらいで出てくる。本当は次の日を丸一日、三内丸山遺跡で過ごす予定だったが「予習していけばいいじゃない」ということで三内丸山へ。三内丸山は青森市内を見下ろす丘の上にある。縄文の海進期には、中沢新一さんの言うような「ミ・サキ」にあたる場所だったろう。つまり、縄文海進期に海面が上昇していた時の海と陸との接点。ちょっとした丘なのだが、タクシーを降りると風が涼しい。

 縄文時遊館はすごく立派。こんな立派な遺跡がタダというのは絶対におかしい。建物の維持費だけでも年間1億円かかるそうだ。しかし「展示物の中で重要文化財クラスのものは市内の縄文資料館に収められてるので、そうしたものがないのに入場料を取るのはいかがなものか、というような議論があって」タダなのだという。

 青森には義経が北海道にわたったとされる入り江近くのお寺が「義経寺」と命名されたり、キリストが来たという戸来(へらい)村があったり、始皇帝から不老不死の薬を見つけて来いといわれた徐福が上陸したという港に公園をつくってしまったりと、妙なことばかりやる。そんなウソの伝説のために施設をつくったりして懸命に集客しようしていたから、こんな立派なモノホンの施設に入場料をとらないのではないか、などとつまらぬことを考えているうちに、タイムトンネルみたいなところを抜けて、三内丸山の遺跡の丘へ。このタイムトンネルみたいな導入部、わかっちゃいるけど、けっこう効果的。

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 縄文の丘を一望。素晴らしい。圧倒される大きさだ。大塔楼が小さくみえる。直径300メートルぐらいのまあるい丘すべてが緑で覆われ、再現された縄文期の建物が点々と立っている。まずは資料館へ。ここで発掘の過程などがわかる。そして、航空写真によって市内との位置関係も。縄文のビーナスたちが思ったよりも小さいのに驚く。おまもりみたいなものだったのだろうか。再現されたベストもイイ感じ。針は樺太、アリューシャン列島まで"輸出"されていたらしい。けっこう精巧。

 などと感激した後、大塔楼へ。近くで見ると本当に大きい。なんのためにつくったのかという説が3つ併記されているのもいい。それとは関係なく、ぼくは梅棹さんの神殿説に一票を入れたい。近くの一番大きな建物に入る。燻された栗の木の匂いがすごい。息もつまるほど。なんでも体験学習でいまでも煮炊きするので、匂いがこもるらしい。

 後は発掘された状態の壁の断面を見せるため、湿度を高くして保護したフラードームに収めて展示している施設にもすべて入る。

 で、終わった。申し訳ないが、翌日、ここで一日過ごすことはできない。もうお腹いっぱい。
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 ということで市内へ遅いブランチを取りに戻る。運転手さんに「明日どうすんの?」と聞かれ、迷っていると伝える。最初は三内丸山遺跡で一日を過ごそうかと思っていたのだが、もう見てしまったし、と。「貸切にして津軽半島をぐるっとまわってみたらどうなの?」と聞かれ、じゃあお願いしますと答える。太宰が打ち捨てられた風景と描いた十三湊(とさみなと、十三湖)や、生家のある金木、弘前高校当時に通った喫茶店などにも立ち寄りたいが、レンタカーでも借りなければ無利だしだいたい何十年も運転していない。

 ということで、小川運転士お勧めの秀寿司に到着。本当はさくまあきらさんご推薦の「鮨処すずめ」に行こうと思ったのだが、昼間はやってないし「新しい店だよ。前のが潰れてね。地元の人が行くのは秀寿司の方」というので…。とにかく、翌朝は浅虫まで迎えに来てくれるということで、秀寿司の前でいったんグッド・バイ。

 この秀寿司、本店は下北の方で、仕入れもそっちから来るという。昼間なので、特製の握りを頼み、後はビール。最後に出してくれるカニとカニミソの手巻きが秀逸。思わず「明日も夜に来ますから」と伝える。すると「地のものを食べてってください」といわれる。ちょっと大正解だったかも。

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 ということで、ラッセラーの囃子も聞こえてきたのでお勘定を済まし、運行ルートへ。昼見るねぶたは、なんとなく拍子抜けかもしれないが、大太鼓にまたがって叩いている女の人などもいて驚く。そして、各ねぶたの前にはスポンサーとなっている企業名と、商品のねぶたが付き、それが先導しているのに驚く。まあ、2000万円ぐらいかかるらしいから、致し方ないかも。

 ねぶたといえば坂上田村麻呂だと思っていたのだが、一体も田村麻呂を題材としたものがない。なんでも十年ぐらい前に「元々は東北を攻めた人ではないか」という議論が起こって、もっともすばらしいねぶたに贈られていた「田村麻呂賞」から単なる最優秀賞に変更されたという。いろいろ恐るべし。

