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May 03, 2005

出雲から関門、大分へ

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[28日] 夕方6時には会社を出る。旅立ちは夜汽車というか寝台特急。夜、飛行機で移動するのはつまらない。地方都市の夜はたいてい早いし、遅くまでやってるところで面白いところは少ない。たんにホテルに泊まるのだったら、夜汽車で気分を高めていく方が好き。会社を出るときにズボンをチノパンからワークパンツに履き替えて準備完了。パーカーを持っていくか悩んだが、九州は夏のようだ、という情報を信じて置いていくことに。ブルーのシャツがジャケットがわり。

旅行に出る気分というのはどっかうら寂しい一面もあると思う。酒井順子さんが『観光の哀しみ』で書いていたように「招かれもしないで出かけていく」わけなのだから。ということで、気を紛らわすためには、一杯ひっかけることが必要になる。

寝台特急出雲号の出発地である東京駅で、大分戦のアウェイチケットを買い、昔よくJRの人たちに連れていってもらった焼き鳥屋「宮川」へ。東京駅の駅前の店らしくギューギュー詰めで座らせられるし、メニューも基本的には焼き鳥だけだが、旨いんだなこれが。隣に座ったサラリーマンの二人組は七時半になると御愛想。ふたりで6930円を先輩とおぼしき人が4000円を払い、残り3000円を若い人が払ってお釣りももらう。そんな店だ。

最初は塩で、次にタレで5~6本はたいらげただろうか。すなわち生ビール中ジョッキ2杯に、冷酒4号。最後の鳥スープがまた薄味で〆に最高。けっこう酔っ払って大丸の地下街「ホッペタウン」に。浦霞2本と銀河高原ビール2本を旅の友にもとめる。もし、お腹がすいた場合にそなえて、すし鉄が出している出店で鉄火巻きも。

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けっこうな荷物をデイパックに背負い、手に持って10番線ホームに。踊り子号なんかが出発するホームだ。夜のこの時間になると、ベンチにお店をひろげて悠然と弁当をつかう老夫婦なんかがいておかしい。その隣のカップルも触発されてお弁当をぱくつきはじめる。その向かい側のホームでは東海道線を待つ人たち。

夜汽車で旅をする時は、必ずビール片手に家路につく人たちをの姿を眺めることにしている。それは、自分の普段の姿を見るという意味もあると思う。ケータイでメールを打つ人、新聞を読む人、ボーッと外を眺めている人。いろんな自分がそこに映し出されている。ソクラテスが常に言っていたのは「己自身を知れ」ということだった。なんてつまらぬことを考えているうちに、ビール2本がカラになる唯物論的なおいら。

今回は奮発して個室寝台をとったが、サンライズ出雲と比べて特急寝台出雲は旧式なまま。立って楽に着替えることができるのが有難いぐらいで、特に目新しいことはない。

ということで素早く眠りにつく。

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[29日]

目が覚めたのは四時半過ぎ。ケータイで時間を知る。そしてケータイの感度は圏外とバリ3の間を激しく動き回る。もう山陰本線には入っている頃だろうか。

空が明るくなっても半月が明るい。トム・ウェイツの『シバー・ミー・ティンバース』みたいだなと思ったが、素早くお腹が減っていること気づき、寿司鉄の鉄火巻きに手を伸ばす唯物論的な(ry。すなわち残りの浦霞も消費される。5時28分、福知山に停車。福知山線でお亡くなりになった方々に合掌。「カネボウミシン糸」なんていう看板を出したうら寂れた工場がみえた。

 何もできない時間。神聖な時間。ボーッと外をみているのも飽きると持ってきた『時計職人とマルクス』を読む。山が倒木で荒れた区間が続く。ちょっと心が痛む。人の手が入っている山並みはうっとりするぐらい美しいところもあるのだが。

浜坂で販売員が食堂車に乗り込み、コーヒー、お弁当などを売る。販売するのは次の鳥取まで。すなわち長蛇の列。コーヒーを買って自分の個室寝台に戻るが、途中のB寝台で、窓辺の臨時椅子を出して外を眺めている達人たちの姿が多かった。コーヒーは300円。ウマー!。

