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May 10, 2005

『時のしずく』中井久夫

nakai_toki_no_shizuku


『時のしずく』中井久夫、みすず書房

 中井久夫先生の4冊目となるエッセイ集。IからVまでに34本のエッセイが分けられており、それぞれIは自叙伝風なもの、IIは阪神大震災に関するもの、IIIは統合失調症に関する私見、IVは本について、Vは様々な方への追悼記といった感じ。

本人は「自伝の執筆を勧められたこともある。しかし、自伝を書くには強烈な自己への関心が不足している」(p.287)としているが(そういえば書き下ろしもなく、ほとんどが依頼原稿だという)、ネット上に著作から再構成された自伝らしきものが出回ってしまったために、今回「私の歩んだ道」「私が私になる以前のこと」など自分や家族に関することを書いた5編が集められた。また、自伝的要素の強い「占領期に洋書を取り寄せたこと」「編集から始めた私」なども含めると、中井先生がどんなことを考えてきたのか、その一端を覗かせてもらっているようで、ファンとしては嬉しい限り。

 印象に残ったのは、膨大な切手コレクションを見せられて切手収集をあきらめ、それで呉茂一のラテン語独習本二冊を買い求めたという「私の人生の中の本」。それは敗戦直後の中学生の頃で、西欧のエリートたちが学んでいるラテン語を習得すれば、漢学の素養がある分だけ自分は勝てる、という意識からだったという。いじらしいけど、やっぱり違うわな、と思う。

 そして、今でも高校生に対して大学を「英語で受けるならラテン語の初歩をかじっておくといい。漢字かな混じり文の漢字に当たるのが英語の中のラテン語系の言葉だ」(p.220)と語りかけるあたりは、もう1回マジメにラテン語やろうかな、と自分も叱咤激励された。

 あと、同じところで、京大に入ってまもなくまだ日本語に訳されていないウィトゲンシュタインのTractatus Logico-Philosophicus『論理哲学論考』を読み「世界は(物質ではなく)事実からなる」という冒頭を「世界をモノの集合と理解する以外の見方がありうることに感動した」というあたりも、なるほどね、と。

 統合失調症に関しては(前からこのブログでは分裂病という元の呼び方をしていたけど『統合失調症あるいは精神分裂病 精神病学の虚実』計見一雄を読んで、納得したので、これからは統合失調症と表記します)、アメリカのDSM III以降、保健医療としては投薬治療しか認められなくなっていくような流れに対して、PTSDが精神療法の最後の砦になっているのかな、と思った。計見さんの本からのウロ覚えで書くと、アメリカでは精神療法はカネがかかるだけでちっとも治療効果が上がらないから、医師は最初の症状を診断して、あとは薬剤師が投薬する、という方向になりつつある、ということらしいんですわ。でも、そうしたDSM III以降の流れに対して、中井先生は原因を問わないDSM IIIの操作主義には一つの例外があった。それがPTSDである。『通常範囲を超えた人生体験への直接間接の曝露』という『原因』を診断項目に付け加えざるを得ない」と批判する(p.65)。

 あと、「親密性と安全性と家計の共有制」で、人類の祖先は昔、食物連鎖の頂点におらず、大型肉食獣に食べられてしまう場合も多く、そうしたことが臨終間際の解離現象として残っているのではないかとか、捕食される動物に対して人間は弱く、そうした動物に対するコンプレックスが「氏族のトーテムが動物なのは、せめて祖先が優れた動物だったということにしたいからだろう」。しかし、やがて狩りの技術に進歩によって動物を駆逐しはじめると「人間は動物を軽蔑するようになったのだ。しかし、自分より偉いものが何もないと、成り上がりは落ち着かず、頭の上がスースーして寒い。そこで神が生まれてきたという説がある」(p.123)というあたりは痛快。

 あとで、書き足すかもしれないけど、とりあえずはこんなところで…。

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