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April 20, 2005

『禁じられた福音書―ナグ・ハマディ文書の解明』

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『禁じられた福音書―ナグ・ハマディ文書の解明』ペイゲルス、青土社

 『ナグ・ハマディ写本-初期キリスト教の正統と異端』白水社は今も、ナグ・ハマディ文書に関する最良の入門書だと思うが、その著者であるプリンストン大学宗教学部教授が、再び一般の読書家向けにグノーシズムと普遍の教会(カトリック)の成立の過程をわかりやすく、しかも不治の病を抱えた子供を失うという自分自身の問題をもさらけ出しながら書いている。

 子供が助からないと医師から聞かされた彼女がジョギングウェア姿で久々に教会の門をくぐるところからはじまる第一章は、いささか混乱している印象を残すが、最後の最後になって、本書のモチーフが明らかになる。それは「後に『ヨハネによる福音書』を新約聖書の中に編入し、『トマス』を『異端』として駆逐する人々こそが、後の西欧キリスト教を決定的に形作りーそして不可避的に限定することになったのである」(p.38)というところ。

続く第二章の「対立する福音書ー『ヨハネ』と『トマス』」が本書の中心。

ペイゲルスはケスターの「この二書の著者は同じ資料に頼って執筆した」という主張を紹介するとともに、その理由として共観福音書がイエスを神の使者である人間と見なしているのに対し「『ヨハネ』と『トマス』は彼の形を採った神自身の光としている」というところをあげている(p.51)。

 しかし、もちろん両書には決定的な違いがある。それは「イエスだけが神の光の受肉であると主張するヨハネは、この光は万人の中にあるとするトマスを退けた」からだ(p.52)。「ヨハネの福音書はそのような熱い論争の中で、特定のイエス観を決定し、他のものを排するために書かれたもので」あり「トマスの福音書は『ヨハネ』のように、イエスを信じることを要求しない。むしろ人間ひとりひとりに与えられた聖性を通じて神を知ることを求めよ、と要求するのだ」と両書をスケッチし(pp.44-45)、「ヨハネはもしかしたらトマスを教えに反論する目的で自らの福音書を書いたのではないか、と考えた」(p.70)とまで推測する。なにせ、4福音書の中でヨハネだけが「不信のトマス」というキャラクターを創り出し、「十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった」(ヨハ 20:24)とまでわざわざ書いているのだから。

この後は、ヨハネ書を信奉するグループがなぜトマスに勝ったのか、という問題の解明に移る。

 ヨハネはマタイ、マルコ、ルカに次ぐ4番目に置かれるため「第四福音書」とやや軽く扱われているような別名で呼ばれているが、最初に注釈が付けられたのはヨハネであるという指摘(p.135、ヘラクレイオンの『ヨハネによる福音書注解』)や、グノーシスのメンバーはアポルトロシスという"第二の洗礼"を行ったいたという話(p.156)は使徒行伝の初期共同体の中に「完全なるグループ」があったという論議にもつながるかななんて想像もしてしまったし、エイレナオスがあれほど普遍の教会(カトリック)にこだわったのは、殉教したポリュカルポスの薫陶を受けていたため、なんてあたりもアタマを整理させてもらった。

 あらためて、異端として避けられた文書から、新約に光をあてる重要性というものを再確認させてもらった本だ。

 しかし、最後に一言。青土社は編集の質が落ちているのではないだろうか。p.72の「思しい」は「思われる」の間違いだろうし、他にもなんかおかしいところが散見される。ページの横には「対立する福音書ー『ヨハネ』と『トマス』」など章の題名しか記されていないので、章ごとに番号が1番からリセットされる注が引きにくくてしょうがない。注を後ろにまとめるならば、続き番号にすべきだし、もしそうしないのなら、各章の後ろにくっつけるか、さもなければページ横の章の題名のところに「第2章」などと入れるべき。文献表を欠いているが、それが編集の手抜きだとすればちょっと信じられない。

 ずっと前、修論を書く前にR.E.BROWNのヨハネ論に関して書いたこと載せてみます。

ヨハネ共同体には、ふたつの大きな敵が存在していました。それは、「ユダヤ人」と、IIIヨハ 9 に言及されているディオトレフェスなどの「分離主義者」(ブラウンによる定義)です。また、ユダヤ的伝統を多く残していたであろうユダヤ人が主流派を占めていた教会とも、敵対関係にあった、と推察できると主張します。そしてもその原因をつくったのは、「先在のキリスト論」と「弁護者(パラクレートス)」というヨハネ独特の概念だった、とブラウンは推察します。こうした外敵(THOSE WHO DO NOT BELIEVE IN JESUS)に加え、内なる敵(THOSE WHO CLAIM TO BELIEVE IN JESUS)にも囲まれたヨハネ共同体の歴史を、ブラウンは、以下のように再構成します。

