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January 23, 2005

『懐かしのアメリカTV映画史』

american_tv
『懐かしのアメリカTV映画史』瀬戸川宗太、集英社新書

 問題意識は明確。ハルバースタムの『フィフティーズ』のような文化史を包括しつつ1950年代とはどういった時代だったのかを総括するような著作を踏まえ、1960年代を回顧するような映画が何本も製作されたりするのは、「アメリカ社会の中核的位置を占めているミドルの世代が、若き日の意味を問い始めているからにちがいない」(p.10)というもの。「人々の記憶に鮮烈に残っているのは、この時代のテレビが創り出したイメージで、これはしばしば実生活の記憶より生々しく甦ってくる」(『フィフティーズ』)にもかかわらず、文化史を包括的にながめる場合、劇場公開された映画に関しては様々な批評もあるが、テレビ映画に関してはまとまった著作がない、と。

 ぼく自身は家にテレビがなかった記憶は断片的にあって、それは二階の窓からラジオを聞きながら外を見ているというものだが(かかっていた音楽はアストロノーツ『太陽の彼方』w)、子供心に決定的な影響を受けたのは、アメリカのテレビ映画だったと思う。『パパはなんでも知っている』『じゃじゃ馬億万長者』『名犬ラッシー』『ララミー牧場』『ローハイド』などにかじりついて観ていた記憶は強烈に残っている。特に『パパはなんでも知っている』と『じゃじゃ馬億万長者』は、描かれたライフスタイルが日本で実現できるとはとても思えなかった時代だったので、今では信じられないかもしれないが、まるで天国の生活を見せてもらっているような憧れがあった。本書に触れられていないので書きたいのだが、『じゃじゃ馬億万長者』の原題は"The Beverly Hillbillies"で、これによって一夜にして億万長者となった田舎者(Hillbillies)の一家がビヴァリーヒルズの高級住宅地(Beverly Hill)に引っ越して騒ぎを起こすという内容が一発で分かる。これを教えてくれたのはアメリカ人の友人で、アメリカ人はやや高級な日常として、日本人は遥か彼方の非現実としてではあるが、同じモノをほぼ同時代に観ていたという事実は、いまの日米関係に計り知れない大きな影響を与えていると思う。

 まあ、そんなことはおいておいて…。知らなかった事実をいろいろ教えてもらったので、それらをご紹介しようと思う。

 TV版のスーパーマンを演じていたジョージ・リーブスは、あまりにもイメージが固まってしまって、役が出来なくなった悩みから59年にピストル自殺したという。スーパーマン役の俳優はクリストファー・リーブも大きな事故で半身不随になっているし、ツイてないんだな、と思う。

 『アンタッチャブル』はルシル・ポールと夫デジ・アーネスが共同経営するデジル・プロで製作されたという。ルシル・ポールはテレビ界最初のスーパースター。ルーシー・ショーでルシル・ポールはアーネスの子供を妊娠し、テレビでも毎週おなかが大きくなっていって、ルーシーの出産のエピソードを放映した日に、ルシル・ポールも子供を出産。テレビの視聴者は現実と虚構の区別がつかなくなるほどの社会現象を生み、アイゼンハワー大統領の就任式と同じぐらい大きく新聞に扱われたという。そういえば、スーパーマン役のジョージ・リーブスも現実に「空を飛んでくれ」と頼まれたことが何回もあったという。日本の場合も、プロレス中継などで「現実と虚構の区別がつかなくなる」という現象が生まれていたと思うが、テレビというのは、本当に強力なメディアだったんだな、と改めて思う。

 プロレスで思い出したのだが、金曜日の夜八時、日本テレビではプロレス中継と『ディズニーランド』が隔週で交互に放映され、このパターンは60年代末まで続いていたという(p.47)。これなんかは完全に忘れていた事実だった。

 あと、著者はケネディ政権とキューバ危機に関する研究で立教大学の客員教授になっているが、アメリカは条約上日本にプラスになる安保改定に日本人が反対するなど思いもよらなかったため、ハガチー事件までは安保騒動を報道していなかった、という。また、安保闘争に参加した人々は、改定される内容に反対していたというよりは、A級戦犯だった岸信介首相による「強権的な政治手法に怒り、議会制民主主義を守るために闘っていた」のではないかと指摘している。

 60年代はスティーブ・マックィーンやクリント・イーストウッドのような俳優だけでなく、サム・ペキンパーやシドニー・ルメット、ジョン・フランケンハイマー(ともにバスト・シッョト、クローズアップを多用)のような演出家もテレビ界から映画界へ転身をはかっていったという。

 『ちびっこギャング』という子供が主演のスラップスティックコメディも放映されていて、けっこう好きだったのだが、これは30年代にお蔵入りになっていた白黒フィルムを、カラー化の前に消化してしまおうという思惑があったという(p.82)。

 『未知の世界(ミストリー・ゾーン)』のホスト役であるロッド・サーリングは『猿の惑星』『五月の七日間』の脚本家になったという。この人の冷静なホストぶり、好きだった。

 テレビ映画は最初、30分モノが主流だったが、大人の鑑賞に堪えるちゃんとしたドラマが求められるようになったことで1時間モノが中心になり、『原子力潜水艦シービュー号』や『タイム・トンネル』のような豪華なSFドラマも制作されるようになった。しかし、これらのモブシーンには、劇場用映画のシーンが使いまわされ、そうしたことが、物語の展開に制約を生み、かつそれらのシーンを見た人にはドッチラケを生んでしまったという。

 あと、65年放映開始の『アイ・スパイ』は黒人俳優がテレビに主役としてレギュラー出演した最初の作品だったが、これは64年の公民権法の成立によって生み出され、それは66年からの『スパイ大作戦』に出演していた黒人俳優グレッグ・モリスに受け継がれていったという。

 新書にしては、索引と年表が見事に整理されている。この索引と年表だけでも買う価値あり。

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