西日本のこと
一応、公表されている資料だけを元に、西日本の事故の遠因を考えてみました。もちろんまったくの私見ですし、間違っていることもあるでしょうから、申し訳ありませんがこのエントリーに関してはコメントやTBも受け付けませんし、引用もご遠慮願います。
JR西日本はいうまでもなく、1987年4月に国鉄改革によって分割・民営化されてスタートした企業だ。当時、国鉄は毎年2兆円以上の赤字を出し続けていた"死に体"の企業だった。その国鉄を改革するためには、思い切った分割・民営化しかない、ということで故・三塚博元大蔵大臣らを担いで、あくまで分割を阻止しようとした国鉄内部の"国体護持派"を駆逐していったのが、井手正敬氏(後にJR西日本社長、会長)、松田昌士氏(同JR東日本社長、会長)、葛西敬之氏(JR東海社長、会長)の3人組だ。全員、本州三社(東日本、東海、西日本)の社長、会長を経験し、現在でもそれぞれの会社で院政を敷いているといわれている。
このうち、もっともワリを喰ったのは井手氏だと言われている。1959年国鉄入社と3人組の中では最も年長で、国鉄最後の日には、職員たちと同じ制服を着て総裁の訓辞を聞き、男泣きをしていた姿を思い出す。自ら手を下した分割・民営化ではあるが、そこまでしないうちになぜ早く自助努力で解決できなかったのか、とでも考えていたのだろうか。とにかく、3人組の中では、もっと常識人ではあるし、ラガーマンとしてラグビーをこよなく愛し、会社の旅行では部下と車座になって話すのが好きみたいな、いわゆる親分肌の人物でもあった。
当時のJR西日本の社長は運輸省出身、会長はアサヒビール出身ということで鉄道経営のアマチュアだったことから、会社発足当初から事実上の"社長"として君臨していた。山手線、東海道新幹線というドル箱を抱える東日本や東海と比べて、私鉄との競合が厳しい西日本は、本州三社の中では最も経営環境が厳しいといわれていた。それでも貨物や三島会社と比べれば天国のようではあったが、とにかく、想定外の厳しさだったようだ。
井手さんは現在70歳。3人組でも最年長ということもあってか、例えば7歳若い葛西さんあたりなら絶対にやらないようなことをやっていた。それは社員の机を勝手に開けるという行為。社員の机をせっせと開けていた時期は二回あるといわれていて、その最初は発足直後、私鉄との競争が思ったよりも厳しいことを実感し、間接要員一人が使える鉛筆は1本、色鉛筆も1本、消しゴムも1個というケチケチ運動を展開したとき。まさかとは思われるだろうが、本当に勝手に人の机を開けて副社長自らがチェックしていたらしい(まあ、大金を扱う銀行ではそうしたことも行われると聞くが、金融機関でもない鉄道事業者では相当珍しいのではないか)。
次の机チェックは1992年3月、梅田貨物駅横に建てられた本社ビルでファイリングシステムを導入したとき。あまりにも資料が多いのが悩みだった鉄道事業者にとって、担当者全員が資料を抱えていたのでは、いくらフロアがあっても足りない。こうしたことから、資料は一部門ひとつ、ということで資料を共有するファイリングシステムを導入。その直後も、机の中に自分専用の資料を持っていないか、ということを井手社長は自らチェックしていたという。
なんつうか、人は自分の成功体験から飛び立てないんだな、と思う。東日本の松田氏も、道路公団改革で、諮問案が気に入らないということで、マンションの一室を借りて、そこを根城に独自案をつくる作業を進めていたが、こうした「マンションの一室に集まって謀議し、独自案をブチあげて一気に形勢を逆転させる」という手法は国鉄改革時とまったく一緒だった。残念なことにというか当然のことというか、道路公団でのクーデターは失敗し、JR全体と自分自身の評判も落ち、以降、政府委員のお呼びはかからなくなったが、この道路公団問題での失敗は3人組の限界を浮き彫りにさせた。つまりワンパターン、と。
そして、井手さんも、結局ケチケチ思想というワンパターンの発想から抜けられなかった。ぼくは井手社長が西日本の経営が運輸省や3人組の想定以上に厳しいことであることを実感した時点で、泣き言を言わずに、3人組の兄貴格として、ドロ臭くとも、鉛筆一本いっぽんからのコストダウンを進めていったのは偉かったと思う。しかし、安全投資がおろそかになったり、経営トップ自らが社員の机を開けまくって管理するみたいなことを日常的に行っていたことは、最終的に良い企業体質、企業風土を生むことにはつながらなかったのではないか。国鉄は1964年から赤字に転落してから、87年に分割・民営化されるまで、ずっと赤字経営だった。つまり、3人組は国鉄時代に幹部らしい仕事をするようになってから全く黒字会社の経営を経験することなく、JRという民間会社のトップとなったわけだ。厳しい言い方になるかもしれないが「利益が出たら株主、社会に還元する」という普通の会社のモラルというのを、だから彼らは形成できていない。JRの場合、利益が出たら小うるさい組合に対して還元するぐらいなもんだ。