PHASE ONE(50年代半ばから80年代後半まで)

パレスチナの近くで、比較的スタンダードな信仰を持っていたユダヤ人たちが(洗礼者ヨハネの残党も含んだ形で)、イエスをダビデ的メシア、預言を成就する者、として受けいれたのが、オリジナルのヨハネ共同体でした。このグループには、イエスが行った宣教時にイエスを知った、いわゆる「愛された弟子」(ヨハ 13:22、20:3-5、21:20-23など)も加わっていました。

そこに、第2のグループが加わります。反神殿派のユダヤ教徒のグループです。彼らは、ユダヤ人と敵対関係にあったサマリア人を回心させます。この記憶が反映されているのがヨハネ福音書の4章です。彼らは、イエスをダビデ的メシアというよりも、モーセ的ユダヤ教(モーセの弟子としてのユダヤ人)に異議を唱える者として理解しようとします。使徒行伝の6章~8章も、こうしたサマリア人伝道があったという仮説を強める証拠となります。

そして、この第二グループを受けいれたことが、ヨハネ共同体が、それまでの新約聖書の文書にはないような「先在のキリスト」という独特のキリスト論を深めていくキッカケになりました。「サマリアの女」の第4章に続き、5章から9章まで、ヨハネのイエスが、自分は神であると主張することによって、ユダヤ教徒と深い敵対関係に入っていくのは示唆的です。ユダヤ人たちから見れば、ヨハネ共同体が、「イエスは神だ」と主張したことは、一神教の否定と映りました。そして、有名な、この箇所になります。

ヨハ 9:22b ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである。

初期のキリスト教徒は、会堂(シナゴーグ)でユダヤ人と礼拝を共にしていましたが、その会堂からヨハネ共同体は追放されたのです。この後、異邦人の回心者もヨハネ共同体に加わります。

PHASE TWO(90年頃)

ヨハ 12:40-41 「神は彼らの目を見えなくし、/その心をかたくなにされた。こうして、彼らは目で見ることなく、/心で悟らず、立ち帰らない。わたしは彼らをいやさない。」イザヤは、イエスの栄光を見たので、このように言い、イエスについて語ったのである。

このイザヤ6:10からの自由な引用は、マタイ、マルコ、行伝にも使われています。よほど、異邦人伝道のモチベーションとして便利な言葉だったんでしょう。ブラウンは、ヨハネ共同体が、パレスチナからディアスポラに移動し、ギリシャ人(異邦人)伝道をスタートさせた、と推察します。しかし、ユダヤ人からの迫害(ヨハ8:40-44)と世の拒絶は、自分たちはイエスに属し、そうでない者たちはサタンに属する、というところまで現状認識をエスカレートさせました。また、先在のキリスト論は、ユダヤ人キリスト教徒からも支持を受けなかったようです。しかし、使徒的教会とのコミュニケーションは、かろうじて保たれていました。

ユダヤ人との対立が深まるにつれ、「先在のキリスト論」を強調するあまり、ヨハネ共同体の中にいる、ユダヤ人キリスト教徒は分裂をおこします。

PHASE THREE(100年頃)

ヨハネ書簡の著者のグループは、「初めから聞いて教えられたもの(一ヨハ 3:11a)」に留まろうとしました。この著者の目から見れば、「教えを超えて、これにとどまらない者(二ヨハ 9)」である分離主義者は、進歩的革新主義者となります。言葉が肉となってわたしたちの中に宿られたというヨハネ 1:14の受肉の教義をどちらも受け入れていたでしょうが、分離主義者によると、光としてのイエスがこの世に来たことによって、イエスを信じる者はすでに永遠の命が与えられたことになります。その結果、イエスの行動は、彼の死も含めて、重要ではなくなっていたのでしょう。一方、書簡の著者は、「神を愛するとは、神の掟を守ることです」(1ヨハ 5:3a)と主張します。

PHASE FOUR(2世紀、書簡が書かれた後)

ヨハネ共同体の大部分は、分離主義者の元に集まりました。書簡を書いたグループは少数派となり、「長老-監督」制度を受けいれます。また、初期カトリシズムの教会も、同時に高キリスト論に対して自らを開いていきます。しかし、「普遍の教会」が第四福音書を受けいれるには、それがグノーシス主義者によって利用されていたことから、時間がかかりました。

「先在のキリスト論」を極端に推し進めることによって、分離主義者たちはグノーシス主義の道を歩み始めました。さらに、弁護者の概念は、モンタナス主義にも向かいます。そして、彼らは、第四福音書を唯一の福音書とするわけです。

参考文献

John 1,2 DoubleDay
The Community of the Beloved Disciple, Paulist Press(特に165ページ以下のサマリーは便利)

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