鳥取で10分近く停車。その間に新聞を買うが、FC東京の4連敗にショック。大分戦は真面目に応援しなければ…。

倉吉ではやたら学校とか大きな公共施設に盛り土があった。なんだったんだろ。伯耆大山はまだ雪をいただいていた。宍道湖は茶色でガッカリしたが、地元の方に聞いてみると、ふだんはもっとキレイだけど、前日からの風が強く、波がたって底が浅い湖の砂が舞っていたとのこと。

出雲には11時に着く。今回の事故の影響からか、やたら「3分遅れで運転しております」みたいなアナウンスが多かった。ウザかったので「回復運転しないということを言いたいんだろうけど、時速100キロ超でR300に突っ込むような運転させといて、今さらそんなアリバイ的なアナウンスをやらない方がいい。だいいち耳障り」というメモを車掌に手渡す。

これはマジメに言いたいんだけど、JRは鉄道を文化だと思うのなら、効率化のためにブルートレインをこれ以上、廃止するのはやめるべきだ。社長会などでは、基本的に将来はすべて廃止という方向らしいが、そうした効率だけを優先する余裕のない考え方が、西日本の事故にどこかでつながっていると思う。もちろん余裕かましまくりで、毎年一兆円の赤字をタレ流し、最終的に国民に負担のツケをまわすような国鉄の二の舞は困るが、日本人はどうも極端から極端へと流れすぎ。

などとつまらぬことを考えているうちに出雲に到着。出雲大社へはタクシーで。山に抱かれたその姿は、どこか境港を思い出させる。出雲大社は風水害に強いと言われていたが、その理由のひとつはこれだな、と思った。グルッとひとまわりしているうちに、なんと六本木ABCのMさんにバッタリ。ありえねぇ!と笑って別れる。途中で超美人の高校生から「こんにちは」とか言われてあせる。

「荒木屋」で割子蕎麦を戴く。普通。ということで一畑電気鉄道で松江へ。

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小泉八雲記念館、武家屋敷、松江城と一通りめぐって(すげぇ観光客やってるw)、お腹が減ったので皆美館に行こうと思ったのだが、夕方は五時からだということ。松江城の茶店でぼてぼて茶をいただいたのだが、このぼてぼて茶は名前がサイコー。いろんなところで、ぼてぼて「茶漬け」とも紹介されていて、それはお茶の中におコメや漬け物、豆なんかを入れて飲むからなのだが、その量はあくまで少量。「茶漬け」の量ではない。そこを間違ったので、ちょっとお腹がすきすぎてしまったという。ちなみに、お茶の花があわ立つ成分らしい。で、番茶みたいなのを入れた後、すごい大きな茶せんで立てる、と。最初の一口は普通にすすっていただき、後は、いろんなのを入れていただく、と。

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で、ホテルにチェックイン。なんてぇことないビジネスホテルだけど、安いし、駅から近いし、インターネットの設備は整っているし、大許し…(アルファーワンとかいうチェーン)。昨日からおフロはいってないのでシャワーあびて、いざ、皆美館へ。

皆美館では鯛めし会席をいただく。山口瞳さんの本で『行きつけの店』(TBSブリタニカ、1993)という本があって、この店のことを、こう書いていた。

「築地の吉兆ね、あそこへ行ったとして、目の前に大きな湖が開けていて、一階に温泉大浴場があったらどうする?皆美館つて、そういうところだよ」。皆美館の板前が吉兆で修業してくることを後になって知った。

さすがに地元だと安くて、食事も最高。宍道湖を見ながら、一人で山口瞳さん気分を味わう。残念だったのは、ちょっとうるさい子供がいたこと。親もこんなところに子供を連れてくるなよ…。つか泊まって、部屋で食べたかった。

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[30日]

朝4時に目が覚める。旅先ではどうしても朝が早くなる。シャワーをあびて、湯船につかって『時計職人とマルクス』を読む。

ホテルを出たのは5:30。道路が少し濡れている。朝方、雨が降ったのかも知れないなんてことを考えているうちに、お腹が減ってくるのに気づく唯物論的なおいら。しかし、今日は唐戸市場の食堂でドカ喰いする予定なので、キムタクがCMをやっているウエイダーインゼリーの低カロリータイプであるファイバーインを駅前のローソンで買って飲む。