 アスパム内に設けられているねぶたの里(ラッセーランドw)に帰っていくねぶたを最後に見届ける場所で、ずっと見る。アスパムというのは陸奥湾の入り口に立てられた三角形の建物。ねぶたの下に入って押している人たちは暑さで死にそうになっている。高校生から大学生ぐらいが多い。なんでも、日当が出ているとのこと。そりゃそうだわ。
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 最優秀の囃子賞というのもあって、それに選ばれた組はさすがにリズムがビシッと決まっている。決して走らぬリズムセクション、なんつうかカッティングの効いた横笛。素晴らしい。

 ということだが、この後、花火大会と海上運航までまだ4時間もある。アスパムで時間を潰そうかなと思ったが、ものすごい人だかり。いっぱい100円のリンゴジュースを味わって退散。暑かったので、近くの画廊もかねる喫茶店にピットイン(マルシーさくまあきらさん)。超賑わいで、おばさんがひとりアイスコーヒーを仕込んでる最中だった。時間を少しでも潰したいこちらとしてはありがたい限り。隣は地元のゲージツ家のおじいちゃん。「お祭りは初めて?」といきなり、The Open並みの普通名詞「お祭り」で固有名詞「ねぶた」を語る高等戦法だ。「ねぶたはねぇ、雨でも、晴れていてもいいんだよ。雨だと路面に原色が反射してねぇ」「海上運航ではねぇ、少し揺れていると、海面にゆらゆら映るのがいいんだねぇ」などと話してくれる。まるで棟方志功みたいな感じ。

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 まだ時間が余りそうだったので、店を出て、駅前のアウガに行く。アウガは元の生鮮市場。地下にさくまさんお勧めのすし屋さん『三国屋』がある。にぎりは食べられそうもないが、刺身とビールならいける。と思ったら、ほたての刺身500円というのがあるじゃない。さっそく頼むと、なんつうか、魚屋さんが包丁持っているいるような板場から、どかんと大振りに切られた皿が渡される。ほくほくしながらいただく。新鮮!うまい!さくまさんは確か酒はあまり飲めないのだが、おいらは酒が飲めて、こんなイイ思いができて幸せだ。

 ちょっとい気分になったので、ブラブラと花火大会と海上運航の行われるアスパムに戻る。その裏というか、海間近のとろこにある海浜公園に桟敷席がある。一番前だった。らっき。にしても、それを取り囲むように座っている人たちの多さよ!10万人ぐらい集まっているらしい。日が暮れるとさすがに風が少し寒いぐらい。さすがに北国。花火と海上運航は夢のように美しかった。

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 海上運航が終わった時点で席を後にする。駅についても花火はボンボン上がっていた。駅のコンコースからしばし見物(やめてくれ、という張り紙はあったがw)。浅虫に向かう臨時列車も満員。

 帰ったら、まだ日韓戦をやっていたので、今ちゃん、茂庭、土肥ちゃんを応援。ユージのゴールに感動。宿では夜食を出してくれた。これがけっこう量があって残してしまったが、『津軽』に出てくるカヤキみたいなのがあって、気分は太宰のように喰ってみる。「さうして、つひには、卵味噌、卵味噌と連呼するに到つたのであるが、この卵味噌のカヤキなるものに就いては、一般の読者には少しく説明が要るやうに思はれる。津軽に於いては、牛鍋、鳥鍋の事をそれぞれ、牛のカヤキ、鳥のカヤキといふ工合に呼ぶのである。貝焼《かひやき》の訛りであらうと思はれる。いまはさうでもないやうだけれど、私の幼少の頃には、津軽に於いては、肉を煮るのに、帆立貝の大きい貝殻を用ゐてゐた。貝殻から幾分ダシが出ると盲信してゐるところも無いわけではないやうであるが、とにかく、これは先住民族アイヌの遺風ではなからうかと思はれる。私たちは皆、このカヤキを食べて育つたのである。卵味噌のカヤキといふのは、その貝の鍋を使ひ、味噌に鰹節をけづつて入れて煮て、それに鶏卵を落して食べる原始的な料理であるが、実は、これは病人の食べるものなのである。病気になつて食がすすまなくなつた時、このカヤキの卵味噌をお粥に載せて食べるのである。けれども、これもまた津軽特有の料理の一つにはちがひなかつた」。

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 温泉はすこしぬるめだったのが、かえってありがたかった。疲れたので素早く寝る。これからも、日本の東北地方から北海道、サハリン島、アムール川流域、アリューシャン列島、北米大陸の北西海岸部まで広がる中沢新一さんのいう「東北」という概念に少しでも触れたい。精霊の仮面をかぶった王が人食いを演じるような夢を見る。

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