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February 17, 2005

『アヤックスの戦争』

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『アヤックスの戦争』サイモン・クーパー、柳下毅一郎

カート・ヴォネガットは、何かのエッセイでソドムとゴモラに襲いかかった災難を見るために、後ろをふり返ったことから塩の柱に変えられてしまった旧約のロトの妻に関して 「私はそのような彼女を愛する。それこそ人間というものだ」と述べていた。ロトの妻の悲惨さはそのまま文明の悲惨である。後ろをふり返ることはなぜと問うことに等しいからだ。だがそのような悲惨さのなかにしか、人間らしさもありえない、みたいな感じで。

 サイモン・クーパーは確かになぜと問いながら後ろをふり返ることだけはやっているようだ。しかしあまり正確を期するというタイプではないが…。なにせ『ナノ・フットボール』では1945年当時の日本人男子の平均身長が145cmと書いていたし、『サッカーの敵』でもディナモ・キエフとドイツとの"死の試合"について広報担当者は地元共産党によって作られた神話だと断りながらも、マシンガンを持ったドイツ人の観客によってチーム全員が処刑されたと書いて、『ディナモ ナチスに消されたフツトボーラー』の中でアンディ・ドゥーガンに批判されている。

 ヨーロピアン・フットボールはあまりにも多くの人々を魅了しつづけてはいるが、その短い歴史にもかかわらず(サイモン・クーパーも本書で述べているように二世代の語り部がいればクラブの歴史は網羅できる)、歴史家よりも人々の記憶によって記憶が刻まれてきたために、神話となる要素が多くなりすぎるきらいある。

 アカデミックな歴史家たちに語らせれば、随分、痩せた印象とはなるかもしれないし、そうしたことが、すべて悪いこととは思えないが、二次的な資料に頼らざるを得ないような日本人ライターなどは、ディナモ・キエフに関して「ナチス・ドイツの侵攻の際にディナモの選手が銃殺された悲劇(ソヴィエト政権のプロパガンダであったという説もある)」(『ディナモ・フットボール』宇都宮徹壱、みすず書房、p.85)とか、アヤックスについても「アムステルダム在住のユダヤ人からの援助を中心に運営されてきたという背景があったために、ナチス占領時代にはスタジアムがひどく破壊されるなど、厳しい状況に置かれ続けた」(『理想のフットボール 敗北する現実』大住良之、双葉社、p.68)なんていう眼を覆いたくなるような間違いや、苦しい言い訳をしなければならないような文章を残す結果となる。

 やっかいなのは、ナチス・ドイツという巨大な悪がいるおかげでユダヤ人のアヤックス、命がけで戦うディナモ・キエフの選手といったスポーツ伝説が魅力を持ち、ぼくのように、ついこの間まで神話を信じて、けっこう得意になって吹聴していたみたいな人間さえ生むことになることだ。

 長々と書いてしまったが、『アヤックスの戦争』は、ユダヤ人のアヤックスという伝説は確かに壊してはくれたけど、300ページを超えて延々と書いているわりには、盛り上がりもなく、発掘された事実というのも、せいぜいが、後に会長となりクライフからこきおさろれるファン・プラーハが占領中は写真屋の二階に隠れて生き延びたとか、アヤックスは戦後に対独協力者狩りをちょっとやりすぎたとか、アムスに戦後戻ってきたユダヤ人たちが自分たちのアイデンティティを確認するというような意味をこめてアヤックスに資金を提供したぐらいの地味なものでしかない。

 サイモン・クーパーはある程度の時間はかけてクラブの歴史を調べ、まだ生存している関係者にインタビューはしたのだろうが、結局、クライマックスとなるようなネタはつかめなかったように思う。そして、ユダヤ人のアヤックスという伝説は間違いだが、ある部分は事実を反映しているみたいな盛り上がりのない結論(まるでオランダそのものを反映している)に達する途中で、同じユダヤ人としてアンネ・フランクをはじめとして住民の3/4が殺されたとしてオランダに逆切れするような、奇妙な印象しか残さない本になってしまったのではないかと思う。

 この本のチラシを六本木のフットボールラバーズで読んだ時「おお、名前からしてサイモン・クーパーはユダヤ人だもんな。それがナチスに破壊されたアヤックスの悲劇の歴史を書くんだろうから、随分、読み応えがあるに違いない」と期待値を高めすぎたのもいけなかったのかもしれないが、神話の真相を教えてくれたということだけは評価するものの、凡庸としか思えない出来だった。

 それにしても、訳者の柳下毅一郎さんは自分が訳した『サッカーの敵』に関して、「英国の監督がしばしば選手を賞賛するときに兵士にたとえることを指摘した(邦訳からは省かれている)」とカッコの中で書いているが(p.221)、これは不誠実すぎるのではないだろうか。ペイパーバック版しか持ってないが、原書とは構成もまったく違うし、けっこう大事なところだと思うようなのが、アッサリと「省かれている」と書かれてほったらかしにされていたのではたまったもんじゃない。あとがきなりで、省いた部分はこの章のどこだ、みたいなのは残しておかないと。白水社の編集も、出した本にケチがつくかもしれないけど、そうしたことをキチンとやらせるのも大切な役割じゃないのかとも思んだが(偉そうだけどね)。

 白水社のサッカー本は、『狂熱のシーズン ヴェローナFCを追いかけて』にしても、ものすごく翻訳されていない箇所が多い。ある章などは、ハードカバーの2頁丸々が省かれていた。いい本を紹介してくれるのはありがたいが、もうちょっとキチンと翻訳するようにしてもらいたい。つか、ここまでくると、白水社はサッカー本を意外とナメてかかっているんじゃないかなんて思ったりして。

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