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March 20, 2005

『聞き書 宮澤喜一回顧録』

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『聞き書 宮澤喜一回顧録』御厨貴、中村隆英、岩波書店

 個人的な宮澤さんのイメージ。外交は親米ハト派、経済は消極的なケインジニアン。自民党内では保守本流の宏池会の中心を歩み、いつの間にか押し出されるようにして総理大臣をつとめる、みたいな。

 やっぱりそれなりに首相というのは心労が激しい仕事だったと思うんですよ。歴代首相をみても、長生きしたのは妖怪といわれた岸伸介、戦後史の清算という不気味な想いをなおくすぶり続けさせる中曽根康弘など、そう多くはいない。宮澤さんの盟友だった池田勇人はガンで辞任後1年でお亡くなりになるし、大平正芳は選挙中に倒れて帰らぬ人になり、近くでは小渕恵三も在任中に倒れた。そして、恐ろしいことに宮澤さんは、池田内閣、大平内閣、小渕内閣の全てに経済閣僚として入閣していて、衆議院議員を引退した後も、なお健康で回顧録を岩波から出すなど、政治家としてやり残した仕事を、肩肘張らずにやろうとしている。

 でも、それはけっして精神的にタフだとか、ある政治的信念に生きているとかいうのではなく、あらかじめ諦念しているようなところからきているんじゃないかと思った。この本を読んでも、宮澤さんには個人的な政治的目標あるいは政治的な野心、哲学みたいなものを感じることはできない。日本という国に近代的合理性が通用するようになることを多少でもサポートできればいい、みたいなこだわりのないサーバントのようなイメージ。自分の限界を知っていたからこそ、神経をすり減らすことはやらなかったんだろうし、だから自分に向いていない国会対策みたいなものには手をつけなかったのかもしれない。

 政府が自由貿易の原則から踏み外しそうになると、それに対してはキチンと不快感を表明して、例えば1970年代の日米繊維摩擦の時にも、日本の自主規制案を通産大臣として業界を”指導”してまとめろという圧力がかかったときにも「法律的にできないという話をやるということはよくない。どんなに政府が望ましいと思っても、これだけはっきり規定されていものを、力づくでやるということは、どうも私はよくないと思う。私にはできない。そういう決心を、わりに早く、自分の気持ちの中で実はしていたわけです」(p.239-240)みたいな感じで、交渉をまとめることもせずに辞任してしまう。その後、通産大臣となった田中角栄が、「外交問題は国内問題だ」とうそぶき、不況に苦しむ繊維業界に対して、生産機械の破棄代金として一千数百億円をバラまいて解決したのとは大違い。

 ここらへんが、お公家集団と呼ばれる宏池会と、パワフルな田中派の違いそのものなのだろうけど、宮澤さんは、意に沿わぬ事はヤだといってさっさと辞任して、佐藤内閣のために「繊維を売って沖縄を買った」といわれた田中角栄さんの手法そのものについては、特に非難がましいことはいってない。むしろ諦念さえ感じさせる口ぶりで、そのことについては、ニクソン側近でウォーターゲート事件で挙げられたスタンズとかミッチェルなどはサファリが好きで像の足の椅子に座らせられたなど趣味が悪いとか、口八丁手八丁だったみたいな方向に話を振り向けていく。

 こうした諦念は農業問題に対してもあらわれていて、東アジア自由貿易圏で日本が主導権を握れないのは、農業を見切れないからだ。でも、自分で解決するなんてのはまっぴら御免だけどね、みたいなスタンスにつながると思う。経企庁長官として一番不愉快だったことは、ハチマキをした農民に米価で詰め寄られたことだ、みたいなことも書いているので、これは根っからのことだと思う。

 それは、第一章に書かれているような都会育ち(東京高等師範小中学校から武蔵高校、東大)ということや、大政翼賛会が発足した1940年に日米学生会議に出席するために渡米したということも影響しているのかもしれない。

