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April 03, 2005

『私にとってオウムとは何だったのか』

aum_hayakawa
『私にとってオウムとは何だったのか』早川紀代秀、川村邦光、ポプラ社

 オウムの非公然活動の頭目とされてた人物が、自分の生い立ちからオウムとの遭遇、非公然活動に手を染めていく課程を描いている。早川紀代秀は地下鉄サリン事件には関与していなかったものの、同じく無辜の民を炭疽菌で殺傷しようとしていた亀戸異臭騒動には深く関わっていた。

 炭疽菌を日本中にバラ蒔くという麻原の計画に対して、それでは在家の修行者も死んでしまうということで石垣島セミナーを進言したことや(p.167)、実際に炭疽菌を蒔こうとした「亀戸異臭事件」に関して亀戸で炭疽菌の噴霧が始まると噴霧器の故障で異臭が立ちこめ、周辺の住人が騒いだため、原液に香料を入れてごまかすことを考えた麻原に、どの香料を入れたらいいのか臭いを嗅げという命令を下された書いている(p.187)。

 吉本隆明さんは、オウムの際だった特徴は、無辜の民を殺すという論理を生み出したことだと書いているが、ぼくも確かにそう思う。内ゲバ的な殺人や、弁護士殺人はそれなりの「古典的な目的」が見えるけど、無辜の民の大量殺人による「救済」というとんでもないビジョンをふくらませた麻原の思考のジャンプがどうやって起きたのか、ということが、例えば単なる医師であった林郁夫氏の『オウムと私』よりも詳しく、鮮明に描かれているのがこの本のスゴイところだ。

 そのジャンプは麻原が衆議院議員に立候補し、落選したことによって「もう、この国は汚れきっており、通常のマハーヤーナ的な方法(合法的な方法)で救済することは無理であり、一気に大量ポアすることによってしか救済されないと考えたようでした」(p.166)というところから始まっていると思う。この証言には戦慄をおぼえる。ここまでハッキリと麻原の論理の流れを説明している文章はなかったのではないか。そして、地下鉄サリン事件に関しては、もう教団に対する強制捜査は避けられず、オウムを組織として維持できなくなるとわかったから、捜査を攪乱するというよりも「これが大量ポアを試みる最後のチャンスであると」(p.198)判断したことから決行を指示したのではないかと推測している。「その根底には石垣、亀戸と試みた大量ポアの考えが、グル麻原の心にあったのではないかと」。

 このほか、オーストラリアでウラン鉱脈を持つ牧場を購入し核兵器を製造しようとして失敗したことや、ロシアを通じて様々な兵器を購入していたことなど、この人しか語り得ない事実がつづられている。

 全体で340頁のうち、3分の2が早川紀代秀氏が書き、残りを裁判で証言台にも立った宗教学者の川村邦光氏が分析を加えるという構成だが、残念ながら川村氏の分析は、オウムを単なる宗教的テロリズムの一種として規定しており、「無辜の民の大量殺人による救済計画」に対する本格的な分析はなされておらず、不満が残る。

 最後に書いておきたいことだが、申し訳ないし、こんなことを書いてはいけないかもしれないが、あえてぶっちゃけて言えば、ノストラダムスの本にイカレてしまうぐらいな貧しい読書体験しか持ち得ない人間だから、途中で麻原から離脱するということが出来なかったのではないか、と思う。

 オウムの人間の文章を読むとノストラダムスの大予言にイカレてしまったみたいなことを書いている人間が多いが、ああいった本が出た場合には、アカデミズム万能ではないけれども、キチンと文献学的な批判というか、フランス文学者でも古典の文学者でもいいけど、いかにメチャクチャな訳だったのか、というようなことを書く必要があったのではないかと思う。

 ぼくは仏教に関してはまったく無知だが、仏教界から本格的なオウム批判が行われたということは寡聞にして聞いたことがない。中沢新一さんが『虹の階梯』を読んでチベット仏教に興味を持った人たちがオウムに入ってしまったことに対して、自前のゾクチェン研究所をつくって長いスタンスで責任を持とうと考えているのとは大違いだと思う。

 日本の古い仏教の中で、かろうじてまだ死んでいないのは浄土真宗だと思うが、悪人正機説を保持しつつ、さらにオウムを批判するという本格的な文章が生まれてくることを期待しているのだが…。

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