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December 09, 2004

『ラディカル・オーラル・ヒストリー』

『ラディカル・オーラル・ヒストリー オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』保苅実、御茶の水書房

古くはディドロ『ブーガンヴィル航海記補遺』、新しくは『パパラギ』などのように、初めて西洋文明に接した南海の住人による箴言、豊かな精神性、西洋文化の分析という切り口はいつまでも古びない。

 でも、いまや、架空の人物を設定しなくても、リアルでタヒチの老人や南海の酋長ツイアビの言葉を得ることができる。しかも、それを歴史学批判として構成しながら。というのが、『ラディカル・オーラル・ヒストリー』の試みだと思う。

 今年5月、オーストラリアで癌によってお亡くなりになった保苅実さんは、オーストラリアの先住民であるアボリジニのコミュニティに入り、ジミー・マンガヤリ老人と出会い、アポリジニの歴史を語ってもらう。それを博士論文としてまとめたものの日本語訳を中心した文書集がこの『ラディカル・オーラル・ヒストリー』だ。

 どこがラディカルかというと、アポリジニによる土地返還要求のキッカケが、コミュニティを訪ねた米ケネディ大統領によって直接、インスパイアされたものであるとか(もちろんそんな事実はない)、白人の牧場が洪水に襲われたのは、ヘビの神が願いを聞いてくれたなどの話をそのまま"歴史"として受け入れる態度にある。

 そこで問いかけられているのは、近代工の歴史家が構成してきた"裁判所が証拠として取り上げることが可能な歴史"が本当に歴史のすべてなのか、という歴史学批判であり、アポリジニたちの口伝による歴史の伝承方法がそれに対する批判の実践になっているということなんだと思う(保苅さんによると「歴史をメンテナンスする」行為)。

 読んでいる最中、映画『ライトスタッフ』で、ジョン・グレンによる地球周回飛行の際、アポリジニたちが通信を行なおうとしていた場面なんかが突如、蘇ってきた。あと、ジミー・マンガヤリ老人による「道とは東から西へという太陽の動きにある」みたいな説明は多少感動。

 目次がゴッタ煮ってて面白いので載せておこう。

第1章 ケネディ大統領はアボリジニに出会ったか―幻のブック・ラウンチ会場より
第2章 歴史をメンテナンスする―歴史する身体と場所
第3章 キャプテン・クックについて―ホブルス・ダナイヤリの植民地史分析
第4章 植民地主義の場所的倫理学―ジミー・マンガヤリの植民地史分析
第5章 ジャッキー・バンダマラ―白人の起源を検討する
第6章 ミノのオーラル・ヒストリー―ピーター・リード著『幽霊の大地』より
第7章 歴史の限界とその向こう側の歴史―歴史の再魔術化へ
第8章 賛否両論・喧々諤々―絶賛から出版拒否まで

(うしろにディドロ『ブーガンヴィル航海記補遺』について昔~し、書いたのをチラッと載っけておきます)

radical_oral_history

ドニ・ディドロ『ブーガンヴィル航海記補遺』について

ドニ・ディドロ Denis Diderotの『ブーガンヴィル航海記補遺』(1772-73年執筆、1773, 80年改訂、1785年ヴァンドゥル夫妻の改訂、1796年刊)はノンフィクションを元にしたパロディともいえます。元になっているものは、『1766年、1767年、1768年、1769年に、国王の巡洋艦ブードゥーズ号と輸送艦エトワール号によって行われた世界一周航海記』。このブードゥーズ号の船長が花のヴーゲンヴィリアの命名の由来となっているルイ・アントワーヌ・ド・ブーガンヴィルその人です。ブーガンヴィルが1771年に出版した上記の航海記を読んで感動したディドロは、南太平洋の一角のタヒチ島に、この世界が出来た頃の状態からまだ遠くない幸福な生活が営まれている、という報告に啓示を受け、フィクションである『ブーガンヴィル航海記補遺』を書きます。

『ブーガンヴィル航海記補遺』は実在しない『ブーガンヴィル航海記補遺』をめぐるフランスの知識人のA、B対話という、構成的な内容を持つ本です。扱われているテーマは二つ。ひとつは、「大家族の家長だった」(*1)タヒチの老人が行ったブーガンヴィル一行に対しての別れの挨拶です。タヒチの老人はブーガンブィルに対して「罪という観念と病気の危険がおまえといっしょにわれわれの間にはいりこんできた」(*2)と西洋文明を非難します。

