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May 14, 2005

『マルクス入門』今村仁司

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『マルクス入門』今村仁司、ちくま新書

 ちくまから自身による新訳で『マルクス・コレクション』を刊行中の今村仁司先生が、新書で『マルクス入門』を出した。三島憲一先生たちとの共訳で、じっくり読み込んでいるためか、情報満載の良い入門書(というか、これで入門できた人は偉いと思うが)になっている。いきなり、ソ連は「ソルジェニーツィンの言葉を借りていえば収容所列島にひとしい」(p.7)とすごい間違いをやらかしちゃっているけど(これって『収容所群島』を読んでないことがバレバレだよね)、まあ、それはご愛敬。

 マルクス・コレクションは義務感で買って、パラパラと読んではいますが、共産党宣言を『コミニュニスト宣言』にしたりするような言葉の言い換えが目立つ程度で、正直、長谷川宏さんのヘーゲルみたいな感動はないけど(つか、長谷川さん訳業は戦前からのドイツ観念論に関する日本の学問ってのはいったい何だったんだつうぐらいブチ壊すほどのすさまじさで、そんなのは何十年に1回あるかないかだったけど)、まあ、最後までお付き合いしようとは思う。正直、活字が"立って"こないんですよ。まあ、マルクスの本は、やっぱり難しくは書いているけど、どこかプロパガンダも意識しているわけで、何が言いたいのかわからない、ということはないから、国民文庫に納められている主著も、気合いを入れて読めば、だいたいわかる仕組みにはなっているし、特に新訳をそれほど個人的には渇望してなかったというこもあるけど(えー『資本論』に関してはの岩波向坂逸郎訳はお勧めできません)。

 網野善彦さんは、日共から離れた後、自分一人でマルエン選集を読み直したというけど、今村さんたちは、もう一度、ホコリを払った自分なりの「マルエン選集」をマルクス・コレクションとして出したいんだと思うし、とにかく、その意気込みは多としたい。

 『時計職人とマルクス』を読んで、よりハッキリとした感じはするんだけど、第一インター時代においても、マルクスは資本主義後の世界に関する具体的なアクションプランは持ち合わせていなかったと思う。逆に、自分たちの都合のいいように片言隻語をかき集めて再構築したのが、ロシアマルクス主義だったと思うが(毛沢東に至ってはマトモに読んではいないと思う)、実はマルクスの頭にあったのは「コミューン(共同体)のギリシア的イメージ」(pp.67-88)ではなかったか、ということをページを割いて説明しようとしたところが、本書の最初のピーク。「『労働共同体』という名の『共産主義』(この翻訳語を本書は使用しない)がいかにマルクスのギリシア精神からかけ離れているかがわかる」(p.80)あたりは今村さんが最も言いたかったことのひとつだろう。

 あと、個人的に今村先生の言葉として印象に残ったのは「智慧とは実践である。思想史の文脈からいえば、マルクスの非=哲学あるいは『実現された哲学』は、マルクス自身も自分で研究してよく知っていたように、実践的な智慧以外のなにものでもない」(p.106)あたりか。つまり「智慧を求める哲学が智慧の直前まで到達するとき、古代的意味での哲学はただちに哲学であることを止めて(自己止揚して)、智慧へと変貌をとげる」わけだ。ページは探せないけど、今村さんはマルクスとイエスとこの本でも書いていて、大間違いは承知の上で書くけど、旧約聖書の「知恵文学」「知恵文書」の意味がハッとするぐらい鮮明にわかったような気がする。つまり、通俗的ではあるけど「教え」が実践的な「智慧」になったんだな、と。ま、改めて書くと愚にも付かないつまらぬ勝手な思いこみですが。あと、ギリシア語のプラークシスの解釈はどうかな、と思う部分があった。もしかして、そこだけ後で書くかもしれない。

 あと、マルクスがよく用いたゲルマン的共同体、という言葉は、サンクスクリットの発見から登場したインド・ヨーロッパ語族という概念が、普遍的な言語ではないか、という気分が当時のドイツ人の中に流布し、ゲルマンつうのは普遍的なんじゃない、みたいな気分が影響を与えているのではないか、というあたりの話も面白かった(p.148)。

「資本主義は、この文明の母胎であった原初的共同体を完全に全面的に破壊しなくては発展できないという宿命にある。これを特異で異常といわないほうがおかしい。すくなくとも『一生に一度は』資本主義的近代、つまりわれわれの時代の『異例性』を不思議と感じる経験をもちことは精神の健全さに役立つ」(p.151)あたりは名言だなぁ。これはマルクスを忘れないための言葉だ。文明の母胎であった「原初的共同体の堅い絆を解体」したことが資本主義の前提となり、それは「未来の自由人共同体を用意した」ということから革命的ではあるけれど、最終的には原初的共同体の神髄を高次の形態で復活させることがマルクスの考えていたことだ、というあたりkの展開が、第二のピーク(pp.152-153)。

 中沢新一『ぼくの叔父さん 網野善彦』でもさんざんふれていたけど、今村さんも、随分、「ベラ・ズサーリッチへの手紙」に関する言及が多かった。

 ちくま新書の哲学の入門シリーズとしては永井均先生の『ウィトゲンシュタイン入門』以来の傑作かな。

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