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August 31, 2005

『迫り来る革命』

lenin

『迫り来る革命 レーニンを繰り返す』スラヴォイ・ジジェク、長原豊(訳)、岩波書店

 例によってジョークとも真面目ともつかないような筆致でハイパーな資本主義における真の改革は可能かという主題を、なんとレーニンを持ち出してきて論じる。ジジェクの場合、いつも例題が面白いというか、意表をつく見立てと、どこまで本当なのかムズカシ的でわかりにくいラカンを持ち出すことによる分析で誤魔化され勝ちだが、今回もそうした文章が大量に楽しめる。

 もう、勝手に思っていることだから云っていまえば、ジジェクは日本でいえば岸田秀さんではないか、と。岸田さんが"フロイトは本当は集団分析を個人分析に使ったのだ"という唯幻論を飽くことなく繰り返すように、ジジェクはラカン派精神分析を社会問題に適応してみせるのだから。

この本の主題は、左翼的であることがジョークになりつつある現在、政治的に正しい(Political Correct)かどうかを慎重に考えて振る舞うことが「今日のリベラル派」に残された唯一のふるまいかもしれないとした上で、「今日のリベラル派による民主的ヘゲモニーは、この<思考停止>というある種の不文律によって維持されている」(p.17)として、 今回も忘れ去られて無害となったレーニンを持ち出すことによって、「『レーニン』は、古くなり無効になった(ポスト)イデオロギー的な座標軸であるわれわれが生きているこの萎えた思考禁止Denkuerbot[の時代]を停止するための、抑えようがないほど魅力的な、自由を表現している――簡単に言い換えれば、それはわれわれがふたたび考えることができるようになったことを意味しているのだ」(pp.18-19)と持ち上げる。そう、『何をなすべきか』や『一歩前進二歩後退』で大衆を率いるエリートの党の建設を説教した固いレーニンではなく、十月革命という行動それ自身によって「自由を表現している」レーニンを描こうとしている。

 でもね、本書の大部分がレーニンの著作に関しては分析されていないように、いまさらレーニンの本を読んでも始まらないのは事実(今でも読む価値があるのは『哲学ノート』ぐらいなものではないか)。

 まあ、そうした限界を見据えた上でジジェクは映画でも分析するようにメイエルホリドなども参加したパフォーマンス『冬宮急襲』に言及、こうした「パフォーマンスこそ、まさに<十月革命>がたんなるボルシェヴィキという一つの小集団によるクーデターではなく、非常に解放的な潜勢力を解き放った出来事であったことを示してはいなかっただろうか?」(p.146)と皮肉に問いかけるあたりは、ヒッチコックの分析並に面白かったかな、と。

 でもね「レーニンを反復するとは、レーニンが実際におこなったことと彼がその可能性を拓いた領域とを区別し、彼が実際におこなったことと他の次元との緊張のレーニンにおける区別を明らかにすることであり、それは『レーニンにおけるレーニン自身を越え出るものとは何か』を問うことである。レーニンを反復するとは、レーニンが以前やったことを繰り返すことではなく、彼が以前やることに失敗したこと、彼が失った好機を繰り返すことである」(p.255)というのは、いくら結語が欲しかったにしても、ジョークにもならない。

 でも、まったく無価値になったように見えるものから、新たな価値が見いだされることはある。ラカンに関しては素人も同然だけど、常に無限へと駆り立てられる私たちは「無限」の場おいて、絶対的な他者となり、私たちの起源である現実を対象aとして認識するのだから。なんて。

 にしても、なんで岩波はこんな本出したのかな…。

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