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August 02, 2005

『対話の回路 小熊英二対談集』

oguma_talk

『対話の回路 小熊英二対談集』小熊英二、新曜社

 小熊英二さんの主著は読んでいない。目新しい主張というよりも、勉強家が戦後の思想家の主張を時代のコンテキストに沿って整理して、その限界性を明らかにする、という手法は「だから、なんなの?」という気がするから。しかも、大部すぎるし。

 でも、網野善彦さんとの対談(『「日本」をめぐって』に収録済み)はスリリングというか、網野さんが危篤になる寸前に、これでもか、と聞きにくいことをしつこく聞くというのには驚き、あきれるとともに、さすがだと思ったので対談集は買うことにした。

 そして、こうした部分が小熊さんの真骨頂というか、問題意識なんだな、というのがわかったのは、やっぱり『「日本」をめぐって』の中で「網野さんの史観というものは、現在の日本の現状に非常に見合った史観なのである。八〇年代以降、農業人口が減少し、国内でも国際的にも移動が激しくなりといった日本社会の常会があるなかにおいて、網野さんの史観のほうが、かつての農民中心史観よりもむしろ人々のの生活感覚に合う」(p.222)「網野史観で植民地支配の批判になるかと思ったら、あまりなっていない」(p.223)とまで云って対談相手を怒らせるというあたり。

 今回の対談集でも網野さんみたいなブチ切れはされなくて、逆にかわいがられている感じすらする谷川健一さん相手に、戦後民俗学というのは、柳田国男とは違うと断罪。柳田は「農村の貧困をどうするのかという意識は常に頭を離れていません、そうした政治的関心を、谷川さんも含めて、戦後の民俗学は大きく落としてしまった思います」(本書、pp26-237)という、なんつうか、言いがかり的なところから、話を引き出すのが、この人の特徴なのかな、と。つまり、史学というかなんというかの田原総一郎みたいな感じ。

 ぼくは、小熊さんが、そうした政治的関心を持つことが本当に素晴らしいことだ、ということから戦後の民俗学を批判しているとは思えないし、とりあえず、突っ込んでおこう、という感じなんじゃないかと思う。ま、そこまで突っ込めるというのはそれなりに素晴らしいことだとは思うけど、谷川さんからは逆に「柳田は、一九三〇年代はじめの東北の恐慌については、なにも述べていないんですよ」(p.239)あたりから形勢を逆転させられて、「では小熊さんのやろうとしていることは、どうなんでしょ」(p.242)と切りかえされる。

 ここで小熊さんは「(自分も)結果的に後からみると時流に合ったような気もします」(p.243)みたいな感じで白旗をあげて終わるわけだが、結局、小熊さんという人は、方法論からしてそうだと思うのだけれども、ある思想家が限定されたシチュエーションの中でしか有効でないということを、テキストと時代背景を読み込むことによって明らかにすることに快感を覚えているだけなんじゃないか、と思う。

 だから、谷川さんに柳田国男について、テキストを読み込むことで解読され得ない「言ってないこと」から反論されると困ってしまうわけだ。

 もしかしたら、また、書きます。

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