実際、当時から西日本の別名は"井手商店"だった。中小企業のようなケチケチ思想、ワンマンぶりを評しての呼び名であり、実際、そうした名にふさわしい企業文化しかつくれなかったと思う。国鉄監理委員会の委員長から東の社長となった住田氏の元で少しは経営を客観的に学ぶ時間をつくることのできた松田氏、最初から事実上の社長ではあったものの須田寛社長の陰に隠れることのできた葛西氏とは違い、いきなり"自分ができることからやらなければならない"状態に追い込まれ、なりふり構わずコストダウンを進めなければならなかったことがマイナス要素も生み、それを訂正することができなくなっていったことは否めない。
西日本はJR各社の中で、最もチクリが多い会社だといわれている。今回も事故車両に乗っていた車掌が事故直後に奥さんに電話をかけていたことや、事故当日に行われたボーリング大会に始り、ホテルでの会食、ゴルフ大会と不祥事が明るみに出たのは、対立する労働組合同士の意識的なリークによる曝露合戦があったからだといわれている。というか、そういうことがあったとしか思えないようなことが相次いでいる。そうした陰惨な体質を生んだ遠因のひとつは、机チェックなどプライバシーも顧みない監視システムではないか。
一方で、親分肌という面も残す"井手商店"では、福知山線という私鉄との競合路線である重要線区を走っていた事故車両に最も会社経営と対立している組合の車掌を乗せるという、どこか間の抜けたところもある(JRにはわかりやすくいうと旧民社党支持派、旧社会党系、共産党系、新左翼系というキレイにグラデーションされた4つから5つの組合があり、互いに足を引っ張り合っている)。会社の方針に反対する組合に所属する社員などは徹底的に閑職に追いやるみたいな、冷徹な東海のやり方とはどこかが違っている。それは井手さんの良いところもでもあるし、隙があるというか脇が甘いところだ。
結局、国鉄を解体した3人組はそれなりに功績はあるとは思うが、西日本に象徴されるような3人組というか井手さんの直系だけが出世していくような硬直した人事をやっていくと(ポスト南谷=現会長の社長レースでは、結局、国鉄時代からの井手さんの部下で、改革時には血判状まで押して行動をともにした垣内剛常務=当時が金井耿副社長=当時を飛び越して社長となり、破れた金井氏は日本旅行社長に転じることになった)、妙な監視システムが生んだチクリ合いなどとともに、組織の柔軟性を失わせていくような結果になるのだと思う。井手相談役、南谷会長、垣内社長の退任は必死だが、すでに伝えられている有力候補の内部昇格では結局、三人組というか井手ラインの影響力は残るだろう。完全民営化されたが、国交省が役員人事に影響力を与えられるかどうか、見物だと思う。
そして、完全民営化=株式公開をあせっていた旧運輸省が、1991年に発生した信楽線事故(42人死亡)の責任を当時の井手社長にとらせず(余人を持って替えがたいから。つまり株式公開を最優先にしたから)、また、私鉄との競合が最も激しく経営状況が厳しいからということで安全投資の少なさを多目にみていたことも今となっては大きな問題であったといえるのではないか。JR西日本は95年の阪神淡路大震災をも乗り越えて96年10月に東京証券取引所・大阪証券取引所・名古屋証券取引所などに株式を上場したが、どこかムリがあったと思う。
そして、人間というのは、いくらエリートたちが徹夜して長い時間をかけてつくったプランといえども、神ならぬ身であるからにして、私鉄との競合という重大な所与の経営環境をコロッと見誤まるなど、大きなポカを平気でしてしまうというか、カシコそうに語れても将来の見通しは大してきかないというか、そうしたところに「偉そうなことぬかすな」と素人が玄人を罵倒できる権限というのも留保されているわけなんだわな、と改めて感じる。
[追記]
つまらぬ夢を見た。
東京駅の八重洲側の古い居酒屋で飲んでいたら、国鉄改革で3人組に放逐された国体護持派の生き残りの爺さんがフラリとやってきて西についていろいろ言いたいから聞いてくれ、と頼まれた。ついでに酒もおごれというから、吉乃川の冷を片口に入れてもってきてもらう。舌がなめらかになったところでしゃべり始めた。曰く。
「結局、原点はふたつ。井手君の経理局あがり独特のケチケチ思想と、信楽線事故を知らぬ存ぜぬで逃げ切れたというふたつの"成功体験"が今回、大きく裏目に出たということ。井手君はいいとこの育ちなんだけど、赤字続きの国鉄でつまらぬコスト削減をやらされてばっかりいた経理局勤務が長かったせいか、どうも、根っこのところでカネに汚いというか、キレイなカネの使い方というのを覚えきれなかったみたいだ。西が発足した当時、本当に社員の机を覗いてはケシゴムがふたつ入っていたと注意を与えていたのをみて、驚いたもんだよ。誰が井手君にあんなこと教えたんだって。しかも、子会社の役員としての報酬も懐に入れていた。こんなこと東や東海じゃやらんよ。国鉄時代だって、そんなお手盛りでポッポに入れるようなことをヤル奴はいなかった」