二つ目は、この老人の演説を書き残したとされる、スペイン語を解する原住民オルーとフランシスコ会の探検隊付司祭の会話です。西洋文明の基礎となっているキリスト教の道徳的側面の矛盾を「どうも自然にそむき、理性にもとる」とあばきたてるのが、原住民オルーです。その相手となるのは、客を接待するのは自分の娘と妻を捧げることだというタヒチの習慣を知らずに、ある家族の世話になってしまったフランシスコ会の探検隊付司祭という具合にディドロはアイロニーをきかせるのです。「ひとつの国民の習慣に精通しようと努力した」(*3)この司祭は、三人の娘と妻の相手を礼儀正しくつとめます。「でも、わたしの宗教が。わたしの(司祭としての)身分が」と悩みながら(*4)。

*1 『ブーガンヴィル航海記補遺』中央公論社版、p356
*2 同、p362
*3 同、p400
*4 同、p399

[キリスト教、特にカトリック批判としての航海記補遺]

『ブーガンヴィル航海記補遺』の舞台装置としてタヒチが選ばれたのは、アイロニカルな状況がみてとれます。十八世紀の人々に東洋の知識を提供していたのは、主にイエスズ会士たちでした。彼らが中国や日本の情報をヨーロッパに提供したのは、彼らの布教事業の一環としてであり、イスラム教や古代ユダヤ教、儒教や道教、ヒンドゥー教や仏教に関する知見が、歴史の対象として再編成されていくにはさらに多くの転換が必要でしたが、キリスト教秩序の独占状態に対して批判的な立場の人々にとっては、同じ情報が、まるでユートピアのように把握されるのです。

ディドロのキリスト教に関する理解は「現神論」から「汎神論」に移っていき、最後にはおそらく無神論に近い唯物論になっていたと思われます(*5)。そうした立場の移り変わりに、大きな影響を与えていたもののひとつは、カトリックの聖職者たちの独身生活に対する批判でした。

そして、こうした聖職者が中心となって運営されているカトリック教会を批判することによって、「創造主が望まれた摂理に基づく秩序」(*6)を批判しようとしているわけです。そして、こうした批判がやがて部分的にもフランス革命を引き起こす原動力となっていったのです。こうした新思想は教養ある階層からブルジョワ、プチ・ブルジョワ、そして民衆へと下降し、「一七五〇年以前の、少数の人びとによる新思想の先取りに、新思想を流通させる、決定的な、世紀なかばの闘争がつづき、そして一七七〇年以降は、新しい原理の伝播が普遍的なものとなる」のです(*7)。

*5 ロジェほか『キリスト教史 7』平凡社ライブラリー、p48
*6 『新カトリック大辞典』研究社、p713
*7 ロジェ・シャルチエ『フランス革命の文化的起源』松浦義弘訳、岩波書店、
1999、p5

[僧侶や修道女の独身生活に対する批判]

ディドロは『修道女』で、修道生活に対する批判を行っています。貴族の家に生まれたシュザンヌは、持参金を惜しむ両親に不本意にも修道院にやられてしまい、拷問監禁や同性愛的寵愛に苦しめられる、というのがこの物語のあらすじです。元々、この小説は、田舎に隠退してしまった友人、ド・クロワマール公爵をなんとかパリに呼び戻す方法はないか、ということから、グリムと共同で思いついたたくらみから出ています。つまり、シュザンヌは本物で、ド・クロワマール公爵に助けを求めているという設定で書いた手紙が元になっているわけです。

ここでも、『ブーガンヴィル航海記補遺』と同様、虚構と現実が絶妙なバランスでたわむれているわけですが、そもそも、初代ローマ教皇とされ、十二使徒でも序列一位であるペトロにしても、妻帯者でした(1コリ 9:5 わたしたちには、他の使徒たちや主の兄弟たちやケファのように、信者である妻を連れて歩く権利がないのですか)。キリスト教の歴史で「貞潔」「清貧」「従順」の誓いに象徴される修道生活が始まったのは、三世紀頃。現在のエジプトのナイル河畔の砂漠地帯でした*8。そして、それが東方のキリスト教世界に広まり、西方では六世紀のベネディクトゥスが創設した、モンテ・カシノの修道院が最古のものです。そして、底辺に流れているのは、ユダヤ教エッセネ派にさかのぼる古い隠遁主義であり、キリスト教にあっては、教会組織(司教制への移行=初期カトリシズム)への反逆を基盤していました。