今日、載るのは6:19発のスーパーおき。松江、出雲、太田、江津、浜田、益田と日本海側をすすみ、益田から一転山の中の線となり、新山口までという列車だ。緑の窓口で「指定とった方がいいっすかね」と聞くと、実直そうな担当者が「三両編成と短い列車ですので、おとりになられた方がよろしいのではないかと思います」という。松江とか出雲の人が好きになる。なんか、ここらへんはあんまし自然災害とかもなさそうだし(出雲大社はだから、そうした場所に立てられたとも聞く)、人も自然とおだやかになるんだろうか。松江藩は松平という譜代の殿様だったし。

下関を何時に出発したら夕方までに別府までつくかなども改めて検索してもらい、16:28着のスーパーソニックに乗ることを決める。その後、ブラつきながら改札が開くのを待つ。改札を「かいさつ」と普通に読めるのは鉄道が文化になっているからたな、とかつまらぬことを考える。JR西日本の南谷会長は国鉄、JRを通じて知り合った全てのお偉いさんの中で、いちばん人柄が暖かで好きな人だった。いま、南谷さんは何を考えているのかな、と思いながら改札を抜ける。

階段を上っていくと誰もいないホーム。この瞬間、わりと好き。iPOD SHuffleではちょうど、エミルー・ハリスをやっている。早朝の人気のないホームにエミルーの声は染みるなぁ、と思いつつ「スーパーおきでは車内販売はいたしませんので、ご乗車の前にご用意をいただきますようお願いいたします」というアナウンスに缶コーヒーを買う唯物論的な(ry。

昨日いったんは通ったところなのに、雨あがりの美しい里山が続く。やがて大田の前あたりから進行方向右側に海の風景が広がってくる。陽水の『長い坂の絵のフレーム』がかかり、ずっとリピートで聞く。「これからも働いて、遊びながらも生きていく。様々な気がかりが途切れもなくついてくる」。この歌、彼の後期の歌の中では一番好きです。

途中、Dash村をやるのによさげなところを見つける。線路をはさんで山側が畑、そして海。こんなところで、気の合う人たちと過ごすのは悪くない。ヒマになったら石見銀山でも探検すればいいし。

誰でも受け入れるコミューンみたいな運動がうまくいかなったのは、互いに同じ経験を経て、それがシナプス結合として脳内に残っているという共通の基盤がないからなのかな。ソシアル・ネットが流行っているのも、そんなのに気がつき始めたからなのだろうか。

三保三隅の手前の海が素晴らしかった。

益田からは新山口線となる。そして、いかにも長州って感じの車掌に乗り変わる。しかにも長州というのは、利発そうだが、少し酷薄な感じがする、というようなイメージ。つか、そういう若い車掌さんを見るといかにも長州っぽく感じられるところが、この藩が全国的なところ。益田から新山口までは山の中をひたすら単線で走り抜けていく。よくこんなところを鉄道が通るよな、と思うところに長州の政治を感じてしまう。日原駅なんていうのも、小さいけれど、ずくキレイで整備されている。

この山口線はSL新山口号が走る線区だ。SLのたなびく煙が山に映えるのだろう。途中、津和野に少しだけ停車。山も整備されている。しかし、ほんの少し植生に南の国の雰囲気がするのはなぜだろう。

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ちなみに乗車券は松江から別府まで買ってある。7560円也。これに必要に応じて特急券、指定席券を買っていけばいいわけだ。

10:13に新山口に到着、ちょうど向かいのホームでSLの出発式をやっていた。レトロな詰め襟の制服もナイス。ぼく自身は在来線に乗り換えて下関へ。下関までの一時間は寂れた田舎町って感じ。本を読みながら時間をつぶす。

下関には11:40に到着。東口からタクシーに乗り、すぐに唐戸市場へ。2階にある「市場食堂よし」で昼飯。生ビールの中ジョッキとふぐ定食に単品でウニ、マグロをつけて3800円。わしわしと喰う。しかし足らなかったので、ほかの人たちと同じように、すし屋さんで好きな寿司をとってもらい、それをプレートに乗せて、関門海峡を眺めながら外で食べることに。司馬遼太郎さんは「動く風景」である関門海峡を眺めるのが好きだったそうだ。

とにかく唐戸市場は家族とのレクリエーションとして来るのだったら最高だろう。フグのから揚げも人気だったが、夕食を考えてやめた。とにかくものすごい人が出ていた。しかし関東の人間としてはたまり醤油ってのがやっぱりキツイ。刺身醤油の場合、九州は特に甘いからな…。薄口のマイ醤油を持ってこなくては…。