「安全対策が身にしみなかったのは、信楽線事故で刑事訴訟を免れたからだろう。42人も死んだのに、結局は相互乗り入れの向こうが悪いということを言い張って、誰も責任をとらなかった。今回も、死者が続々と増えていく中で誰もカメラに向かって謝らなかったろう?あれはヘタに謝ると自分の非を認めて、責任がかぶさってくるのを防ぐという"マニュアル"通りの対応だったらしいぞ。それが怒りの火に油を注いだ結果になるとは皮肉なもんだ。読売の記者の発言も話題になったが、その背景には、絶対に謝らない、というかたくなな態度があったようだな。でもな、身元確認の際のJRの社員の態度を非難しているような記事は鉄道マンとしては許せないぞ。鉄道事故というのは乗客名簿がないから、身元確認が本当に大変なんだ。現場は修羅場さ。そこんなところですべて小笠原流でやれといっても酷だわな」
「阪神大震災の時の井手君は立派だった。真っ先に家を飛び出て、徒歩で本社に向かい、ずつと陣頭指揮を執っていた。しかし、その翌年に上場したというのは偉いというよりムリなことをしたんじゃないかという感じがしてならない。ケシゴムをふたつ持つのをとがめるようなことをしながら、爪に火をともすようなことを続けて、上場までこぎ着けたのはたいしたモンだとは思うが…。いまも私鉄との競合が激しく、東の山手線、東海の新幹線と比べればケタ違いに稼ぎの悪い環状線と山陽新幹線だけで800億円の経常利益というのは、どこかムリしていたということだろう」
「井手くんと会長、社長はそっくり退任らしいが、いまのところ有力なのは、会長が役人、社長がドカチン、副社長が事務屋というセットらしい。内部昇格は事務屋だけというウワサもある。ドカチンはいい技術屋が内部にいなければOBの起用もあるといわれているが、もうアンテナはさほど高くないので、それ以上のことはわからない」
「3人組は国鉄をぶっ壊したんだからたいしたもんだが、乗り遅れちゃいかんとついてきた17人衆というのは、東の副社長からりそなホールディングス会長へ転身した細谷くんも含めて、人物としてはね…。その最たるものが鉄仮面さ。井手くんは広報も長かったから、記者会見や記者との付き合いも堂に入ったもんだが、その直系の部下だった社長が会見で原稿の棒読みしかできない有様は見ていて情けないだろうな。若い頃は顔が端正なだけなんていわれていたことを思い出すわな。総務部長をやっていた四国どまりほうが本人にとっても幸せだったんじゃないかな。とにかく3人組について行った17人衆も南谷、大塚くん止まりだったな」
ふと気がつくと、もう冷や酒は飲み干されていた。「次に行こう」と誘われて、どこに行きますか?と訪ねるとアンコウが喰いたいから神田の「いせ源」に連れていけという。季節でもないし、どうして「いせ源」なんですか?と聞くと「81年に17人衆が初めて3人組に忠誠を誓ったところじゃないか。そこで17人衆でまだ社長をやってる東の大塚くんと東海の松本くんに乾杯だ」と言われたところで眼がさめた。
[追記2]
こうした報道が一般紙でもちゃんとなされるようになってきたのは嬉しい。「ATS設置基準:国交省、JRに甘く旧型放置」
[追記3]
日本の鉄道ダイヤ作成技術はイギリス人技師から盗んだものだけど、ダイヤ作成技術を盗めたのは、日本人だけだった、と『ミカドの肖像』で猪瀬直樹さんが書いていた。ランカーブなどの計算も、よく手作業であれだけ正確にやったもんだと思う。そうしたダイヤ作成技術によって安全運行もまた支えられている。
「停止位置は1センチ以内、到着時刻は5秒以内」――。新幹線の特別列車の運転で、30代半ばだった大石さんに課せられた許容範囲だった。数十メートルオーバーランし、1分以上も遅れていた尼崎の事故車両とは別世界のような数字だ。しかも、「特別な列車でなくても、普段からみなさんその程度の誤差で運転していた」というから驚く。
[追記4]
ここで井手さんが「無責任体質残る」といって旧国鉄体質を批判しているが、「残る」とか客観的に語っちゃっている時点で、旧国鉄と同じ。「無責任体質を残してしまって申し訳ない。残念です」と言って欲しかった。
JR西相談役、「無責任体質残る」 運転士再教育は当然
[追記5]
おっと、これ貼るの忘れていた。やっぱりドカチンというか運転屋の山崎さんが社長になるみたいね。まあ、企業が不祥事を起した場合、技術屋さんをトップに持ってきて「なんも知りませんでしたが、頑張ります」みたいな風にするのは常套手段だけどさ。
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