 その後、英語力を買われて大蔵省でも若手なのに重陽されるのだが、そこで面白かったのは、当時、通商航海条約が破棄された時点では、油が来なくなるということをあまり日本の政府で分かっている人間はあまりいなくて、そうしたことから「戦争が始まったときにいちばん大袈裟にいわれたのはパレンバンです。あそこの油田をわが国が確保できたということで、何か道が開けたんじゃないかとなって、『藍より青き』(空の神兵)という歌がそのときに生まれ」(p.40)というような回想につながっていくあたり。あと、笑ったのは敗戦が決まってマッカーサーら米軍がくるということで大蔵省の会議でまっさきに議論されたのが大森に慰安婦対策として組合をつくらせるようなことだったみたいなことや(p.72)、ドッジ日本は南方を占領していた時にどうやってファイナンスをやっていたのかと問われて、軍票を出したと答えて驚かれた(p.50)みたいな話は、もうこの人からぐらいからしか聞けないんじゃないかと思った。

 60年安保の総括についても「私は、もともと安保騒動というものにはあまりサブスタンス(実体)がなかったと思っているんです(中略)岸さんの持っている、それこそ回帰路線、おまけにこの人は戦争犯罪人容疑者であった(中略)ような印象が、ああいう騒ぎになったと思うんです」(p.190)とアッサリ切り捨てている。

 唯一、屈辱を感じていたみたいなのは、マッカーサーの司令部から命令を受けることは、役人として悔しかったみたいな不快感を示していたあたりぐらいか。

 こうした特にこだわっている政治的スタンスがないという姿勢は、役人の高等試験の時に「なんで書く」かという言い方があったみたいなところにも出ていると思う。つまり、国法学とか憲法についた答えを何の学説で書くか、具体的には筧で書くか、宮沢で書くかみたいな、「こだわった説ははないんだ。でも、どっちでも書けるぐらい勉強していることが重要なんだ」みたいな。

 あと、意外だったのは辻嘉六の話が出てきたこと。やっぱ、この人に関しては触れるんだ、みたいな。

 この本で本当に面白かったのは「第1章 生いたち」から「第6章 宏池会の誕生と安保騒動」まで。後は、プラザ合意が、バブルとその後のデフレ経済を生み出したが、そのことに関する研究が十分になされていないみたいことを嘆くところが、ちょっと新味があった。

 「終章 二一世紀の日本を考えるために」で、憲法九条に関して「いま誰も自衛隊をやめろとは言っているわけではないですし、そうかといって、わが国は外国で武力行使をしてはいけないということは多くの国民が承認していることですから、なにもあの条文を変えなければならないことはないのではないか。一種の歴史的な所産として、あってもいいというのが私の気持ちにはあります」というのは正直で素晴らしい意見だと思った。このほか、拉致問題に関して「私にはよくわかりません」、国連の常任理事国入りに関しては「それは日本のステータスとは関係ないこと」と言い切っていることも、いまのご時勢からすれば立派なことだと思う。

 目次、解題などは長くなったので、以下に。

 この本は御厨貴教授の「オーラルヒストリー」シリーズ。中村隆英教授の力によって実現した、というようなことが最初に書いてあって、インタビューは計10回行われている。

第1章 生いたち
第2章 戦前・戦中の体験―日米学生会議、税務署長時代のことなど
第3章 敗戦直後の大蔵省
第4章 GHQとの交渉―ドッジ・ラインとシャウプ税制
第5章 講和会議に随行する
第6章 宏池会の誕生と安保騒動
第7章 池田内閣時代
第8章 日米繊維交渉
第9章 プラザ合意、そしてバブル崩壊へ
第10章 総理大臣時代
終章 二一世紀の日本を考えるために

 まあ、聞いた話だけど、ちょっと見は紳士だけど、酒を飲むと"カランコロン亭"に豹変し、某ジャイケルのネバーランド状態になることもあるとorz。若い優秀な男の子たちを集めて飲むことが好きで、そんなときにはカランコロン亭からペロンペロン亭になるなんてこともあったが、よくできたお母さんが全てをうまく処理してきた、みたいな…。まあ、個人的な問題は、不倫について聞かれたミッテラン大統領が記者に対して「で、あんたはどーなのよ?」et vous?とかましたように、まあ、これからの時代は、人様に迷惑をかけなければいいんでしょう、ということで。

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