さて、ここまできたら、対岸の門司港まではフェリーで渡らなければ。390円で5分だけど船旅の雰囲気が味わえる。乗ったと思ったらものすごいスピードで門司港へ。門司港は旧国鉄時代に見捨てられたような駅だったために、駅舎のリニューアルなどが行われず、明治期の姿を残している。それを生かしていまやレトロ街として客、映画の撮影隊なども集めてしまうのだからたいしたもん。実際、なんかのドラマの撮影が行われていた。

緑の窓口の駅員も昔の詰襟の制服を着ている。シブイ。その駅員に門司港から小倉までの乗車券270円を売ってもらう。そう、門司港は"盲腸線"で本線から外れているのだ。だから270円の乗車券をプラスしないと小倉までいけないのだが、唐戸市場からタクシーで下関までひきかえすよりも、ずっと安いし、スーパーソニックの連絡もいい。しかも、旅情は倍増以上。お勧め。

門司レトロ街だが、直接の収入にならない、例えば病院なんかの大きな建物も、それらしくしてもらったら、もっと雰囲気出るのにな、と思う。まあ、厳しいかもしれないけど。日本全体がタマシイの方向としてはレトロを目指しているんじゃないかと思うのだが、とにかく、テーマパークとして見た場合、モノホンの公共交通機関は走っているは、しかも、鉄道とフェリーだわ、フィッシャーマンズワーフっぽいのが対岸にあって食い物関係はバッチリだわ、バックの山もなかなかだわで、ネズミーシーなど裸足で逃げ出すほどではないかと思う。JR九州に期待したい。西日本で走らせているSL山口号の車掌さんも詰襟の古い制服を着ていたが、なかなかカッコよかった。

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日豊本線をスーパーソニックで南下していくとジワッと暑い。さすが九州。スーパーソニックは最前列と最後列に電源があって、パソコンを広げるときに便利。あとよかったのが黒を貴重とした内装。シートは本皮だ。しかも、車内販売員のユニフォームも黒を貴重としたカッコ良いものだった。これなら仕事に誇りをもてる。そんなデザイン。西日本の管内で夜行寝台に途中乗車してきた車内販売委員とは大違いだ。JRとなって九州の経営陣は少しでも頑張っていこうとしていることが、こうした社内販売員の制服ひとつをみてもよくわかる。西日本はどっか、大企業病に陥っていたと思う。

次に上場するのはJR九州だろうが、なかなかよくやっていると思う。2:59分に別府へ着き、タクシーで扶養倶楽部へ。もっとも別府でホテルまで乗せていってもらった運転手さんは「もう何十年もJRなんぞ乗ってない」と言っていたが…。ホテルは思ったより山を登ったところにあった。

個人的に旅の情報やグルメガイドなどで信頼を置いているのは、さくまあきらさん。そう『桃太郎電鉄』のゲーム作家だ。桃鉄は初代のPC Engine版からやっている大好きなゲームなのだが、ホームページで毎週のように出かける旅の様子を公開している。もうね、実際に行っている旅の量が違う。今回も「さくまあきら 別府」でググッてホテルは扶養倶楽部に泊まっておられたので、そこに決め、城下カレイは的山荘で食べておられたので予約したのです。

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でも、的山荘は予約が二人以上から。mixiのマイミクの方々を中心に「行きませんか?」と呼びかけたら、GW中はアウェイ参戦率があまり高くない…。「しょうがない、一人で二人前を喰うか」とあきらめていたら、Kさんという方が「近場なので行きます!」と手をあげていただいたという。

ホテルのロビーで5:30の待ち合わせ。15分前に下りていくと、もうお二人が待っておられて、行きに拾ったタクシーが「的山荘に行くんでしたら、また来ましょうか」と言ってくれていたので、それに乗って、いざ!途中やたら花のキレイな公園などを見ながら別府湾を横断するような感じで的山荘へ。ついたのは5:35ぐらいだったか。早目に着いてよかったのは、庭を散策できること。なにせ4000坪。別府湾を見下ろし、対岸に高崎山を遠望することができる。いつも思うのだが、いい場所にはいい家が建っている…。なにせ皇族も利用するということで、いつもここだけで出している的山をオミヤにするという。

その日本酒、的山が城下カレイに合うんですなぁ。シーズンも5月が最高ということなのでピッタシ。厚い肉はプリプリしてあまーい。キモを溶いた特製のタレをちょこっとつけて食べると、フグのようであり、フグより甘く、また身も厚くてプリプリ感がたまんという言葉がループ状態というか、この味をあらわす言葉がつむぎだせんというか、もう一回喰いたいというだけなのであります。

戸を開け放った日本間からは暮れなずむ別府湾が霞み、高崎山はまるで山水画のよう。もう全体的に「ありえねぇ」という状況で、日本酒を飲みすぎてしまったという。帰りのタクシーでは先に下ろしていただき、ホテルに帰って崩れ寝。いやー、それにしても、このために仕事頑張るぞ、という感じの店でした!