これを、教会組織が取り入れたのがローマ教皇グレゴリウス一世です。グレゴリウス一世は良識ある(つまり教会組織への反抗につながるラジカルさを剥ぎ取った)ベネディクトゥスの規則を支持し、その普及につとめ、修道院組織をヨーロッパの改宗者社会のキリスト教化に利用するのです。こうして、十世紀にはカトリック神父は独身でなければならないという慣習ができはじめ、十六世紀に規則として定められます。

キリスト教の側から見れば、非ヨーロッパ世界も布教の対象として、神の創造・救済事業を広め知らせるべき遠大な課題の一部をなしているにすぎません。それらの世界に見られる偶像崇拝や一夫多妻制は、克服されるべき未開状態として理解されます。ヨーロッパの人々にオリエントの知識を提供していたイエスズ会士の主要な目的は、こうしたものでした。キリスト教の文脈のなかで異なった世界に関する知見が、布教目的から離れ、歴史科学の対象として成立していくにはさらに転換が必要でしたが、キリスト教に批判的な立場の人々にとっては、同じ情報が、別の色彩に染められ、別の概念構成によって把握されるのです。そこでは偶像崇拝や一夫多妻制はキリスト教的秩序を乗り越える人間理性の顕現として理解されるわけです。

ヴォルテールやディドロの意図は、体系として構築された理論ではありませんでした。重要なのは彼らの批判対象である教会、王権、王権と教会の下に統合された学的、宗教的権威なのです。そして、啓蒙主義者たちは批判者であると同時にそれらに保護される人々でもあり、世襲の権力者の保護を取り付けるために美辞麗句を連ねた献辞を著書の冒頭に掲げる知恵を持った人々でもあったのです。ディドロは1773年、つまり『ブーガンヴィル航海記補遺』執筆の翌年、蔵書を買い上げてくれたロシアの女帝エカテリーナにしばしば謁見し、その広範な知識で女帝を魅了しましたが、大学設立などロシア改革のための具体的な提案は無視され、失意のうちにロシアを去ります。

こうした啓蒙先生君主たちは、自分の権力の増強のためにも、教会の権力を制限しようとし、教会批判の知識人たちを利用していた、という側面もあったのです。あらゆる思想をカトリック教会とソルボンヌ大学が独占していた時代、ディドロが中心となって在野の知識人たちを集めて発刊された『百科全書』は、イエズス会の逆鱗に触れ、1752年2月7日に発行禁止になったこともありましたが、こうした教会からの弾圧は、啓蒙専制君主たちと、啓蒙思想家との奇妙な思惑の一致も生み出しました。

そして、固陋なカトリック教会とキリスト教は、確かに、こうした勢力によって圧倒されていったのです。

*8 山形孝夫『砂漠の修道院』1987, 新潮選書, p31-41

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Comments

恥ずかしながら「ブーガンヴィル航海記」なる書籍を知りませんでした。今年中に読めたらいいなぁ。今は新潮別冊「名短編」と八坂書房の「書物の敵」を読んでます。

Posted by: 洋販新人 | December 12, 2004 at 12:06 AM

おお、どーも。面白い本を紹介していただき、ありがとうございました。

で、『ブーガンヴィル』ですが、簡単に手に入るのは中央公論社の『世界の名著』シリーズの35『ヴォルテール、ディドロ、ダランベール』だと思います。

たんに資料を読むような感じじゃなくって、実際に、けっこう面白いです。まじでエスプリ感じます。うまいなぁ、みたいな。ユーモアもあるし。

いま、欧米ではフランスの啓蒙思想家なんか全く見向きもされないと思うのですが、それをいいことに、けっこうネタをパクられていたりして。

『パパラギ』なんか、完璧にイタダキだと思いましたよ。

Posted by: pata | December 12, 2004 at 12:54 AM

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