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[1日]

早朝、大浴場で温泉につかる。そして7時半すぎには朝食。旅先の朝食は、なんで、こんなにいっぱい食べられるのだろう。

ホテルを出たのは10:30。JR西日本の事故で日本スピンドルという会社がレスキュー隊や救急車が来る前に、保健婦さんも含めて大々的な救出活動をやっていたとは知らなかった。そんな朝の番組をずっとみていた。そして、西日本の南谷会長が遺族の元で謝っている姿が何回も映し出される。テレビやマスコミは報復のつもりなのだろう。もうね、それは仕方ない。仕方ないにしても、鉄道マンとして昭和39年に国鉄に入社して以来のキャリアを、こんな形で終わらせるとは本人も無念だろう。普通は社長の仕事だろうが、あまりにも犠牲者が多く、会長もまわっているのだろう。ぼくは南谷会長を尊敬する。垣内社長なんかは、遺影の前で大声で謝れと言われて、大声を出して謝っている姿を撮られていた。しかし、ご遺族の方の中にはマスコミに対して「自分やあなた方も含めた日本全体のゆるみがこうした事故を起こしたんだ。誰かを責めてすむ話じゃない」と語る立派な方がおられる。なんとも言えなくなる。

うーん、別府の街では、トリニータの情報、イマイチなのかな。ホテルで「どうやったらビッグアイまで一番いいですか?」と聞いたら、駅前からシャトルバスが出ているので、それに乗ってください、という。ということで、読んでもらったタクシーに駅前のバス乗り場まで行ってください、とお願いしたら「うーん、出とるんかねぇ。まあ、いってみましょう」ということだったが、出ているのは2駅先の大分駅からだった…。

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いきなり強烈なアウェイの洗礼。しかし、どうせ大分市にいくのだったら、「博士うどん」でも喰うか、ということで、庶民の味、大分うどんを喰う。「博士うどん」は東京のうどんと見がもうばかり。だけど中では讃岐風におでんもたいている。ぶっかけをいただいたが、コシは博多うどんの影響からか少し弱め。つゆは黒く甘辛い。なんといっても量がすごい。「鳴門うどん」という学生や若いサラリーマン向けのうどん屋さんがあるのだが、そこはトリプルを頼むときっちりシングル300グラムの3倍、900グラムのうどんが出るという。

ということで、大分駅に向かってもらおうとしたら、もうビッグアイの方が近いという。途中でメーターを切るから乗っていきさい、ということだったのでそうする。ビッグアイは採石場の巨大なアナがあるような山のてっぺんにつくられている。「クルマでもなかったらよう来んですわ」ということで駐車場の広さがすごい。

席につくと、直前まで開けていたという天井から降った雨がシートを濡らしている。ビッグアイの関係者!最低料金でも2000円とるなら、ちゃんと拭けよ!などといいながら、トイレットペーパーを調達してきたCさんなどとみんなの分を拭く。

試合そのものは2-1で負ける。帰りのホーバークラフトは宇宙だった。

"Always look on the bright side of life"

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Comments

旅の計画を読んで、人の旅ながら楽しみにしていました。城下カレイは見るからにおいしそうですね。フグもそうですが、この透けた白身とネギを見ると、たまりませんね。これはポン酢でいただくのですか?それとも肝を溶くのだから醤油ですか?

Posted by: icydog | May 03, 2005 06:40 PM

icydogさん、コメントありがとうございます。で、城下かれいにつけるタレですが、基本はたまり醤油で、ちょっとした細工がしてあります。そのちょっとした細工を聞けばよかったのですが、忘れてしまいました…。残念。

本当は20D持っていこうかな、と思ったのですが、重いのでF10とサブにXgを持って出かけました。

Posted by: pata | May 03, 2005 07:24 PM

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